「そう言えば、お兄ちゃんから手紙、来てるよ」

 夕食を終え、ココアを飲んでいる最中、母がおそるおそるといった調子で告げた。辛うじて落ち着きかけた心がざわついたが、無理やり抑えこむ。

「そっか」

 笑みを繕う。母親は、紫柚自身にも似たやや幼げな顔立ちを不安げに揺らしたあと、どうする? と尋ねてきた。

「なにが?」

「読みたくないんなら、読まなくてもいいけど」

 ただ知らせないのはよくないと思ったから。言い訳するように視線を逸らした母親に、そんな顔をするくらいなら知らせなければいいのに、などと思ったあと、ありがと、と微笑んでから、掌を差し出した。母はどことなく手を震わせながら、白い封筒を渡す。宛名が紫柚だからか開けた形跡はない。

「お父さんからも、手紙来たの?」

「うん」

 一転して頬を紅潮させて頷いた母親は、誇らしげにどこの国からのものかわからない類の封筒を見せつけた。

 そんなに色ぼけるんだったら、お父さんのことをあきらめるとか言わないで、別れなきゃいいのに。一瞬の思考は、しかし、いまだに家の中を兄と父親が徘徊している想像に対する嫌悪感によって、打ち消される。うん、やっぱり今の方がいいな。

「良かったね」

「元気そうで安心したよ」

 母は少々大袈裟な調子で父からの手紙を抱きしめる。その幸せそうな顔は、ある意味、羨ましいくらいだった。

 

 自室に帰って封筒を開く。手紙の内容は近況報告が中心だった。海外で仕事している父に付いていき色々な場所を転々としている兄。今は海の近くにいるらしく、船着き場での荷物運びのバイトや似顔絵職人としての路銀稼ぎに身を窶しているとのことだった。加えて、何の仕事をしているのかいまだによくわからない父の手伝いに関する記述には、定期的に笑いどころやオチが設けられていて、ついついクスクスしてしまいそうになるのをおさえる。

 しかし、楽しかったのもそこまで。終盤にさしかかって、異国の彼女との生活のあれこれが語られ、眉を顰めそう位なる。そうこうしているうちに、別れの挨拶が述べられ、いつも通りの追伸が加えられる。

 最近書いた絵の写真を送る。紫柚も描いてるんだろう? いつか、見せてくれると嬉しいな。

 そんな無邪気な物言いを読んだあとに封筒の中を探れば、バルコニーの上で緑色のフリフリの服を着た西洋人とおぼしき女の絵の写真がおさめられていた。塗りの細かいところまではわからなかったものの、衣服から立ち昇ってくる緑の存在感と、西洋人と思しき女のどことなく冷淡な眼差し。まるで挑発されているような気がして、苛立ちが増してくる。

 オランピアでもないのに。内心で愚痴りながら、思い出すのはあの草原での出来事。今すぐにでも写真を破り捨てたい衝動にかられつつも、安全ピンを取り出し壁に打ち付けるように張り付ける。視界の端には、いなくなってから送られてきた兄の描いた女の絵の写真がずらりと並んでいた。そして、最後に目に入るのは決まって幼い頃の紫柚の草上での裸体。見るたびに返ってくるのは、薄っすらと画外にいる今の紫柚を値踏みするような眼差し。

 気に入らない。心の底からそう思う。

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