夢だったの

 処刑が終わって、輝夜は血まみれの服を着たまま、行きと同じように大きな馬車に詰め込まれて運ばれた。輝夜に用意された席にはなめした革が敷かれていて、おそらくそれは血まみれの服から座席に血が移らないようにとの配慮だろう。

 テトラは行きと変わらない態度で隣に座っていたけれど、周りの男たちは、心なしか輝夜から離れるように座っていた。


 城について、馬車を降りる。遠くの方から、レーデがこちらの方を見ているのが見えた。しかし目は合わない。隣に立つテトラに目を向けると、テトラはこちらから目をそらした。


「行きますよ」


 そう言ってさっさと行ってしまったテトラの背を追って、輝夜は小走りする。服についた血は乾き始めて、動くとごわごわとした。


 テトラが輝夜を連れて行ったのは、昨夜輝夜が使った、共用の浴場だった。


 前回身体を流した時と同様に輝夜だけ通されて、テトラは扉の外で待っている。身体についた血を流したいと思っていたので、ありがたい。血のついた外套を外して、脱衣籠に入れる。上衣に付けられた金色のボタンを一つずつ外していく。上衣の前をはだけると、真っ赤に染まったシャツが現れる。上着の袖から腕を抜こうとして、輝夜はその動きを止めた。


 無表情をこちらに向けたまま、テトラが輝夜に向かって歩いてきたのだ。彼に刺すような視線を向けて、輝夜は一歩、後退る。


「どうしたの……?」


 テトラは何も言わなかった。無言でこちらと距離を詰めてくる。輝夜も彼の圧に押されて一歩、二歩と後ずさり、しまいには壁に背をぶつけて動きを止めた。


「テトラ……?」


「なああんた、誰だ?」


 テトラは輝夜を見下ろして、低い声で喉を揺らした。輝夜は反射的に後ろへ一歩引こうとして、壁に頭をぶつけて呻く。


「な、えっ、なに……?」


「暗夜様は、あんなにきれいに殺さない。魔物だって絶対に逃がさない」


 地を這うような、低い声。輝夜がなにか言うよりも先に、彼の手が、輝夜のシャツの裾をまくりあげた。

 服の中から現れる、血の色に染まった白い皮膚。


「傷がない。お前誰だ? 暗夜様はどうした」


 輝夜を射殺すような、強い視線を向けられる。


「ぼくは……」


 輝夜は言葉を詰まらせて、床の上に視線を這わせる。視線をテトラに戻すと、彼はこちらに顔を寄せて、輝夜の顔の隣にある壁を拳で叩いた。


「答えろ」


 怯えた表情でテトラを見上げた輝夜の目は、しかしすぐに彼からそらされて、脱衣所から外につながる出入り口の方に向けられた。外から、誰かの足音が近づいてくる。


 輝夜の視線につられて、テトラもそちらを見た。外から、長身の人影が脱衣所へと滑り込んできた。


「テトラ、外までおまえの声が聞こえているぞ。少し静かにしてくれないか」


 輝夜が着ているものと同じ、白い服。長い黒髪。レーデだ。彼は二人のそばまで来て、立ち止まる。手には暗夜の服を持っていて、それを見た輝夜は、ここに着替えを持ってきていなかったことを思い出した。レーデはテトラにそれを差し出す。テトラは眉間にしわを寄せてそれを受け取って、そばにあった椅子の上に投げ置いた。


「彼女はわたしの娘だよ。なあ輝夜」


 レーデの言葉。誰かに似た彼の目と、輝夜の目が合う。ああそうだ、この目は、暗夜に――自分に、よく似ているのだ。


「は……」


 唇から、掠れた声を漏らした輝夜。彼女が次の言葉を放つ前に、テトラが大きな声をあげてそれを遮った。


「むすめ……? おんなの……はぁ!? 嘘だろ」


 テトラの不躾な視線に平らな胸元を撫でられて、輝夜は一歩、テトラの方へ足を踏み出して彼に顔を近づけた。


「嘘じゃない! 女の子だもん!!」


 輝夜の圧に押されてのけぞるテトラ。彼の目は宙を泳ぐ。


「今朝から……?」


「昨日から! 昨日きみ、ぼくの裸みたろ! 何も思わなかったの!?」


 輝夜の怒声。レーデは何も言わなかったが、冷たい視線をテトラに向けた。二人の鋭い視線を浴びて、テトラはもう一歩、後退る。


「いや、その……はい」


「ひどい! 見てわかんないなら触る!? 絶対ぼく女の子だもん!」


 輝夜がテトラの腕を捕まえた。自分の身体に向けて彼の腕を引く。テトラは輝夜の手から逃れようと、身体ごと手を引こうとする。


「ウワァァア! わかったから! やめてください! ウワァァ!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぎながらテトラの手の奪い合いをし始めた二人に、レーデが静かな声を投げた。


「二人とも落ち着け。外に聞こえる」


『――はい』


 異口同音に、二人の喧嘩は鎮火した。


 レーデは静かに息を吐いて、しょんぼりとしている二人を見る。


「とりあえず、今はあまり時間がない。後で部屋に行く。詳しい話はそこでしよう」


 そう言って踵を返した。


「じゃあぼく、お風呂入るから、その、テトラ……」


「ああはい、おれ外で待ってますね。話は後で。全部話してもらいます」



 身体を流してさっぱりとした輝夜と、輝夜から少し離れた位置をぶすくれた顔で歩くテトラ。二人が暗夜の部屋に着くと、レーデはもうすでに中にいて、暗夜のベッドに腰掛けて待っていた。


「輝夜」


 輝夜を見て、レーデがぎこちなく目を細める。室内に入り、扉を閉める。二人が彼のそばに立つと、レーデは輝夜の方に向き直った。


「それで輝夜、きみはどうしてここに?」


「……暗夜が、ぼくと変わってほしいって。半月だけでいいからって。それでぼく、ここに来たんだ」


 小さな声で答える。レーデの黒い瞳に目を向けると、その目はふわりと逸らされた。


「――いま、暗夜はぼくの代わりに壁の国にいる。暗夜にとってどうかはわからないけど、ここにいるよりひどい目には合わないと思う」


「そうか。暗夜とはどこで会ったんだ?」


のすぐそばの、壊れた家で。ぼく、そこでたまに星を見てたんだけど、暗夜もそうみたいで、偶然会って」


「……」


 レーデは押し黙った。

 輝夜は隣で同じく沈黙しているテトラに目を向けた。


「ねえテトラ。……騙しててごめんね」


「いや、その、おれは……」


 テトラが背の高い身体を揺らして、うろたえた様子を見せた。束の間身体を揺らしてから、輝夜の目をまっすぐに見つめ返してくる。


「あんたが話したことが本当なら、別にいいです。――暗夜様の、意思なら」


 テトラの言葉に、輝夜は頷いて返す。レーデの方に向き直る。


「ねえ、なんでぼくと暗夜は離れたの?」


 レーデはゆっくりと、目を伏せた。

 レーデは、低い声で語った。自分と、輝夜の母親との話を。



 わたしたちが出会ったのは、きみたちが産まれる二年ほど前のことだ。わたしは盾の国の二番目の王子として、職務につく前だった。他の王子たちと違って、防護壁の外に出たがる変わり者と陰で言われていたな。近縁者の中で唯一の理解者は、五番目の弟のキーナだけだった。


 次期王にはデオン――一番目の王子がなると決まっていたから、その下の王子たちは、ほとんど放任されていた。護衛もつけずに頻繁に防護壁の外へ出ても、何も言われなかった。


 キーナとふたりで外を散策していた時に、きみたちが出会ったように、わたしたちはあのぼろ屋で出会ったんだ。


 一目ぼれだったんだ。彼女もきっとそうだ。わたしはひとりで彼女のもとに通い詰めて、恋人になった。それで、きみたちができた。


 きみの母親、セイカは当時、王になる前に壁の外の様子を見るために、そこで暮らしていると言っていた。出会ったときは人間だと思っていたし、これは、きみたちが産まれる直前に聞いたことなのだが……


 びっくりしたよ。人間と見た目が変わらないんだ。言われても、信じられなかった。


 きみたちが産まれてすぐのある時、ぼろ屋に大きな黒い魔物が来たんだ。セイカの従者で、彼女を迎えに来たと。


 一緒に壁の国に来ないかと言われた。過ごしていて息が詰まる盾の国にいるよりも、大切に思うひとがいる壁の国に逃げたほうが、幸せなんじゃないかと思った。だからわたしは、それを承諾した。


 けれど、それは叶わなかったんだ。数人の兵士が来て、セイカに襲い掛かって来て、わたしとセイカは引き離されて、わたしは、抱いていた暗夜と一緒に城へ連れ戻された。セイカたちを追った兵士たちは帰ってこなかった。


 暗夜が殺されるのだけは避けたかった。彼が生きていれば、壁の国への抑止力になるといって、無理やりに丸め込んで、いま、この状態になっているんだ。きみの存在は、多分、誰にも知られてないよ。引き離されるまで一瞬のことだったし、こちらにいた兵士たちは、誰もきみに気づいていなかったから。



 レーデの語りが終わっても、輝夜はしばらくの間口をつぐんでいた。レーデもそれ以上は何も言わず、部屋は束の間静まり返った。輝夜の隣でテトラが居心地悪げに身じろぎをする。その小さな音に弾かれるように、輝夜は伏せていた顔を上げてレーデを見た。


「……色々と、言いたいことも聞きたいこともあるけど……」


 言い淀みながら、レーデの方へと半歩進み出る。レーデの隣に座ると、ベッドが軋んだ音を立てて長身が揺れる。その腹に腕を回して、輝夜はレーデの胸に顔を埋めた。


「少しだけ甘えてもいい?」


 顔を埋めた布地に吸われて、くぐもった輝夜の声。


「会ってみたかったんだ。ぼくの夢だったの。――おとうさん」


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