1-4 旅立ちと暗雲
それからの私はとにかく研究所で文献を読み漁った。
あの本の中身は自分の記憶の中にしかない。
まずは神聖文字の年代から考えてみる。
今の宗教施設に僅かに流れの残る古い時代の神聖文字で、以前も解読に挑戦した時に判明したこともある。
だが、その時も古語から類推してなんとか意味が読み取れるレベルまではいけたが、完全に翻訳するには至らなかった。
研究所にあるのは、同時代の神聖文字でも違う遺跡のものと思われる石板の写本がわずかに存在するだけ。
ほとんど謎の解明に繋がる資料と呼べる資料は存在しなかった。
遺跡の記憶からも検討した。
周りをじっくり眺める余裕はなかったが、自然の岩盤を利用した場所だったように思えた。
わずかにあった構造物はどれも自分の知るどんな時代の様式とも異なり、宗教施設かとも考えたが祭壇らしきものも見当たらなかった。
ただ、天井に塔を逆さまに吊るしたらこうなるだろうというような大きな突起が出ていた。
(どうしたらいいの……?)
手に持った文献を投げ出して天を仰ぐ。そういえば、ここしばらく寝ていない気がする。食事も……。
あれから時間だけが過ぎていって何も前進している気がしない。
(このままではダメなのに……)
焦燥感だけが募っていく。
先生との会話を思い出す。
『魔法はあるのか?』
いや、魔法はある。自分の存在がそれを証明している。しかし、自分は結果しか知らない。
どうやってこれは発動したのか、あの遺跡はなんだったのか、右手の刻印は何を表しているのか。
前の時も地震は徐々に回数が増え、揺れも大きくなっていった。なら、今もあの未来に近づいているのではないか?
このままいけば、私はまた全てを失う。
いや、私はもう代償を差し出したはずだ。
(そうだ、もう最初から何もないんだった)
ならば、自分がやらなければいけないのは、なんとしても彼を救うことだ。
その日宰相執務室にはいつもの、だが知らないものにとっては珍しい顔ぶれが揃っていた。
宰相リチャード・ウェインライトは自身の執務机に、応接セットには騎士団長アーク・ヴァルター、魔術師団長アルベリック・ド・ラ・ヴァリエール、そして扉の前に騎士団第三隊の隊長サイラス・レイヴンと事務官服を身につけたキースと呼ばれる男だ。
騎士団の第三隊は表向き兵站と備品の管理業務を担っていることになっているが、本業は諜報活動である。
キースと呼ばれる男も偽名の一つでしかない。宰相直属の諜報組織の人間だろう。宰相以外の人間にはトップかどうかさえわからない。
ヴァルターが重々しく口を開く。
「周りは?」
それにレイヴンがすっと沈黙すると口を開く。
「問題ありません」
それを聞いてヴァリエールが手を一振りすると、薄曇りのシャボン玉がふわっと大きくなって部屋の外に消えた。
「よいぞ」
魔術師団長の遮音障壁である。
ウェインライトが口火をきる。
「ノルヴァルドに新しい動きがあったそうだな」
それにキースがウェインライト、ヴァルター、ヴァリエールに手に持っていた資料を渡し、説明を始めた。
「ヴィクトル王太子の件です
王太子の所管する王室領に密かに武器が大量に搬入されています
偽装されていますが、こちらで現物も確認済みです」
「こんなにか……」
ヴァルターが資料の数字を見て眉をひそめる。
「後、噂ですが、水防工事のための人足を募っているという情報も」
「ふむ、父親は穏健派だが息子は違うということかの……」
それにヴァリエールがさらに手を一振りすると、全員の資料が青い炎となって消える。
「私からも一つ、よろしいですか」
いつもはへらへらと笑っているように見えるレイヴンの目が珍しく開いている。
「ヴィクトル王太子に最近一人側近が増えた、と
仮面をつけた若い銀髪の男だとのことですが、出自はさらっても出ませんでした」
レイヴンの報告に全員が沈黙する。この男をして「何も出ない」と言わせるとは相当手強いということだ。
「王太子はエレーナ王女の輿入れ先だ
このまま条約が履行されるならよし、間違っても王女が人質にされるようなことがあってはならん
引き続き王太子の動向には注視していてくれ」
ウェインライトの言葉に重々しくヴァルターが口を開く。
「万一の時は条約の破棄もありえますか?」
「その時はやむを得ないだろう……」
冷酷にも聞こえるウェインライトの言葉は、平和に見える王都にも暗雲が近づいていることを教えていた。
私の研究室に珍しい客人が来たのは夕日が差し込む頃だった。
「ちょっと! リナリア! 机で寝ないで!」
揺り起こされて初めて自分が資料の上に突っ伏して寝ていたのだとわかる。
「……スザンナ?」
「そう、あなたのスザンナよ!
寝るならちゃんと宿舎に帰るか、帰れないならソファーに寝なさい!」
「あー……ごめん、起きた」
「ちょっと、いつから寝てなかったの
まさか食事もろくにしてないんじゃないわよね?
食事、買ってきてあげたから、先に食べなさい!
それからちゃんと寝て!」
怒りながら心配するというスザンナらしい労りに心が暖かくなる。
「ありがと」
手櫛で寝乱れた髪をざっと整えて、屋台で買ってきただろうサンドイッチが入った袋を受け取る。
私がもそもそと食べ始めたのを確認すると、スザンナは自分と私の分のお茶を入れてきた。適当に椅子を引っ張り出して座る。
「全く、ノクス隊に行ったと思ったら全然連絡寄越さないし
研究始めたら他が疎かになる癖、いい加減やめなさいよ、学生じゃないんだから……」
まったく……と言いながらスザンナはお茶に口をつけた。
「ごめんって」
怒れる親友に殊勝に謝る。
そうだ。学生の時もしこたま怒られてご飯食べさせてもらったんだった。
「今日はそれできてくれたの?」
「それもあるけど、レオ隊長がね
様子見てきてくれないかって、これレオ隊長からね」
スザンナは可愛らしいうさぎさんの顔のついたカップケーキを差し出す。
どう見ても手作り品だ。奥様のお手製だろうか。たしか筋肉ダルマには勿体無い可愛らしい奥様と小さな娘さんがいたはずだ。
自分の分を取り出したスザンナは
「わー! かわいー! 食べるのもったいなーい!」
と言いながら頭からかぶりついている。
「レオ隊長……? あぁ、第一隊のシュヴァルツ隊長? なんで?」
シュヴァルツ隊長とは演習以外接点はないはずだが、怒鳴りつけたことはあれど、気にかけてもらうような何かはあっただろうか?
「さーねー、最近相棒の元気がないからじゃなーい?
アシュフォード副隊長ったら、喧嘩する相手がいなくなって、それはもうしーずかになっちゃって不気味なのよ
あれはただの冷酷メガネね、誰のせいかしらねー?」
口の端にチョコをつけたまま人の悪い笑みを浮かべている。
「いや、それは私とは関係ないと……」
言いかけた私の胸にビシッと音が出そうな勢いでスザンナが人差し指をさす。
「アシュフォード副隊長となんかあったんでしょ?」
「ぶほっ———————! っ……けほっ!」
口にしていたお茶を危うく吹き出すところだった。そして気管に入った。
心当たりがあるとすれば、あの逃げた日のことだがあれは正直忘れたい。
視線が彷徨って何も言えなくなる。
「あぁ〜……えーっと……」
「まぁ……いいわ。言いたくなったら聞くから
それじゃ、ほどほどにしてちゃんと帰りなさいね
あとちゃんと寝て、わかった?」
ケーキのカスを払うとスザンナは立ち上がった。
「ありがとう、ちゃんと一回寝るよ
あと、シュヴァルツ隊長にお礼も、ちゃんと元気にしてるからって伝えてもらえる?」
「了解、伝えとく
またね」
スザンナを研究室の外まで送ると一回のびをして、研究室の明かりを消した。
ちゃんと宿舎に帰って一眠りすると、ずいぶんスッキリとした気分になった。
そうして、研究室に戻ると机の上に一枚のメモが置かれている。エマーソン先生からだ。
『愛しい娘 リナリアへ
古代神聖文字に関する遺構を探していると聞いた。
研究室にない資料を探しているなら、ボーモント辺境伯領のノクス隊分室もあたってみるといい。
王家由来の品があると聞いたことがある。
何か知恵が欲しい時は、この老体も頼りにしなさい。
エマーソン』
いろんな人に自分は支えてもらっている。
先生だけじゃない、スザンナや魔術師団の隊長たち、それに騎士団にも。
また、頑張れそうな気がしてきた。
王族専用の庭園には季節の花が咲き乱れ、文官や騎士が行き交う行政府とは違い静かな鳥の囀りが聞こえている。
中でもバラの小径を進んだ先にあるガセポは王女エレーナのお気に入りだ。小さい時はフェリクスを「フェリクス兄様」と呼んで、よくここで絵本を読んでもらった。7歳上のフェリクスは大人に見え、小さい時は「兄様のお嫁さんになる」が口癖だった。
今でもその気持ちは変わっていない。
自分が王女であると自覚して、「兄様」が臣下になってしまったとしても。
自分に婚約者ができて、フェリクスが他の女性を目で追っていると気づいても。
「エレーナ殿下、第二隊フェリクス・アシュフォード、参りました」
銀髪の貴公子とプラチナブロンドの王女の悲恋は国民の間で人気だという。
(なぜ、悲恋にしてしまうの?
ハッピーエンドでもよいのではないかしら?
例えば、私の結婚が無くなって、この人が私をさらってくれないかしら?
それとも、私が女王になって、この人をお婿さんに迎えてもいいと思うの
国民にも歓迎される組み合わせになると思うのだけれど、国民が皆知っていることを貴方だけは知らないふりをするのね……)
黙って紅茶を含む私にもこの人は頭を垂れたまま何も言わない。
全身で自分は臣下なのだと主張している。
「フェリクス、そこに座って」
カップをそっと置き、扇子で目の前の椅子を指す。
「同席は……出来かねます、殿下」
ずるいわ。お茶もさせてくれないの?
「フェリクス、座って
お茶に付き合って欲しいの」
私を見るフェリクスはいつかの暖かな微笑みとは違う。他の有象無象の女性をあしらう時と同じ。冷たい目。
「殿下、公務の護衛とお聞きしておりましたが、任務でなければ自分は職務に戻ります」
「ここに私といるのも立派な護衛だわ」
「殿下の護衛は近衛騎士隊の職分です
城外に出られる時の護衛は、あくまで近衛騎士隊の支援でお供しているに過ぎません」
「だって、ここには私と貴方しかいないの
貴方がいなくなってしまったら私を護衛してくれる人がいなくなっちゃうわ」
フェリクスはハッとした表情でさっきまで近衛騎士が配置についていた場所を見るが誰もいない。そばに控えているはずの侍女もだ。それもそのはずだ。フェリクスがきたら全員下がるように自分が言ったのだから。私たちを恋仲だと思っている侍女など、嬉々として下がっていった。
「全員下げさせたのですか……? なんということを……、すぐに呼んでまいります」
踵をかえそうとするフェリクスにさっと手をあげて止める。
そして、ゆっくりと近づいて、抱きしめた。
「殿下————! なりません--------!」
フェリクスの慌てた声がするが、私を振り解くことはしない。
それはできないって知っているの。
(だから、今だけは私の「兄様」でいて)
フェリクスは私がそっと離れるまで抱きしめも突き放しもしてくれなかった。
エマーソン先生のメモをもらってすぐ、私はノクス隊にボーモンと辺境伯領分室への出向願いを出した。
研究に必要ならいつでもどこでも行っていい旨の返答だ。エマーソン先生からはボーモント辺境伯への紹介状も書いてらった。
右手の甲の刻印は1/3が変色している。何も掴めたわけではないが、自分でたどり着くしかないのだ。
今回はちゃんとお世話になったスザンナやハルト隊長、シュヴァルツ隊長にも挨拶をして回る。
アシュフォード副隊長にも会うかもしれないと身構えたが隊舎にはいなかった。身構えた分ほっとした気持ちもあるが、顔を合わせなくてよかったのかもしれない。エレーナ王女との恋仲説はいよいよ信憑性を持って語られ、私と彼との交わりはここではもうなくなってしまったのだろう。
(きっとそれでいいのよ……)
辺境伯領へ向かう乗合馬車に乗る。
この道の先にきっと答えはあると信じて。
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