第2話 霊安室で
裁いても裁いてもまるで終わる気配のない決算書の処理に大場秀人は思わず天を仰いだ。見えるのはややくすんだ天井と蛍光灯だけ。周りの部下たちも脇目も振らずにPCのモニターを睨んでキーボードを叩くか、電話応対をしている。
「はい、電話変わりました、融資営業部第三課の森下でございます」
分かっていたことだが、年度末、3月の信用金庫には駆け込み融資依頼が怒涛の如く殺到する。それを踏まえて前倒しであちこちの企業に融資依頼はないか確認しているのだが、それぞれ事情があって、結局ぎりぎりに書類の束を抱えてやってくる。この後も融資営業部長である秀人は3件の企業訪問の予約がある。条件とか確認しとくか、とファイルを開こうとした時、回線電話ではなく、自分のスマホが鳴った。一瞬ためらって、相手の番号を見る。幸広からだ。
「はい、どうした? ……え? ええ、はい、……警察? ……なんですって!! わ、わかりました、折原総合病院の整形外科ですね、はい、はい…」
彼の頭の中が今受けた知らせの内容で爆発しそうになった。鼓動が自分で驚くほど速くなり、それと反比例して脳がほとんど機能しなくなった。しどろもどろな説明を課長職の者に告げて、急ぎ足で会社を飛び出して、大通りでタクシーを拾うために歩道に立った。午前中の太陽はまだ低く、彼の影が長く黒く伸びていた。
秀人はもう2時間以上、折原総合病院の地下一階にある霊安室の椅子に座っていた。薄明るい部屋には5つの簡易ベッドがあって、そのうちの3つに、里美、恭香、幸広が並んで横になっている。壁にかかっている時計は5時30分を指している。一番若く、野球部で鍛えて体力のあった幸広は3時ぐらいまでなんとか息を保っていたが、幾つもの内臓が破裂していて、どうにもならなかった。秀人は幸広と一緒にここに来た。そして、まだその意味が掴めていない。
「秀人」
入ってきたのは姉の恵梨香だ。既に両目を真っ赤に腫らしている。姉さん、と返事をした時、感情の決壊が起こった。泣いてもいいんだった、と気づいて、秀人は両目から涙を溢れさせた。恵梨香は隣に座って、こんなことが起こるなんて! と叫んで、弟の震える肩を抱いた。秀人は大声で叫んだ。
「ちくしょう!! どうしてこんなことが起こるんだ!!! 里美を、恭香を、幸広を返せぇええぇぇ!!!!」
彼は勢いよく立ち上がった。そのタイミングで、医療スタッフと思われる男性が4人ほど入ってきた。秀人はますます興奮し、椅子を蹴飛ばし、霊安室の壁を両手で何度も叩きはじめた。恵梨香が背中から抱きつき、その周りを男性たちが囲んでなんとか落ち着かせようとした。その騒乱の声はドアが閉まっている霊安室の外の廊下にまで響き渡っていた。どこからか、カーン、コーン、コン、と乾いた音が聞こえてくる。虚空が鳴らしている、その音を。
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