第11話「2002年11月9日」


「皆さま、ご乗車、ありがとうございましたー」

「ただいま、徳島駅に到着しましたー」

「車内にお忘れ物、落とし物がございませんよう、ご注意くださいー」

 彩道は晴仁といとしと一緒に汽車に乗った。車窓からの景色を眺めつつ、楽しくお喋りしていたら、あっという間に到着した。三人は車内アナウンスのものまねをしながら、降りる準備を整えた。

「ようこそー! 徳島市へー!」

「ありゃ! ほんまにええとこじゃー」

「あきさみよー! 楽しい冒険の始まりだー」

 三人は臆することなく無邪気にはしゃいだ。ワクワクする気持ちが三人の心と体を温めていく。

「よし。ほんなら、伯父さんに会いに行こう。ついてきて!」

「はーい!」

 彩道は晴仁といとしを案内しながら、悠太郎の楽器屋へ向かった。


「伯父さん、えっとぶり!」

「おお! えっとぶり! 今日はお友だちと一緒かえ?」

「うん! この子が早見晴仁で、この子が大和いとしやよ」

「初めまして。早見晴仁と申します」

「初めまして。大和いとしです」

「初めまして。あやの伯父の、吉岡悠太郎です。君たちのことは、旭と、りんと、あやから聞いとるよ。まさか、離ればなれになった三人の息子が、三人の故郷で出会って、三人のように仲良くなるなんて……俺、ほんまに嬉しいわ。さやかの言う通り、三人共、父親似やね」

 悠太郎はにこやかに笑いながら三人を見つめた。

「……あら? あや、身長伸びた?」

「……気付いた? オレ、やっと160cmになったんよ!」

「おお! 凄いやん! ちなみに、晴仁くんといとしくんの身長はいくつ?」

「164cmです」

「僕は……168cmです」

「……みんな、背高いなあ。君たちのお父さん、180cm以上あるんやから、そりゃあ、高身長やわ。確か……一朗が180cmで、旭が182cmで、りんは190cmもある。君たちのお父さんは、並んで歩くだけで目立っとったんよ。それに、ハンサムやし」

 悠太郎は机の引き出しから何枚か写真を取り出し、三人に見せた。

「あら! お父ちゃんや!」

「ありゃ! お父様じゃ!」

「あいっ! お父さんだー!」

 三人は学生時代の父親の写真を見て、同時に驚いた。三人で一緒に、とはいえ、それぞれの訛りで驚く微笑ましい姿に、悠太郎は思わず笑みがこぼれる。

「かっこええやろ? 三人共、変わり者扱いされたこともあったけど……真面目で、穏やかで、優しいから、めちゃくちゃ愛されとったわ」

「素敵やなあ。オレ、お父ちゃんたちみたいに生きてゆきたい。大切なものを守るために頑張って、大切な人たちの優しさに感謝できる人生にしたい」

「大丈夫。その気持ちを忘れなければ、何があっても生きてゆけるわ」

 彩道は悠太郎に麗らかな笑顔を向けた。

「悠太郎さん」

「どしたん? 晴仁くん」

 晴仁はかしこまって、丁寧に話し始めた。

「ある日、彩道さんがこう言ったんです。『オレたちは何周も人生を回って、やっと出会えたのかもしれん』と。わたしたち三人には、幼い頃から特別なことがありました。彩道さんは最愛のお父様を震災で亡くされて、いとしさんは聴覚障害で心ない仕打ちを何度も受けて、わたしは喘息を患っています。正直、わたしたちはずっと仲良しだったわけではありません。それぞれの傷を隠すことに必死で……時には、喧嘩してしまうこともありました。それでも、最近、お互いの過去について、ようやく打ち明けることができました。わたしにとって、2002年という時代は、今まで生きてきた中で、最も温かい一年でした。季節の変わり目で喘息が悪化した時、いつも『喘息は感染する』と誤解され、咳をするたびに避けられてきたのですが……彩道さんといとしさんは、毎日お見舞いに来てくれて、寄り添ってくれました。学校の先生も、クラスメイトも、『おかえりなさい』、『元気になって、ほんまに良かった』と喜んでくれました。心丈夫でした。心の底から、幸せでした」

 晴仁の話を聞いて、悠太郎はかすかに笑みを浮かべた。

「良かった。ほんまに、良かった。辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、たくさんあったと思う。でも、君たちは、お互いに知り合って、傷つけ合って、海より深い友情で結ばれた。どうか、その友情を忘れんといてな。たとえ、離ればなれになっても、大人になっても、突然神様に連れて行かれても、絶対に忘れんといてな。その友情を忘れなければ、きっと、何があっても大丈夫」

 続いて、悠太郎はちょっぴり緊張しているいとしに目を向けた。

「いとしくん」

「……はいっ!」

 突然悠太郎に話しかけられ、いとしの声は裏返る。彩道はいとしの背中をそっと撫でて、「大丈夫やよ」と彼を安心させた。

「ごめんね。びっくりさせちゃったね。いとしくん、前髪長くて、黒縁眼鏡かけとるから、綺麗な目が隠れとる。俺、いとしくんの目が見たいなーって、思ったんよ」

 いとしは眼鏡を外した後、前髪を少しだけかきあげた。華やかで、凛々しくて、深く澄み渡っている綺麗な瞳が現れる。

「……この眼鏡は、伊達です。眼鏡をかけて、前髪を伸ばして、目を隠してるんです」

「なるほどね。何で目を隠しとるん?」

「……じっと見られるのが嫌だからです。外に出るたびに、色々と目立ってしまって、たくさん怖い思いをしました。それに、僕は右耳が聞こえないので、上手く聞き取れないことがあるんです。何度も聞き返してしまったり、音の方向、距離感、広がりが分からなかったり、調子が悪い時は、めまいと耳鳴りに悩んだり……目立たないように、話しかけられることがないように、外ではこんな風に目を隠しています。僕、はにかみ屋なんです」

「……ほうなんや。昔、りんも、そんなこと言うてたなあ」

「お父さん……あっ、えっと、父も……はにかみ屋だったんですか?」

「うん。一見ミステリアスやけど、超が付くほどはにかみ屋で、おっとりしている子やったよ。りんは、誰もが驚くほど背が高くて、誰もが心配するほど細くて、誰もが見惚れるほど綺麗やった。美術部の女の子たちが『絵のモデルになってください!』って、りんにお願いしとるところ、何度も見たわ。りんは意外と『何もせんでええから』って、快く受け入れてた。ある日、りんが珍しく『沖縄で素敵な女性に出会いました。ほんまにええ人なんです。今度、彼女に結婚を申し込もうと思っています』って、顔を真っ赤にしながら、めっちゃ真剣に話してくれた。こんなに綺麗な男の子の父親になるなんて、りんは幸せ者やね」

 悠太郎の話を聞いて、いとしは凛然に思いを馳せながら話し始めた。

「……僕、父のこと、心の底から尊敬してるんです。毎日色んなところを飛び回っているので、会って話す日が少ないんですけど……だからこそ、無事に帰ってきてくれた時、僕は本当に嬉しくて、物凄く幸せになるんです。ウルトラマンみたいに格好良くて、とても優しくて、いつも素敵な絵を描いていて、ピアノが得意で、僕を真っ直ぐに愛してくれる父のことが……大好きです」

 悠太郎はいとしと笑い合った後、もう一度、晴仁に目を向けた。

「ねえ、晴仁くん」

「はい」

「晴仁くんにとって、旭って……どんな父親なん?」

「素晴らしい父親です。この上なく寛大な人です。人前では寡黙で、全く笑いません。ですが、わたしたちの前では……暇さえあれば、赤ん坊のように寝ている人です。わたしが喘息で入院することになった時は、『息子の命を守るのが父親の務めだ』と、わざわざ仕事を休んで、看病してくれました。療養のために鳴門で暮らすか、そのまま呉に残るか、人生の岐路に立たされた時は、『大丈夫。はる坊は、どちらを選んでも、素晴らしい人生を切り拓ける。ただし、父親として、一つだけ助言させて。未来の自分が安らかに、健やかに過ごせているか。それを判断基準にしなさい』と、励ましてくれました。おかげ様で、わたしは今、安らかに、健やかに過ごせています。本当に、素晴らしい父親です」

「……ほうなんやね。確かに、旭は全然喋らんし、笑わない子やった。一朗とりんが隣でゲラゲラ笑っている時、旭は静かに微笑んでたわ。でも、笑いのツボにはまると、周りが心配するほどの引き笑いを披露するんよ。年賀状で『私事ですが、結婚しました』って、あっさりと結婚報告したのも、旭らしいなーって思った。未だに、旭については……不思議なところが多い。せやけど、晴仁くんの話聞いて、相変わらずぼーっとしとるけど、子煩悩で、素晴らしい父親になったことが……よう分かったわ。晴仁くんのこと、『はる坊』って呼んどるんやね。旭にも、可愛いところがあるんやな」

 晴仁の爽やかな笑顔を見て、彩道は心の底から安心した。それから、写真を丁寧にまとめて、悠太郎に渡した。

「伯父さん。写真、見せてくれてありがとう」

「いえいえ、どちらいか」

 悠太郎は写真を仕舞いつつ、三人に何気なく語りかけた。

「君たちは……幸せになるべき人間やよ。君たちは、早く大人になってしまった。せやけど、誰よりも人生の悲しみを知っている。誰よりも人生の痛みを感じて、涙を流して、傷ついてきた。いつか、君たちの傷が、誰かのバンドエイドになる日が……必ず来るから。大切な人たちと一緒に、幸せになりなさい」

「はい」

 悠太郎の言葉を素直に受け止めた三人は、息を合わせて返事した。しかしながら、晴仁といとしは、徐々に疑問を抱き始め、おもむろに首を傾げた。

「……悠太郎さん」

「ん?」

「あの……バンドエイドって、何ですか?」

「……え?」

 謎の沈黙が続く。また、始まってしまった。

「……あら? バンドエイドは……これのことやよ」

 彩道は自らの額に貼ってある絆創膏を指差した。

「……ありゃ、サビオのことかね?」

「……あぎじゃびよい! リバテープだ!」

「サビオ? リバテープ?」

「わしはずっと……これのこと、サビオって言うとった。サビオって、広島だけなんかね?」

「僕はずっと、これをリバテープって呼んでた! はっさもー、大怪我する前に知ってて良かったさー」

「いとしー、大怪我する前提で話さんといてくれ。末恐ろしい子じゃけえ」

「あら、マジか。バンドエイドって、全国共通やと思っとった……オレ、はるといとしーのおかげで、もっと賢くなったわ」

「……それよりも、あや、その怪我はどうしたんじゃ?」

「あー、これは、その……ゴロンと寝返りを打とうとしたら、ベッドからすってんころりんと転げ落ちて……ゴンって、頭ぶつけた」

「擬音が多いのう」

「あがっ! 想像するだけで痛いよー……あや、もう痛くないば?」

「大丈夫。もう痛くないよ」

「……あや。あなたは一体……どのようなベッドで寝とるんかね?」

「はる。まずは、オレの怪我を心配しなさい」

「ありゃ、これはこれは失敬」

「流石。生粋のご令息は、謝罪の仕方さえも麗しゅうございますこと」

「あや……あなた、わしのこと馬鹿にしとるじゃろ?」

「馬鹿にしとらんわ。ほら、今もこうして、ちゃんと人間同士として接しとるやんか」

「これ、待ちんさい。動物の類いの話になっとるけえ」

「だー、もう! 二人共、喧嘩はやめて! 馬鹿のために、これ以上争わないで!」

「いとしー、落ち着け。オレたちは馬鹿の取り合いなんかしとらん」

「いかん。話がごちゃごちゃになっとる。話題が行方不明じゃ」

「はーるー。話題はいつも、あなたの心の中にあります」

「いとしー。あなた、いつから牧師になったんじゃ?」

「さあ、仲直りのお祝いとして、みんなで聖歌を歌いましょう」

「おー、何や何や」

「何か始まった」

「Can you Thoroughbred? Can you fight me tonight? We will argue long long time……」

「おいおい、いとしー、替え歌すな! 何て? サラブレッドって……馬やないかいっ! あらまあ、良い血統ですこと!」

「『あなた馬できますか?』って、どういうことじゃ! 『私と今夜戦ってくれますか?』、『私たちはずっと言い争うだろう』……これ! 全然仲直りできとらんやないか! 宣戦布告じゃ!」

「ご清聴ありがとうございました」

「もうええわ!」

 三人のしゃべくり漫才を見て、悠太郎は涙が出るほど大笑いした。

「……君たち、おもっしょいなあ」

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