総理大臣になるより難しい

未未未

第1話 陰キャ、オーケストラに出会う

「馴染める気がしない……」


小さく呟いた声は、あっという間に雑踏にかき消された。


新緑の季節。眩しい日差し。溢れる笑い声。


そんな“キラキラの四月の大学キャンパス”は、僕の目にはどうにも眩しすぎた。


「こんにちは〜。○○サークル、興味ありませんか〜?」


……来た!


四月といえばサークル勧誘の季節。


僕みたいな“いかにも上京したて”の新入生は、たぶん声をかけやすいのだろう。


通常ならば。


「……け、結構です……」


「あっ、すみません……!」


極小の声で返し、目を逸らす。相手は気まずそうに去っていった。


別に、勧誘されたくないわけじゃないんです……。


むしろされたい!


だけど、何がしたいのかわからず、このキラキラした雰囲気に圧倒され……。


気づけば、ひとつもサークルの誘いに応えられていなかったバカな僕。



小さい頃から続けてきたピアノは、プロを目指すほどの才能も情熱も無かった。


だから諦めて、この大学への進学を決め、上京した。


“自分のやりたいことを探すため”。

“キラキラした大学生活を送るため”。


なのに——。


「君、新入生?」


「い、いえいえいえいえ……!」


せっかく声をかけられても、人見知りの性格が全力で発揮され、秒で逃げる。声をかけたほうも困惑して去っていく。



そんな自分が、嫌になる。



前髪で目元を隠し、眼鏡で視線を遮断するように。僕は俯いて歩き続けた。


“また、明日から頑張ろう……”


そう思って帰路につこうとした——そのとき。


春風に乗って、爽快なメロディが耳に飛び込んできた。


……音楽?


荒んでいた心に、まっすぐ届く明朗な旋律。


あ、知ってる曲だ。


気づけば顔は上がっていて、足は音のする方向へ向かっていた。


吹き抜ける風。揺れる木々。その奥で——


野外オーケストラが演奏していた。


聴こえてきたのは、エルガーの「威風堂々」。


学生たちだろうか。


弦、金管、木管、打楽器……いろんな音が混ざって、空に広がっていく。


そして——指揮者。


先頭でタクトを振る男子学生。年齢は僕と大差ない。おしゃれなパーマと眼鏡が爽やかで、動きに迷いがない。


……かっこいい。


胸の奥で、正体のわからない何かが弾けた。今まで抱いたことのない、強い感情。


思わず胸に手を当てた。


——それが全ての始まりだった。



気づけば演奏は終わっており、奏者たちは皆んな片付けを始めていた。


あの指揮者、誰だろう……。


ぼんやり立ち尽くしていた、その時。


「こんにちは」


声をかけられて振り向くと、さっきの演奏にいたと思われる女性が立っていた。

バイオリンを持っていて、茶髪のセミロングがふわりと揺れる。


「じっと見ててくれたから、もしかして入団希望かなって」


入団……?僕が……?


——ドキン。


胸がまた跳ねる。


けれど、言葉が出ない。


「えっと、楽器やってみたい? それとも経験ある?」


「ピ、ピアノしか……」


「私もそうだったよ! ここに入ってからバイオリン始めたの」


明るく笑う彼女につられて、僕も少しだけ顔を上げる。


……やってみたい楽器。


でも、本当は——。


喉が熱くなる。


今しか、今言わないといけないと思った。


「あ、あの……」


「うん? なに?」


「……し」


「し……?」


「……指揮者は……」


言えた。ついに言ってしまった。


自分で言っておきながら、心臓がバクバクしている。


加藤美香、と名乗ったその女性は、ぱっと目を見開いた。


「指揮者! いいじゃん! ちょっと待ってて!」


そして駆け出していった。


置いていかれた僕は、ひとり茫然と取り残されて――


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る