第5話【ルフトという女】

 今日も今日とて盛況のエウディア市街地。

 その人通りを分け入って、セイアリアへ続くエウディア西通りを四人は歩いて突き進む。ガイド役のルフトを先頭にまずは最寄りの公園へと向かい、そこから各自の持ち場へと移動する手筈であることは、本部の入口で聞かされたところだ。


「ねぇ、ヘレンちゃん?」


「なんだ?」


「ヘレンちゃんはなんでプロヴェナに入ろうとしたの?」


 前を行くルフトが不意にその歩みを緩めた。

 はらりと揺れる長い黒髪、その先には興味ありげに光る切れ長の藍色。

『安易に気を許してはいけない相手』、つい先ほど染み付いた彼女への印象が頭をよぎる。


「レンリに助けられた、その恩返しだ」


「助けられた、ってどういうことかしら?」


「・・・記憶喪失しててな、レンリの屋敷で倒れてたところを助けられたらしくてな」


 その瞳は全てを見透かすように透明、先の会議中の件もあり僅かに目を逸らしてしまう。余計な情報を与えまいと言葉を選びながらも対応するが、尚も彼女の興味は尽きない。


「ふぅん、『らしい』ね。それ本当なの?」


「・・・本当、じゃねぇかな」


「———それ、レンリちゃんがついた嘘の可能性もあるじゃない?」


 口の片頬を上げるルフトの右手、唯一立てられた人差し指がつんとこちらの胸を突いた。


(レンリが嘘をついている?)


「あのレンリが嘘つくとは思えないが」


「あらそう?レンリちゃん、いつもニコニコして可愛い顔だけど・・・常に笑っている人間がこの世に居ると思う?」


 どこか嗜虐的な笑みを浮かべて顔を寄せるルフト、背後に流した彼女の視線の先には藍色髪の青年、レンリ・アロイス。

 クライヴと仲良く談笑しており、こちらの様子には気づいていないようだ。


「・・・まさか、疑っているのか?」


「・・・私は自分で見た物しか信じない主義なの、言葉なんて幾らでもとりつくろえるもの」


 彼自身、気負わないようにしているとはいえ、自分からすれば恩人だ。彼が疑われている事に良い気はしない。

 非難の意を込めて目を細めるが、対するルフトは意に介していないようだ。気づけばため息を吐いていた。


(まさにそうだよ。アンタがな・・・)


 語った言葉をそのままオウム返しをしたくなるのを、どうにか喉奥へと仕舞い込む。

 軽妙なようで隙の無い態度、笑っているようで視線は常に獲物を狙うように鋭利。


「そう、貴方の記憶喪失だってね」


「そうか―――じゃあ、どう証明すりゃ良いってんだ?」


 鷹の目の狙いがこちらへと向いた。

 その視線に緊張が走るが、怖気づいては死肉さえ奪われる、負けるわけにはいかない。


 刹那、空気が張り詰める。


 冷たい刃のような言葉に、真っ向から受け応えるように—————



「しなくて良いわ。まずは関係の構築が先。まずはヘレンちゃんと仲良くなりたいもの」


「・・・・・・」


 しかし顔を離したルフトの視線は柔和なものへと変わっていた。風見鶏よりも変わるのが早いルフトの表情に、強く固めた意志が空を切る。


 悉く狙いは外れて翻弄されて、気付けば傍まで張り付くように。

 そんな感覚を想起させる彼女の言葉にどことなく嫌悪感を抱いてしまう。


「ねぇ、まだ疑っているの?スパイのこと」


「・・・・・・」


 隣を歩くルフトの髪がゆらりと揺れる。にこやかに隣を歩く彼女から香るのは、艶やかなシトラスの香水。


「さっきの会議、あんなに私のことじっくり見ていたじゃない?何か私に思うところがあるのかしら?」


「・・・・・・別に」


 こちらを覗き込むルフトからまたしても、目を背けるように後ろを振り向く。

 未だレンリはクライヴと共ににこやかに談笑している、彼の援護は求められない。


 これまで塩対応を貫いているが、彼女の質問は他愛もない物から徐々に核心へと這い寄ってくるように。


「ふふ、可愛いわね。レンリちゃんとはまた違って、その無愛想な感じ」


「・・・・・・」


 するりと肩に腕を回してまたしても顔を寄せるルフト、傍から見れば仲の良い二人組だ。しかしその腕は首元へ大蛇が絡みつくようで。


「そんなにサニティメシスを嫌うなんて、何かあったのかしら?あ、詮索するつもりはないのよ?」


「・・・何もねぇよ」


 苛立ちを隠しもせず突き放すように告げた。

 こうは言っているが見透かすような瞳の奥、そこから覗く真意に気づかないはずも無く、それ故答えるはずもない。


「こういう時、信頼って大事よ。これから小規模で作戦を行うんだから、互いの連携のために、ね?」


「・・・何もねぇっての」


「つれないわねぇ?私、益々気になっちゃうわ?教えてくれない?」


 尚も顔を寄せるルフトにあからさまに眉を寄せて、舌打ちも併せて言い放つ。

 巻き付く腕を剥がすように腕に力を込めるが、するりと滑るように反対の肩に回り込んで、尚も腕を回して巻き付いてくる。


 蛇というより蚊、振り払っても嘲笑うかのように付かず離れずで踊っている。そのつもりは無いとは言ったがあからさまだ。


 ここは一度、強く言ってやるべきだ。



「いい加減にしろっ!!」


 無理矢理にルフトの肩を押し退ける、その刹那に彼女は耳元まで顔を近づけて。







「—————ヘヴンズゲート」



 それは愛の囁きのように。



「・・・っ!?」


 一言で、空気が氷点下へ。

 時間すら凍てつかせるように。


 全身の血の気が引き、思わず唾を飲み込む。



 その戦慄した顔はまじまじと、目の前のルフトはじっくりと舐めとるように見つめていて—————。



「ふふふっ、分かり易いわ。この名前のコト、知ってるのね?」


 クスクスと笑う彼女の笑みが、自身で凍てつかせた空間を溶かしていく。


「・・・・・・」


 長らく組織に潜入していた彼女—————現場仕込みの誘導尋問。

 今更ながらに先程の無駄な絡みさえ意図的だった事実に気づく、その人物から冷や水を頭から被せられた、そんな後悔が全身を駆け巡る。


「ずーっと仏頂面だから、つい揶揄っちゃった、ごめんなさいね?」


(なんだコイツ・・・っ)


 苦々しく噛み締めて大きく唾を呑み込む、その顔を包み込むように伸びる彼女の右手。


「貴方がサニティメシスに対してどう思ってるのかは知らないし、敢えて、この名前を知っていることは訊かないけど」


 白い指先がこちらの顎をさする、慈愛を込めて愛玩するような手つき。

 火照る顔には氷のように張り付いて。

 


————————声色がふと落ち着いた。


「命は大切になさい?突っ走ってるだけじゃ、いつか痛い目見ちゃうわよ?」


 気のせいか、その声には憐憫が混じったように優しく語りかけるようだ。


「・・・・・・分かったよ」


 ——————錯覚だろう。最大級に警戒すべき相手なのだから。

 離れゆく彼女の右手を睨みつけながら、重苦しく腹の底から押し出すように呟く。


「そう。ヘレンちゃん、素直なのは良い事よ」


 満足そうににこやかに語ると風のように軽やかに歩みを早めていくルフト、その背中は漆黒。

 晴れ渡る太陽の光すら呑み込むほどに黒い、底知れない闇は如何ほどか。


「っ・・・」


 振り返ってレンリの方を見やると、ちらと視線を送る彼が小首を傾げていた。

 先の自身の怒鳴り声さえ雑踏でかき消されていた、もしくは敢えて、彼に聞こえないこのエウディアの大通りだからこそ仕掛けたルフトの質問劇————


(あんなんで信じられっかよ・・・)


 ぎりと握り締める拳。

 これまでの会話すら彼女の掌の上、そんな考えに至ると最初に向けられたあの笑顔さえ不気味に思えてしまう。


(知られちまった・・・けど)


 抱える秘密の一端が漏洩した、レンリにも共有しておくべき事態だとは理解している。



 しかし今耳元にこびりつくは、ルフトの熱い吐息。

 頭に残るは、ルフトの甘い甘い『ヘヴンズゲート』。

 



 ———————寒気が消えてくれそうにない。

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