第十八章‐沈黙の境界‐
国境の町・ボーダーズ・エンドは、他国との境界線から僅か数キロの距離にある要衝だった。石造りの城壁に囲まれた町には、王国の兵士たちが警戒の目を光らせている。
蒼真と明星が到着したのは、ちょうど夕暮れ時だった。検問所では、移民らしき人々が長い列を作って順番を待っている。
「厳重だな」明星が呟いた。
列に並ぶ人々の表情は疲れ切っていた。中には子供を抱えた女性や、杖をついた老人の姿もある。しかし兵士たちの対応は冷淡で、言葉の壁に苦しむ移民に対してイライラをぶつけていた。
蒼真は検問所の片隅で、一人の青年が壁にもたれかかっているのを見つけた。
青年の目には、深い怒りが燃えていた。
青年は蒼真と同じくらいの年齢で、引き締まった体格をしていた。しかし、その顔には見覚えのない刺青が刻まれ、異国の血を引いていることが分かる。
蒼真が近づこうとすると、青年は鋭い眼光で睨みつけた。
「何だ、お前は」
青年は口を開いたが、その声には明らかな敵意が込められていた。
蒼真は手を上げ、平和的な意図を示そうとした。しかし青年は立ち上がり、蒼真との距離を取った。
「俺に近づくな。お前みたいな王国の犬には用はない」
蒼真は首を振り、自分が王国の役人ではないことを伝えようとした。
その時、青年の周囲の空気がわずかに歪んだ。
蒼真は驚いた。この青年も超能力を持っている。しかも、その力は怒りによって増幅されているようだった。
「俺の名前はクロウ」青年が低い声で言った。
「お前らが『沈黙者』と呼ぶ連中の一人だ。だが俺は、お前らみたいに大人しくしてるつもりはない」
クロウの拳が光を帯びた。抑制された怒りが、物理的な力として現れていた。
「やめろ」明星が割って入った。
「ここで騒動を起こしても、誰の得にもならない」
クロウは明星を見上げ、嘲笑を浮かべた。
「ほう、今度は王族様のお出ましか」
彼は明星の正体を見抜いていた。
「俺たちがどれだけ苦しんでも、お前らは何もしてくれなかった。それなのに今更何だ?」
明星は言葉に詰まった。確かに、国境地帯の問題は長年放置されてきた。
蒼真はクロウの心を読もうとした。
*——家族を失った——*
*——王国の兵士に——*
*——理由は『不法入国の疑い』——*
*——何の証拠もなかったのに——*
蒼真の表情が苦痛に歪んだ。クロウの怒りには、深い悲しみと絶望が隠されていた。
クロウは蒼真の表情を見て、さらに激昂した。
「同情するな!俺はお前らの哀れみなんか欲しくない!」
彼の力が暴走し始めた。周囲の石畳にひび割れが走った。
「クロウ、落ち着け」検問所の兵士が剣を抜いた。
「また暴れるつもりか」
事態は一触即発となった。
その時、蒼真が前に出た。
彼はゆっくりとクロウに歩み寄り、両手を広げて無防備な姿勢を取った。
「何のつもりだ」クロウが警戒した。
蒼真は立ち止まり、深くお辞儀をした。そして胸に手を当て、痛みを表現するような表情を作った。
*あなたの痛みを理解したい*
心の中でそう語りかけた。
クロウは動揺した。
「理解だと?お前に何が分かる?」
蒼真は自分の喉を指差し、首を振った。そして耳を塞ぎ、目を閉じた。
*僕も長い間、声を失っていました*
*誰にも理解されない苦しみを知っています*
クロウの怒りが一瞬揺らいだ。
「それと俺の状況が何の関係がある?」
蒼真は地面に膝をついた。そして両手を合わせ、祈るような姿勢を取った。
*でも怒りだけでは、大切なものを守れない*
*失ったものは戻ってこない*
クロウの目に涙が浮かんだ。
「黙れ...黙れよ...」
しかし彼の力は次第に弱まっていった。
明星は検問所の隊長と交渉していた。
「隊長、この地域の移民政策について話があります」
「皇子殿下、しかし我々は命令に従っているだけで...」
「命令を出しているのは誰ですか?」
「それは...国境管理局の指示です」
明星は資料を取り出した。
「この地域の犯罪率と移民の関係を調べました。統計的に、移民による犯罪は全体の3%に過ぎません」
隊長は困惑した。
「しかし、上からの指示では移民は潜在的脅威として...」
「根拠のない偏見です」
明星は窓の外を指差した。そこでは蒼真がクロウと向き合っていた。
「あの青年を見てください。怒りに支配されていますが、本来は善良な人間です」
「でも、彼の力は危険です」
「危険にしているのは、我々の対応ではないでしょうか」
一方、蒼真とクロウの間に微妙な変化が生まれていた。
クロウは蒼真の前に座り込み、拳を握りしめていた。
「俺の妹は七歳だった」クロウが呟いた。
「病気で薬が必要だった。だから俺たちは王国に助けを求めた」
蒼真は静かに聞いていた。
「でも門前払いされた。『正式な手続きを踏め』って。そんな時間はなかったのに」
クロウの声が震えた。
「結局、妹は死んだ。俺たちが『正しい手続き』を待ってる間に」
蒼真の目からも涙が流れた。
「だから俺は怒ってるんだ。この国に。この制度に。お前らみたいな偽善者に」
クロウは蒼真を見つめた。
「でも...お前は違うのか?本当に俺たちのことを...」
蒼真は立ち上がり、クロウに手を差し伸べた。
クロウは戸惑ったが、やがてその手を取った。
二人が手を繋いだ瞬間、不思議なことが起こった。
蒼真の癒しの力とクロウの怒りの力が共鳴し、周囲に温かい光が広がった。
ひび割れた石畳が修復され、検問所の殺伐とした雰囲気が和らいだ。
「これは...」隊長が驚いた。
明星も息を呑んだ。
「沈黙の力にも、癒しと破壊の二面がある」明星が隊長に説明した。
「どちらを選ぶかは、我々の対応次第です」
蒼真はクロウを見つめ、心の中で語りかけた。
*一緒に戦いましょう。怒りではなく、愛で*
クロウは涙を流しながら頷いた。
「俺も...俺も変わりたい」
「でもどうやって?」
蒼真は町の方向を指差し、そこで苦しんでいる移民たちを見つめた。
*彼らを助けることから始めましょう*
*妹さんのような悲劇を、繰り返さないために*
その夜、町の宿で四人は今後の計画を話し合った。
「国境管理局の政策を変えるのは簡単ではない」明星が現実を語った。
「でも、現場から変えていくことはできる」
クロウが口を開いた。
「俺には移民たちとのコネクションがある。彼らの本当のニーズを把握できる」
蒼真は頷き、地面に文字を書いた。
『信頼の橋渡し』
「そうか」明星が理解した。
「クロウが移民側の代表として、蒼真が仲裁者として、俺が制度側との交渉担当として動くのか」
翌日から、三人は分担して活動を始めた。
クロウは移民キャンプで、人々の相談に乗った。彼の怒りは消えていなかったが、今度は建設的な方向に向けられていた。
蒼真は兵士と移民の間を行き来し、相互理解を促進した。
明星は上級官僚との交渉を続けた。
一週間後、小さな成果が現れた。
移民への医療提供が改善され、子供たちのための学校が設立された。何より、兵士と移民の間の敵対感情が和らいでいった。
出発の朝、クロウが蒼真に言った。
「お前に出会って、沈黙の本当の力を知った」
「怒りは破壊しか生まない。でも静寂は、新しいものを育てる」
蒼真は微笑み、クロウの肩を叩いた。
*あなたの怒りは正しかった。でも今は、その怒りを愛に変える時です*
クロウは力強く頷いた。
「俺はここに残る。この町を、本当の意味での境界線に変えるために」
「境界線?」明星が尋ねた。
「そう。分断する線じゃなく、つなぐ線に」
三人は感動した。
町の人々が見送る中、蒼真と明星は次の目的地へ向かった。
振り返ると、クロウが移民の子供たちに囲まれて、何かを教えていた。
「沈黙にも色々な形があるんだな」明星が感慨深げに言った。
蒼真は頷いた。
*癒しの沈黙と破壊の沈黙*
*愛の沈黙と怒りの沈黙*
*どれを選ぶかは、心次第*
国境の町に新しい希望の光が灯る中、民の守護者たちの旅は続いていく。沈黙の持つ真の力を理解しながら、一歩ずつ前進していく。
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