第0話-2 交差点の悲劇

その日は、ただの帰り道のはずだった。

親に頼まれた買い物の袋を抱え、兄と手を繋いで並んで歩いていた。

夕暮れの光は街を赤く染め、影を長く伸ばしていく。

遠くの空は茜色から紫へと変わり、街灯がぽつりと灯りはじめていた。


信号が青に変わり、二人は横断歩道に足を踏み出した。

車の音と人々のざわめきの中、兄の声が軽やかに響く。


「ほら、マオ。ちゃんと前を見て歩けよ」


振り返った兄の笑顔に、マオも思わず笑い返した。

その瞬間――。


轟音。


視界の端から、異様なスピードで迫る車のヘッドライトが突き刺さるように光った。

時間が歪んだように、周囲の音が遠のき、心臓の鼓動だけがやけに大きく響いた。


足がすくみ、体が動かない。

息を吸うことすら忘れてしまった幼いマオを、兄は迷わず突き飛ばした。


飛ばされアスファルトに打ち付けられ痛みに顔を歪めながらも、必死に首を持ち上げた。


「……お、お兄ちゃん……?」


掠れた声で呼ぶ。

視線の先――兄は地面に倒れ、血に染まったアスファルトの上でかすかに動いていた。

その目は意識が遠のきながらも、必死に弟を探していた。


やがて、弱々しくも確かにマオを見つけ、その唇が震えながら言葉を紡ぐ。


「……マオ……大丈夫だよ……」


声は掠れ、聞き取れるかどうかの細さだった。

けれど、その表情ははっきりと笑顔だった。

痛みに歪むはずの顔を無理やりほぐし、ただ幼い弟を安心させようとする笑顔。


なぜ、こんな時に笑うのか。

幼いマオには理解できなかった。

ただ、その笑顔を必死に追いかけ、涙で滲む視界の中で目を見開いた。


赤く染まった夕暮れと、血の匂いと、轟音の残響の中で――。

最後に焼き付いたのは、あの優しい笑顔だった。


その笑顔は、マオの胸の奥に永遠に刻まれた。

そしてこの瞬間が、彼の運命を決定づけることになるとは、

幼い彼にはまだ知る由もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る