第四章- 沈黙の反逆



「蒼真、今度の任務は今までとは違う」


瑠璃王の声には、これまでにない緊張感が含まれていた。部屋の窓には厚いカーテンが引かれ、ろうそくの炎だけが二人の顔を照らしている。


「父上の寝所に忍び込んでほしい」


蒼真の身体が硬直した。王の寝所——それは王宮でも最も神聖で、最も警備が厳重な場所だった。


「父上の枕元にある書類箱に、王位継承に関する遺言書の草案がある。その内容を確認してきてほしい」


瑠璃王は蒼真の顔を見つめた。


「これが分かれば、俺はどう動けばいいかが見えてくる。兄上方に先手を打てる」


蒼真は首を横に振った。初めて、瑠璃王の命令を拒否する意思を示したのだ。


「なぜだ?」瑠璃王の声が鋭くなった。「今までずっと協力してくれていたのに」


蒼真は必死にイメージを送った。王への不敬、危険すぎる任務、そして何より——これは正しくないという想い。


だが瑠璃王は冷たく笑った。


「正しいかどうかなど、権力の前では意味がない。君だって分かっているはずだ。この世界では力のない者は踏みつけられるだけだと」


その言葉に、蒼真は痛みを感じた。確かに自分も、力がないために周囲から疎まれてきた。だが、だからといって——。


「君がやらないなら、他の方法を考えるまでだ。ただし」


瑠璃王の目が冷え切った。


「君がここまで知った秘密をどうするかは、また別の問題になるがな」


脅迫だった。蒼真は震えた。自分が信じていた理解者が、こんな冷酷な表情を見せるとは思わなかった。




翌日の夕刻、蒼真が隠密部隊の宿舎に戻ると、異様な静寂に包まれていた。


いつもなら母の朝霧が出迎えてくれるのに、今日は姿が見えない。嫌な予感を抱きながら母の部屋に向かうと——。


「母上!」


初めて声を発しようとしたが、やはり音にはならない。だが心の叫びは確かにあった。


朝霧が床に倒れ、脇腹から血を流していたのだ。まだ意識はあったが、顔は青ざめていた。


「蒼真...無事だったの...よかった」


朝霧は息子の顔を見ると、安堵の表情を浮かべた。


「狙われたのよ...あなたの存在が...王宮の誰かにとって...邪魔になったのね」


蒼真は震える手で母の傷口を押さえた。治療師を呼ばなければ——だが朝霧がその手を掴んだ。


「蒼真...聞いて...あなたはもう...選ばなくてはいけない...」


「誰かに利用されるか...自分の道を歩むか...私は...あなたに自分の道を...選んでほしい」


母の言葉が、蒼真の心に深く刻まれた。利用される道と、自分の道。今まで曖昧にしてきた選択が、ついに避けられなくなった。


治療師を呼び、朝霧の手当てをしてもらいながら、蒼真は決意を固めていた。


*もう誰かの都合のいい道具にはならない*




その夜、蒼真は瑠璃王の部屋を訪れた。


「来てくれたか。考え直してくれたのか?」


瑠璃王は希望的な表情を浮かべたが、蒼真の目を見て表情を変えた。


蒼真は懐から一枚の紙を取り出した。そこには、瑠璃王から聞いた秘密の数々が文字で記されていた。第三皇子の策略、第一皇子の弱み、王の健康状態——すべてが詳細に書かれている。


「それは...」


蒼真は紙を瑠璃王に差し出すと、首を横に振った。もう協力はしない、という明確な拒絶の意思だった。


「君は俺を裏切るのか?」


瑠璃王の声が震えた。怒りと同時に、深い失望が込められていた。


蒼真は悲しそうな表情を見せながらも、意思を変えなかった。そして、胸に手を当てて瑠璃王を指差した。「あなたの心」を意味するジェスチャーの後、手をバツ印にした。


*あなたの心は変わってしまった*


そのメッセージを受け取った瑠璃王の顔が、憤怒に歪んだ。


「ふざけるな!俺がどれだけ君を信頼していたと思っている!君こそ、最初から俺を利用するつもりだったのではないのか!」


蒼真は首を振ったが、瑠璃王はもう聞く耳を持たなかった。


「出て行け!二度と俺の前に現れるな!」


蒼真は静かに頭を下げると、部屋を後にした。廊下を歩きながら、涙が頬を伝った。言葉にできない悲しみが、胸を締め付けた。


初めて得た理解者を失った痛み。だが同時に、自分の心に正直に生きる道を選んだという、静かな誇りもあった。




瑠璃王との決裂は、蒼真にとって新たな危険の始まりでもあった。


翌日から、隠密部隊の仲間たちの視線がさらに冷たくなった。父の影月は息子と目を合わせることすら避けるようになった。


そして何より、王宮からの圧力が増していた。瑠璃王が秘密を暴露する可能性を恐れているのか、蒼真の身辺に不審な人影が付きまとうようになった。


母の朝霧を狙った刺客も、再び現れる可能性があった。


「蒼真、私たちは逃げましょう」


傷が癒えつつある朝霧が提案した。


「この国にいる限り、あなたは狙われ続ける。どこか遠い場所で、静かに暮らしましょう」


だが蒼真は首を振った。逃げることは簡単だが、それでは何も解決しない。そして何より——。


蒼真は窓の外の王都を見つめた。この街には、自分と同じように声を持たない者、力を持たない者がたくさんいる。彼らのために、自分の力を使いたい。


瑠璃王に利用されることなく、自分の意志で。


「そうね...あなたは逃げるような子ではなかったわね」


朝霧は息子の横顔を見つめて、微笑んだ。


「なら、覚悟を決めましょう。ただし、今度は誰にも利用されることなく、あなた自身の道を歩むのよ」


蒼真は頷いた。沈黙の中で育まれた反逆の心が、新たな物語の扉を開こうとしていた。




その夜、王宮では緊急の会議が開かれていた。王の容態が急変したのだ。


各皇子たちが慌ただしく動く中、瑠璃王だけは一人離れに籠もっていた。蒼真を失った今、情報収集の手段を失った彼は、兄たちの動きを掴めずにいた。


「くそ...あいつがいなければ、俺は何もできない」


瑠璃王は己の無力さを痛感していた。だが同時に、蒼真への憎しみも増していた。


*あいつのせいで、俺の計画は台無しだ*


一方、蒼真は母と共に王都の夜景を眺めていた。言葉こそ交わさないが、母子の間には深い理解があった。


嵐の前の静けさの中で、それぞれが次の行動を考えていた。


王位継承を巡る争いが本格化する時、蒼真は果たしてどのような道を選ぶのか。


沈黙の反逆は、まだ始まったばかりだった。


---


*続く*

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