孤高の美少女ギャル、私限定でデレすぎ問題

Laura

第1話 孤高の美少女ギャル、無関心キャラのはずが私限定でデレ発覚問題

 鷹宮柚たかみやゆず——。

 公立・水明すいめい高等学校一年二組の、たぶんいちばん有名な人。いや、伝説といっても差し支えない。入学式の日から何かが違っていた。黒髪は艶のあるストレートで、肩の少し下。制服の着崩しは最小限、でもスカーフの結び目とか、ピアスの代わりに小さな銀のイヤーカフとか、小技だけで空気が変わる。廊下ですれ違うと、ほんの一秒、周りの音が薄くなる感じがする。


 けど、目を引くのは見た目より態度だ。

 彼女は、誰に対しても、まっすぐ「無関心」。必要なときだけ口を開く。国語の先生が当てても、「……はい」と低い声。クラスメイトに話しかけられても、眼差しは澄んだまま、波風立てない一言で終わる。笑ってるの、見たことない。恋バナ? 興味なさそう。昼休み? ひとりで窓辺、パンと牛乳で完結。

 そんな人。


 私は——宮坂みやさかひな。普通の公立高校にいる、普通の女子高生。身長平均、髪は肩にかかるくらい。成績は中の上。部活は帰宅部。入ろうかな、どうしようかなって悩んでるうちに四月が終わった。

 クラスの端っこで、友だちとお昼にコンビニのおにぎりを分け合う側の人間。

 だから、鷹宮さんが私の世界の中心に入ってくることは、ない——はずだった。


 四月の最後の週、当番表の入れ替えがあって、私は黒板係になった。よりによって、同じ枠に印字されていたのが「鷹宮」。当番表を見た瞬間、思わず心のなかで「嘘でしょ」と口が動いた。運命って、たまに悪ノリする。


 掃除時間になって、私はチョークの粉が舞う黒板の前で雑巾を絞った。緊張のせいで力が入りすぎて、バケツから水がぴちぴち飛ぶ。

 そこへ、彼女が来る。静かに歩いてきて、静かにバケツの位置を窓際に移し、黒板消しを一つ手に取る。その所作一つが、無駄に映画。


「……宮坂」

 低い声で、私の名字だけ呼ぶ。

「はいっ」

 反射で声が裏返る。恥ずかしい。

「上、私。下、お願い」


 それだけ言って、彼女は黒板の上段に手を伸ばした。無駄がない。淡々としている。うん、うん、噂どおり。私は下段を拭きながら、横目でちらちら彼女を盗み見る。

 近い。香りは無い。いや、ほんの少しだけシャンプーの匂いがするけど、それより空気そのものが澄んだ感じ。


 私の視線に気づいたのか、彼女は一瞬だけ横を見た。

「……何」

「い、いえ。黒板、すごい手際だなって」

「ふつう」

 即答。会話、終了。

 はい、これが鷹宮さん。必要最低限。悪意ゼロ。愛想もゼロ。

 私は心のなかで頷いて、再び雑巾を走らせた。


 それから数日、当番のたびに私たちは横に並んだ。会話は増えない。けど、私に対してだけ、妙に動作が丁寧だということに、少しずつ気づく。

 バケツを持つと、取っ手の向きを私に合わせてくれる。黒板消しを渡すとき、チョークの粉が私の手につかないように、わざわざ端っこを持ってくれる。

 ……これは、気のせい? いや、気のせいでこんな細かい優しさが連続するか? 他の子に黒板消しを渡すときは、普通にポンって置いてたよね?


 授業中にも、ちょっとした事件があった。

 数学でノートを取っていたら、前髪が目にかぶさって、式が歪んで見える。黒板の四次関数が三次関数に見えるくらい重症。……いや、それは私の数学力の問題。

 手で前髪を払うと、また落ちてくる。うん、今日はピンを忘れた。

 そのタイミングで、前の席の鷹宮さんが、音もなく振り返った。

「……宮坂」

「なに?」と小声で返すと、彼女は筆箱の横に置いてあった小さな金属の箱を開けた。中にはシンプルなヘアピンが数本、きちんと並べてある。

「前、落ちてる」

「あ、これ? うん……今日はピン忘れちゃって」

「……」

 返事の代わりに、彼女は席を立った。先生が黒板に向いている隙、教室のざわめきの中で、彼女は私の机の横に立つ。そして、ためらいもなく、私の後ろへ回った。

 心臓が、ばくん。

 突然、頭の後ろにひんやりした指の感触。肩まで落ちてきた自分の髪に、細い指がすっと差し入る。

「ちょ、ちょっと!?」

「動かないで」

 囁き声。耳に近い。近いどころじゃない、首筋に息がかからないように配慮しているのがわかる距離。右手で髪をまとめ、左手でピンを添える。金具が、カチ、と小さく鳴った。

「……これで」

 彼女の手が離れる。ふわっと髪が軽くなる。前は視界が開けて、黒板がくっきり戻ってきた。

 教室の時間はそのままなのに、私の時間だけ一瞬止まってたみたい。

「ありが……」と小声で言いかけた私に、彼女はいつもの無表情のまま、もう一度箱からピンを取り出して、今度は横のはねてる毛も留めてくれた。

「これで、粉、つかない」

「え、ちょっと、そんな、プロ?」

「ふつう」

 ふつう、なの……?

 周囲は誰も気づかない。先生も黒板だし、クラスメイトはノートに必死。私だけが、世界の色味を変えられている。


 席に戻る前、彼女はほんの少しだけ、私の目を見た。

 その瞬間、微かな変化があった気がした。無表情の表面に、温度が一度だけ上がる。

「……宮坂」

「う、うん?」

「似合う」

 言った。言いましたよね今。

 それはたぶん、世間一般でいうところの、褒め言葉。

 頭の中で編集会議が始まる。「いやいやいや無関心キャラどこ行った」「褒めるの!?」「距離近いのに褒めるの!?」「いやありがとうございます!」

 口から出たのは、「あ、ありがと……」のひと言だけだった。情けない。


 その日のお昼、私は友だちの亜美あみにその話をした。

「え、それってさぁ……」

「いや、違うでしょ。たまたま、髪が邪魔そうだったからで」

「“似合う”は、たまたまじゃ言わん」

「う」

「てかさ、鷹宮さんって、誰にも興味ないんじゃなかったっけ?」

「ないはず」

「なのに、ひなにはピンをつけて“似合う”って?」

「やめてやめて、言語化しないで、心が追いつかない」

 机に突っ伏す私の横で、亜美は「ふーん」と意味ありげに笑った。

「じゃあ、確認しよ。今日の掃除、様子を見る」

「え、観察対象にするの? 人としてどうなの?」

「科学の一歩は観察からです」

 理系のくせに都合のいいときだけ科学を持ち出す。けど、私も内心、少し知りたいと思っていた。「気のせい」なら、楽だ。もし「気のせいじゃない」なら——。


 放課後。

 ホームルームが終わり、クラスの半分が部活へ散っていく。掃除当番が集まり、私は黒板前へ。鷹宮さんは窓辺から立ち上がり、いつものように黒板消しを二つ持つ。

 亜美はモップ係を買って出て、さりげなく私たちの近くを往復していた。さりげなさがうるさい。


 私は当番表どおりに下段を拭いていたけれど、今日は前髪も横髪も完璧。ピンの効果、すごい。

 鷹宮さんは上段を拭き終えると、バケツの位置を足で少し寄せた。水が跳ねないように、そっと。同時に、私の袖口が濡れていないか一瞬ちらっと見る。

 ……はい、今の、優しさポイント。気のせい? いや、他の人にはしない視線だよね?


「……宮坂」

 まただ。

「な、なに?」

「チョーク、付いてる」

「え?」

 彼女の視線の先、私の頬。指先で示される。

 ティッシュを探そうとポケットに手を入れた瞬間、彼女の手が先に伸びた。

 袖の内側で指先が一瞬冷たく触れて、チョークの白をやさしく払う。

「……取れた」

「と、取れた、ありがとう」

「うん」

 うんって言った。返事、かわいい。いや何を言ってるの私。


 掃除が終わり、黒板は黒板らしい黒に戻った。

 バケツの水を捨てに行くとき、彼女は取っ手の重心をこちらに向けたまま、片手で支えてくれた。手がぶつかる。ぶつかったけど、彼女は気にもしない顔で、しかし確かに力を添えてくる。

 階段を降りるとき、彼女の髪が肩に揺れて、光を弾いた。私はそれを見て、なぜか安心する。意味不明だ。なにこの感情。誰か訳して。


 昇降口に戻ったとき、亜美が廊下の曲がり角からぬっと現れた。

「報告どうぞ」

「やめて探偵みたいな登場」

「で? どう?」

「……やさしかった」

「具体」

「バケツと、チョークと、視線と、距離と、あと」

「あと?」

「……触れた」

「はい確定」

「何の?!」

「“私限定でデレすぎ”」

「やめてタイトル回収みたいな断定やめて」

 言いながら、私は靴を履き替える。外は夕方の光で、昇降口のガラスがオレンジ色に染まっていた。

 ふと見ると、鷹宮さんがまだ教室のほうに戻ろうとしている。何か忘れ物だろうか。私は咄嗟に声をかけた。

「鷹宮さん!」

 立ち止まる彼女。振り返る黒髪。

「きょ、今日、ありがとう。髪、あの……助かった」

「……うん」

 小さく頷いて、彼女は数歩、私のほうへ戻ってきた。そして、少しだけ周りを見回す。昇降口にいるのは、私と亜美と、遠くで部活帰りの男子数人。距離はある。

 彼女の瞳が、私に真っ直ぐ合う。

 いつもの無表情。だけど、ほんの一滴だけ、蜜みたいな甘さが混ざる。

「……ひな」

 ——名前で呼ばれた。

 私の世界の足元が、ぐにゃ、と柔らかくなる。息が浅くなる。

「ピン、似合ってる。……つけていて」

 言い切る前に、彼女はポケットから小さな包みを取り出して、私の手に押し込んだ。

 開けてみると、さっきの箱に入っていたのと同じ、黒の細いヘアピンが二本。

「え、これ」

「予備。……落としたら、困るでしょ」

「いや、でも、これ、鷹宮さんの——」

「柚」

「え」

「……呼ぶなら。私、柚」

 心臓がうるさくて、しばらく言葉が出なかった。

 背後の亜美が空気を読んで、そっと柱の影に隠れる気配がする。ナイス親友。

「……ゆ、柚。ありがとう」

 口にしてみたら、思っていたよりもずっと、名前は近かった。

 彼女——柚は、ほんの少しだけ、目尻をやわらかくした。笑った、というほどではない。でも、私にはそれで十分すぎる。


「また明日」

 それだけ言って、柚は踵を返した。去っていく背中は相変わらず孤高で、誰にも依存していないように見える。けど、今、私の手の中には、彼女がくれた小さなピンが二本、確かにある。

 軽い。けれど、それが示すものは、やけに重い。


 亜美がそっと戻ってきて、私の肩を肘でつついた。

「——で?」

「何も言わないで。今、脳が忙しい」

「“柚”って呼んだね」

「呼んだ……呼ばされた……いや、自分で呼んだ」

「どう考えても、ひな限定で甘い。証拠、揃いました」

「やめて裁判しないで。私は被告じゃない」

 でも、認めざるを得ない。

 孤高の美少女ギャル。無関心キャラのはずなのに、どうしてか私にだけ——。


 家に帰って、机の引き出しのいちばん手前に、もらったピンをしまった。明日の朝、忘れないように。

 ベッドに倒れ込んで、天井を見上げる。今日だけで、世界の見え方が少し変わってしまった。

 スマホが震えて、亜美からメッセージが来る。

《明日、観察続行》

《やめて観察とか言わないで。心臓に悪い》

《タイトル案:孤高の美少女ギャル、私限定でデレすぎ問題》

《やめて、それ本当にタイトルにする気?》

《いいじゃんバズるよ》

 私は苦笑して、スタンプを返した。


 目を閉じると、首筋に残った微かなひんやりと、耳元で低く落ちた声が蘇る。

 ——ひな。

 自分の名前が、こんなにも甘く聞こえたことがあっただろうか。


 私は布団の中で小さく丸くなって、顔を隠した。

 孤高の美少女ギャル、鷹宮柚。

 無関心キャラのはずが、私限定で——いや、これはきっと、勘違いじゃない。

 問題は、ここからどうなってしまうかということ。


 明日、学校に行くのが、少し怖くて、ちょっとだけ楽しみだった。

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