第19話:データベースの空白
ジャイアント・トードを撃破し、探索者としての確かな自信を手に入れた悠斗。
彼のダンジョン攻略はもはや単なる金策ではなく、自分自身の生存確率を最大化するための、冷徹なリスク管理へと変貌しつつあった。
数日後、悠斗は自室のモニターの前で、眉間に皺を寄せていた。
画面に映し出されているのは、彼がギルドのデータベースからダウンロードした、『ゴブリンの洞窟』に関するありとあらゆるデータ。踏破したパーティの構成、報告されたモンスターの種類、そして、ごくわずかに残された最深部の情報。
(……やはり、情報が少なすぎる)
彼の関心は、この初級ダンジョンの『主』と噂される存在、『ゴブリンロード』にあった。
ギルドの公式データベースには、その名が記されている。『ゴブリンロード』。公式なモンスターランクは『C+』。先日倒したジャイアント・トードのランクが『C一』だったことを考えれば、ロードはさらに一回り上の強さということになる。
(今の俺のレベルは6。ステータスも上がっている。C+ランクのモンスターなら、たとえ勝てなくとも、データを収集し、安全に撤退することくらいは可能なはずだ)
彼の合理的な思考は、一度はそう結論を弾き出していた。だが、SEとしての彼の本能が、データベースの些細な『違和感』に、けたたましく警鐘を鳴らしていた。
(……おかしい。討伐記録は複数あるが、その全てが4人以上のパーティだ。そして、どのパーティにも必ず、遠距離攻撃が可能な魔法職か、回復役のヒーラーが含まれている。まるで、それが必須条件であるかのように)
そして何より奇妙なのは、ボスに関する具体的な情報がほとんどないことだった。
使用するスキルや行動パターンといった核心的なデータが、なぜか『閲覧制限:Cランク以上』のロックがかかっているか、あるいは『報告者なし』として空白になっている。
(……なるほどな。これはギルドによる意図的な情報統制か。おそらく、このボス討伐をCランクへの『卒業試験』として位置づけ、安易な攻略情報が出回るのを防いでいるのだろう。SE時代にもあったな。重要な仕様書ほど、アクセス権限が厳しくなる)
だが、それだけでは説明がつかない『空白』もあった。
取り巻きの有無、そしてボス部屋のギミックに関する情報。これらは閲覧制限ですらなく、そもそも報告データが存在しないかのように、完全に欠落している。
(討伐成功パーティの損耗率データ……これか)
悠斗は、関連データの中から一つの統計を見つけ出した。ゴブリンロード討伐に成功したパーティの、平均的な人員損耗率――『48%』。
(……半数近くが死ぬか、再起不能になっているのか。公式ランクC+のボス相手に、この数値は異常だ。これはBランク級、いや、それ以上の未知の脅威が潜んでいることを示唆している。ギルドの情報統制だけでは説明がつかない。この『空白』には、俺がまだ知らない、この世界のシステムの根源的な『バグ』が隠されている可能性がある)
悠斗の背筋を、冷たい汗が伝った。
この『空白』の正体を解明しなければ、今後の俺の探索計画に常に『予測不能な変数』が付きまとうことになる。初級ダンジョンですら、これほどの未知のリスクが潜んでいるなら、中級、上級へ進むことなど自殺行為に等しい。
(……リスクは高い。だが、これは単なる好奇心ではない。未来の安全を確保するための、今行うべき『投資』だ)
彼は思考を切り替えれた。目的は「討伐」ではない。あくまで「偵察」。
敵の構成と、このデータベースの空白を生み出している『ギミック』の正体を特定する。それだけでも、今後の俺の生存確率を飛躍的に高めるデータになるはずだ。
(問題は、どうやって安全に撤退するかだ。「危険を感じたら引き返す」などという楽観論は通用しない。ボス部屋には、侵入者を閉じ込めるトラップがあるのが定石だ)
彼は、具体的な撤退プランの検討に入った。
(退路を確保するため、ドアの開閉ギミックを【分解】で一時的に無効化できないか? いや、俺のスキルレベルでは、ギルドが設計したような高度な魔導ギミックに干渉できる可能性は低い。ならば、物理的な手段か。ドアが閉まる前に、岩でも挟んでおくか……? いや、それも確実性がない)
数分間のシミュレーションの末、彼は一つの結論に至った。
(……現時点の俺のスキルでは、確実な退路を確保する方法はない。だが、敵の構成と配置を確認し、即座に撤退すれば、罠が作動する前に離脱できる可能性はゼロではないはずだ)
それは、石橋を叩いて渡る彼にしては、珍しくリスクの高い選択だった。だが、そのリスクを冒してでも手に入れるべき『情報』が、そこにはあった。
「……よし」
悠斗は決断した。
装備は既に一新している。腰のダガーは、安物の『アイアンダガー』から、切れ味の鋭い『スチールダガー』へ。体には、最低限の防御力を持つ『革鎧(レザーアーマー)』を身に着けている。どちらも高価なものではないが、レベル1の頃の丸腰同然だった姿と比べれば、雲泥の差だ。
バックパックには、HP・MPポーションをこれまで以上に満載している。長期戦、消耗戦になることを覚悟しての決断だった。
◇
数日後、悠斗は万全の準備を整え、再び『ゴブリンの洞窟』の最深部を目指していた。
中層エリアのゴブリンたちは、もはや悠斗の敵ではなかった。戦闘を極力避け、最短ルートで最深部へと進んでいく。【整理】スキルでダンジョン構造を完全にマッピングしている彼にとって、それは造作もないことだった。
やがて悠斗は、見覚えのある地下空洞――ジャイアント・トードと死闘を繰り広げた場所へとたどり着いた。以前はあれほど脅威に感じた場所が、今ではただの通過点にしか感じられない。成長とは、こういうことなのだろう。
彼は、地底湖の奥に続く、これまで足を踏み入れたことのない新たな通路の前に立った。
そこは瘴気とも呼ぶべき濃密な魔力が漂い、空気が重く淀んでいる。肌をピリピリと刺すようなプレッシャー。素人でも、この先が危険地帯であることは一目瞭然だった。
「【整理】」
悠斗は通路の前で立ち止まり、スキルで内部をスキャンする。だが、濃すぎる瘴気がノイズとなり、スキルの精度が著しく低下していた。
【警告:高密度な魔力干渉により、詳細なスキャンが不可能です】
【解析結果:内部に複数の高密度な魔力反応を検知】
スキルが弾き出したのは、それだけだった。曖昧で、不確かな情報。
(……複数の反応。やはり、取り巻きがいるのか。データベースの空白の正体は、これか)
悠斗は一瞬、計画を中止し、撤退することを考えた。ソロである彼にとって、複数の敵を同時に相手にするのは、最も避けるべき状況だ。あまりにもリスクが高い。
(……いや)
だが、彼の決意は揺らがなかった。ここで引き返せば、この『空白』は永遠に未知のリスクとして、彼の未来に付きまとう。
(入口から内部の様子を窺い、敵の構成と配置を確認するだけだ。5秒。5秒で判断し、即座に離脱する)
悠斗はそう自分に言い聞かせ、覚悟を決めた。
そして、一歩、その闇へと足を踏み入れた。
その一歩が、彼の計算を、そして運命を大きく狂わせる引き金になることを、まだ彼は知らなかった。
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