第26話:周到すぎる準備と嘲笑
中級ダンジョン『アストリアの迷いの森』への挑戦を決めた悠斗の行動は、迅速かつ徹底的だった。
だが彼は、すぐに情報を集めたり、装備を買いに走ったりはしなかった。
まず彼が向かったのは、ギルドから与えられた専用の地下工房。そこで彼は数日間、完全に姿を消した。
(このダンジョンの本質的な脅威は、モンスターの強さそのものじゃない。『毒』と『幻覚』……これらの環境要因を、いかに低コストで、かつ確実に無効化できるか。それが攻略の鍵だ)
悠斗は、市販のポーションや護符に頼ることを、最初から「最適解」だとは考えていなかった。それらはあくまで消耗品であり、コストパフォーマンスが悪い。
SEだった頃の彼ならば、汎用的なパッケージソフトを買うのではなく、まず自前で専用のツールを開発することを試みるだろう。
彼は、自らのスキルを応用した、いくつかの対策ツールのプロトタイプ開発に着手した。
(【分解】スキルで、吸引した空気中の毒性胞子をリアルタイムで分解・浄化するフィルター付きマスク……。理論上は可能だ)
彼は早速、工房の素材を使い試作品を組み上げた。だが、実験の結果は惨憺たるものだった。フィルターは機能するものの、常時スキルを発動し続ける必要があるため、MP消費が尋常ではない。数分でMPが枯渇してしまい、戦闘どころではなかった。
(……燃費が悪すぎる。常用は不可能か。プロジェクト1、失敗)
次に彼が試したのは、幻覚対策だった。
(【保存】スキルで『正常な五感』を記録し、それを魔道具に定着させる。幻覚を無効化する護符のようなものが作れるはずだ)
彼は、水晶に自らの正常な感覚を焼き付けようと試みた。だが、彼のスキルはまだ、概念的な情報を物理的な物体に定着させるほどの熟練度に達していなかった。
水晶は彼の魔力に耐えきれず、内部から亀裂が入り、ただのガラクタと化した。
(……魔力制御の精度が足りない。これも現時点では実装不可能。プロジェクト2も失敗だな)
数日間にわたる試行錯誤の末、悠斗の足元には、無数の失敗作の残骸――『プロトタイプの墓場』が築かれていた。
彼は、その残骸を見下ろし、静かに結論を下した。
(……現時点の俺のスキルレベルと知識では、物理的なアイテム、つまり市販のパッケージソフトに頼るのが最も合理的、か)
彼は潔く自作ツールの開発を「凍結」すると、初めて工房の外へ出た。
周到な準備とは、時に、自らの限界を正確に把握し、次善の策を躊躇なく選択することでもある。
こうして彼は、貯めてきた資金を『生存装備』の拡充、つまり市販品の購入に集中投資することを決めたのだった。
◇ ◇ ◇
悠斗が向かったのは渋谷にある探索者向けの大型専門店。様々な装備やアイテムがフロアごとに所狭しと並べられている。
彼は剣や鎧が並ぶ華やかなフロアには目もくれず、地下一階にある薬や特殊アイテムを専門に扱う薄暗いフロアへと直行した。
「すみません、高純度の解毒ポーションを在庫であるだけください」
カウンターの店員にそう告げると、店員は怪訝な顔をした。
「あるだけ、ですか? かなり高価なものですが……」
「構いません。それと毒耐性を一時的に上昇させる護符。麻痺毒に効く薬草と出血毒を中和する軟膏も」
悠斗は事前にリストアップしておいたアイテムを淡々と注文していく。その常軌を逸した買い物の仕方に店員は呆気に取られながらも、商品を棚の奥から出してきた。
毒対策だけでも数十万円の出費になる。普通の探索者ならその金でもっと良い武器を買うだろう。だが悠斗に迷いはなかった。
次に彼が向かったのは幻覚対策のコーナーだ。
「精神を安定させる効果のある『静心香』。それから幻覚作用を打ち破る力があるとされる『清明の護符』もお願いします」
毒と幻覚。悠斗は考えうる全ての脅威に対し、市販のアイテムで万全の対策を講じていた。
パーティを組まないソロだからこそ、備えはいくらあっても足りすぎることはない。それが、幾多の失敗を経て彼が導き出した、今の自分にとっての『最適解』だった。
大量の薬品や護符を買い込み、レジで会計を済ませようとしていたその時だった。
「あれー? 田島さんじゃないすか。奇遇っすねー」
またしても聞きたくもない声が彼の背中に突き刺さった。元同僚の鈴木たちだ。彼らも中級ダンジョンへの準備のためにこの店を訪れていたらしい。
「田島さんも買い物すか? ずいぶん地味なもん買ってるんすね」
鈴木は悠斗が抱えている大量の薬瓶や護符を見て、あからさまに馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「解毒剤に幻覚除け? ぷっ、マジすか。そんなビビりながらダンジョン潜るくらいなら初級でスライムでも狩ってた方がマシなんじゃないすか?」
彼の仲間たちもげらげらと下品な笑い声を上げる。
「毒が怖いとか子供かよー」
「俺たち新しい魔法剣見に来たんすよ。やっぱ中級行くなら火力っしょ!」
鈴木は見せつけるように隣の武器フロアのショーケースを指差した。そこには一本数十万はするであろう美しい輝きを放つ剣が飾られている。
彼らの頭の中には火力でモンスターを圧倒することしかないのだろう。ダンジョンが持つ環境そのものの脅威など全く考慮していないように見えた。
(……リスク管理がなっていない)
悠斗は内心で冷ややかに呟いた。
SE時代にもこういうタイプの人間はいた。派手な新機能の実装ばかりに目を奪われ、地味だが重要なセキュリティ対策やサーバー負荷の計算を怠るエンジニア。そういう人間が担当したプロジェクトは決まって後から致命的なトラブルを起こす。
「……準備は入念にするに越したことはない」
悠斗は感情を一切排した声で短く答えた。その反応がまた鈴木の神経を逆撫でしたらしい。
「はっ、相変わらず偉そうっすね、Eランクのくせに。まあいいですけど。俺たちはさっさと中級ダンジョンを踏破してBランクに昇格するんで。田島さんもせいぜい森のキノコにでも当たって腹壊さないように気をつけてくださいよ」
彼は一方的にそう言い放つと仲間たちと共に武器フロアへと消えていった。最後まで悠斗を蔑むような視線を向けながら。
悠斗は彼らが去った方向を一瞥すると、すぐに興味を失ったように自分の会計へと意識を戻した。
彼らの嘲笑は彼の心に何の波紋も残さなかった。ただ「ああ、彼らはきっと失敗するだろうな」という、自らの経験則に基づいた冷徹な予測が浮かんだだけだった。
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