第十一章-沈黙の対話
月光が二人を照らす中、長い沈黙が続いた。
影月は息子を見つめていた。十二歳だった蒼真は、いつの間にか立派な青年になっていた。声こそ発しないが、その存在感は以前とは比べ物にならないほど強くなっている。
「蒼真...」
影月の口から、初めて息子の名前が優しく発せられた。
「お前は本当に変わった。いや...最初から、お前は正しかったのかもしれない」
蒼真は顔を上げた。父の目に、これまで見たことのない迷いが宿っているのを感じた。
「だが」影月は再び冷たい表情を作った。
「個人的な感情と任務は別だ。八咫烏隠密部隊の掟に従わねばならない」
蒼真は静かに首を振った。そして、自分の胸を指し、次に父の胸を指した。
*心はどこにあるのですか*
影月は息を呑んだ。息子の無言のメッセージが、言葉以上に鋭く心を突いた。
「覚えているか?」影月が突然口を開いた。
「お前が五歳の時、初めて超能力を見せた日のことを」
蒼真は驚いた表情を見せた。
「庭の池で溺れかけた子猫を、念力で救い上げた。お前は声を出して喜ぼうとしたが、やはり音にならなかった」
影月の声に、かすかな温かさが戻ってきた。
「その時、私は何と言ったか覚えているか?」
蒼真は記憶を辿った。確かに、父が珍しく優しい言葉をかけてくれた記憶がある。
「『蒼真、お前にはお前にしかできないことがある』...そう言った」
影月は苦しそうに表情を歪めた。
「なぜあの想いを忘れてしまったのだろう。なぜお前を拒絶するようになったのか」
蒼真は父に歩み寄った。そして、父の手を取った。
温かい手だった。武器を握り続けてきた手だが、確かに父親の手だった。
「蒼真...」影月が震え声で言った。
「私は八咫烏隠密部隊の隊長だ。任務を放棄すれば、掟により処刑される」
蒼真の表情が険しくなった。
「そして今、お前を殺すか、自分が死ぬかの選択を迫られている」
影月は懐から短刀を取り出した。
「もしお前を見逃せば、私は任務失敗の責任を取らねばならない。八咫烏の掟に従い、この刀で自分の命を絶つことになる」
蒼真は慌てて首を振った。そんな選択は間違っている、と必死にメッセージを送った。
「だが、お前を殺すことも、もはやできない」
影月は刀を見つめた。
「私は父親として、完全に失格だった。だがせめて最後は...父親として死にたい」
その時、蒼真が影月の手から刀を取り上げた。
影月は驚いた。息子が何をしようとしているのか分からない。
蒼真は刀を地面に突き刺すと、深く頭を下げた。
そして、父の前に跪いた。
*父さんが死ぬなら、僕も一緒に死にます*
そのメッセージが、言葉なくして影月に伝わった。
「馬鹿な!お前には守るべき人々がいるだろう!」
蒼真は微笑んで首を振った。そして父の顔を見つめ、胸に手を当てた。
*父さんこそ、僕が守りたい人です*
影月の目に涙が浮かんだ。
長い間封印してきた父親としての感情が、堰を切ったように溢れ出した。
「蒼真...私の息子よ...」
「待って」
突然、林の向こうから声がした。
朝霧が現れたのだ。蒼真の母は、夫と息子の間に立った。
「影月、あなたは忘れているわ」
「朝霧...なぜここに」
「八咫烏隠密部隊の掟には、『任務対象が国家に有益である場合の特例条項』があるでしょう?」
影月は息を呑んだ。確かに、そのような条項が存在した。
「蒼真の活動は、結果的に国力向上に貢献している。エルムスの例を見れば明らかよ」
朝霧は夫を見つめた。
「任務を『変更』するという選択肢があるのよ。蒼真を殺すのではなく、彼を『監視・指導』する任務に」
影月は考え込んだ。確かに、そのような解釈も可能だった。
「だが、第二皇子殿下の真意は...」
「殿下の真意は『国家の安定』でしょう?蒼真を生かしておく方が、結果的に国家のためになるかもしれない」
蒼真は両親を見つめていた。母の知恵と、父の葛藤。そして自分にできることは何か。
彼は立ち上がると、父と母の手を取った。
*一緒に王都に帰りましょう。全てを明らかにして*
三人が和解の道を探っている頃、王都では第二皇子・明星が次の手を打っていた。
「影月隊長から連絡はあったか?」
「いえ、殿下。予定では既に任務完了の報告があるはずですが...」
明星は苛立ちを隠せなかった。
「まさか、任務を躊躇しているのではあるまいな」
側近が恐る恐る進言した。
「殿下、影月隊長にとって、対象は実の息子です。多少の時間を...」
「甘い」明星は冷たく言い放った。
「私情で任務を遅らせるような者に、隠密は務まらない」
明星は決断した。
「第二部隊を派遣する。影月隊長が任務を完遂できないなら、隊長ごと始末しろ」
「ですが殿下...」
「『民の守護者』も、影月隊長も、既に国家の敵だ。容赦は無用」
第二皇子の冷酷な命令が下された。
エルムスでは、蒼真たち三人が王都への帰路について話し合っていた。
だが影月は不安そうだった。
「恐らく、第二皇子殿下は既に次の手を打っているだろう」
「どういうこと?」朝霧が尋ねた。
「私が任務を完遂しないことを想定して、第二部隊が派遣されている可能性が高い」
蒼真の表情が険しくなった。
「第二部隊の隊長は冷酷で有名だ。私や蒼真はもちろん、関係者も全て排除するだろう」
朝霧が青ざめた。
「雪花ちゃんも危険ということ?」
影月は重く頷いた。
「今すぐ彼女を安全な場所に避難させなければ」
その時、遠くで炎が上がった。宿屋の方向だった。
蒼真が駆け出そうとしたが、影月が腕を掴んだ。
「罠だ。恐らく雪花殿下を囮に使って、お前をおびき出すつもりだ」
蒼真は激しく首を振った。雪花を見捨てることなどできない。
「分かった」影月は覚悟を決めた。
「なら、最後の親子共同作戦といこう」
父と息子が、初めて同じ目的のために立ち上がった。
真の戦いは、これから始まる。
---
*続く*
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