第八章-心の闇と希望の光
翌朝、蒼真と雪花は領主の館へ向かった。
重厚な石造りの建物は、まるで要塞のように聳え立っている。門の前には多数の兵士が待機していた——明らかに彼らの到着を予期していたのだ。
「第八皇子の娘、雪花殿下ですね」
現れたレイヴァン領主は、四十代半ばの精悍な男だった。整った容貌だが、その目には冷酷さが宿っている。
「わざわざお越しいただき光栄です。しかし」
レイヴァンの視線が蒼真に向けられた。
「発声証明のない者を同伴されるとは、いささか軽率だったのではありませんか」
雪花が前に出た。
「レイヴァン領主、この方は王都公認の『民の守護者』です。あなたの統治について、重大な問題があることを伝えに参りました」
「問題?」レイヴァンは冷笑した。
「私の統治は極めて合理的です。発声能力のない者たちを適切に管理することで、この町の治安と効率は格段に向上している」
「管理?」雪花の声が震えた。「人を物のように扱うことが管理だとでも?」
「感情論は結構」レイヴァンが手を振ると、兵士たちが蒼真と雪花を取り囲んだ。
「殿下は若いゆえに理想に走られている。現実を見なさい」
兵士たちの輪が狭まる中、蒼真の脳裏に突然、古い記憶が甦った。
*「お前のような出来損ないが隠密になれると思うのか」*
父・影月の冷たい声。
*「言葉も話せない化け物など、この部隊には不要だ」*
隠密部隊の仲間たちの軽蔑の眼差し。
*「蒼真は普通じゃない。もう諦めろ」*
父の諦めきった表情。
蒼真の体が震え始めた。周囲を取り囲む兵士たちの顔が、かつて自分を拒絶した人々の顔と重なって見える。
*俺は...俺はやっぱり...*
足が竦み、動くことができなくなった。
「蒼真さん?」
雪花が蒼真の異変に気づいた。彼の顔は青ざめ、全身が小刻みに震えている。
「大丈夫ですか?」
だが蒼真は反応できなかった。過去のトラウマが彼を縛り付けていたのだ。
レイヴァンが嘲笑った。
「ご覧なさい、殿下。これが現実です。発声能力のない者は、いざという時に役に立たない。だからこそ、社会から排除する必要があるのです」
その言葉が、雪花の心に火をつけた。
「あなたは間違っている」
雪花の声は、これまで聞いたことがないほど強く響いた。
「蒼真さんは誰よりも勇敢で、誰よりも優しい人です。声がないことが弱さだなんて、そんな考え方こそが間違っている」
レイヴァンの表情が一瞬だけ動揺した。雪花の言葉に、予想外の力があったのだ。
「声がなくても心がある。言葉がなくても意志がある。あなたのような人にそれが理解できないのは、あなた自身に心がないからです」
「黙れ!」レイヴァンが激昂した。
「小娘が何を偉そうに!兵士たち、この二人を牢に放り込め!」
その時だった。
館の庭の向こうから、小さな影がこちらに走ってくる。森の集落の子供——トムだった。七歳になる少年で、生まれつき足が不自由だった。
「待って!」トムは息を切らしながら叫んだ。
「蒼真お兄ちゃんを捕まえないで!」
兵士たちが困惑する中、トムは蒼真の前に立ちはだかった。
「お兄ちゃんは僕たちを助けてくれた。お兄ちゃんは声がなくても、誰よりもやさしいんだ」
トムは蒼真を見上げると、小さな手を彼の手に重ねた。
その瞬間、蒼真の心に暖かいイメージが流れ込んできた。
*お兄ちゃんは僕のヒーローです*
*声がなくても、お兄ちゃんの心は誰よりも大きいです*
*お兄ちゃんがいてくれるから、僕は頑張れるんです*
トムの純粋な想いが、言葉ではなく心で直接伝わってきた。
蒼真の目に涙が浮かんだ。震えが止まり、体に力が戻ってくる。
*そうだ...俺は一人じゃない*
蒼真は深く息を吸い、ゆっくりと立ち上がった。
過去のトラウマはまだ心の奥にあったが、それを上回る力が湧いてきた。自分を信じてくれる人々の存在、守りたいものの存在。
レイヴァンを真っ直ぐに見つめると、蒼真は胸に手を当てた。そして集落の方向を指し、トムの頭に優しく手を置いた。
*この子たちを傷つけることは許さない*
言葉のないメッセージが、その場にいる全ての人に伝わった。
「ふざけるな!」レイヴァンが激怒した。
「兵士たち、今すぐその小僧どもを...」
だが、兵士たちの中に動揺が走った。蒼真の静かな威厳と、トムの純粋な勇気に心を動かされた者が少なくなかったのだ。
「領主様...」一人の兵士が躊躇いがちに言った。
「この子供は何も悪いことをしていません」
「私にも同じような息子がいます」別の兵士が呟いた。
レイヴァンの顔が紅潮した。
「命令に従え!私の命令だ!」
だが兵士たちは剣を抜こうとしなかった。
雪花が蒼真とトムの傍に立った。
「レイヴァン領主、あなたは力で人を従わせることしかできないのですね」
「だが蒼真さんは違う。言葉がなくても、人の心を動かすことができる。それが本当の力です」
蒼真はトムを抱き上げると、レイヴァンの前に歩み出た。恐怖はあったが、もう逃げるつもりはなかった。
彼は片手でトムを支え、もう片方の手で自分の心を指した。それから、レイヴァンの心を指した。
*あなたの心にも、きっと優しさがあるはず*
レイヴァンは一瞬怯んだ。蒼真の眼差しに、批判ではなく慈愛が込められていることに気づいたからだ。
「私は...私は間違っていない...」
だがその声は、先ほどまでの威厳を失っていた。
その時、森の方向から多くの人影が現れた。集落の人々だった。トムを追って、皆が館まで来たのだ。
「蒼真さん!」
「私たちも来ました!」
「もう隠れません!」
発声証明を持たない人々、身体に障害のある人々、様々な事情で町から排除された人々——彼らが堂々と姿を現した。
レイヴァンは狼狽した。
「お前たち、勝手に町に入ることは禁じている!」
だが、誰も引き下がろうとしない。
蒼真が彼らに向かって手を挙げた。*ありがとう*という感謝のジェスチャーだった。
そして振り返ると、レイヴァンに向かって深々と頭を下げた。
敵対するのではなく、理解を求める姿勢を示したのだ。
物語はここで新たな局面を迎えようとしていた。力と力の対決ではなく、心と心の対話が始まろうとしているのかもしれない。
---
*続く*
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