番外編 翔吾の決意

 ガラスケースの中で、ひときわ柔らかく光る粒があった。


 満月のように白く丸い真珠。そのすぐ上に、小さなダイヤがひとつ、星みたいに瞬いている。

 決して派手じゃない、彼女そのものを映しているような雰囲気と確かな存在感。

 チェーンはプラチナで。きっと夕月の肌に映える。


 ──これだな。

 



 その瞬間は、突然訪れた。

 たった一年と少しで、多分自分の人生を丸ごと変えた、優しい匂いのただいまとおかえりの応酬。


 今日、寒かったね。雪降るかもって。


 その声の隣に一生立つ為に、きっと伝えないといけないことがある。

 その時ぽかんと心に浮かんだ気付きは、やがて決意に変わって行った。





「どなたか大切な方への贈り物ですか?」


 柔らかい声が近づいてくる。

 ケースを開ける男性店員の左手の薬指に造りの良い指輪がはまっているのが見えた。


「……恋人に。」

「素敵ですね。贈られるのはお誕生日でしょうか。」

「いや、」


 その言葉を口にすることに僅かに抵抗があった。


「……結婚、したくて。」

  



 日々染み込む愛しさと決意の陰に、止めておけと囁く声がずっとあった。


 夕月の手が触れるたび母を思い出し、鏡を見るたび父を思い出した。

 どうせ同じことを繰り返す。結婚なんて不幸しか呼ばない。

 それは物心がついた頃からずっと刻まれた呪いだった、

 泣き叫ぶ母、絶え間ない痛みと寂しさ。硬い靴音と共に出て行った父の背。

 やがて母は息子の記憶を失い、再会した父は「好きにしろ」としか言わずに冷たいクレジットカードに姿を変えた。


 そんな断絶を乗り越える自信は無かった。

 それでも、夕月の側に在り続ける為に必要な約束なら。





「プロポーズでしたら、ネックレスだけでなく、リングもご覧になりますか。」


 輝く石が並んだ指輪の列を店員の手が示した。その手にも指輪が光っている。


「あの、結婚って……、奥さんって、今幸せですか。」


 思わずずいぶん失礼な事を聞いてしまっていた。


 男性店員は目を瞬かせ、それから柔らかく細めた。


「……さて、幸せかどうかは、本人が決めることですから。」

「そうですよね、すみません。俺、」


 店員は、一度視線を落とし、左手の指輪を撫でた。


「何でも願いを叶えてやれる訳でありませんが、不幸ではないと信じています。」


 手を止めて答えた彼の言葉は、セールスの為のものには聞こえなかった。

 



 たった一度、終わるかもしれないと思ったときがあった。


 投げ出して放ったらかした過去が、彼女に牙を剥いた日。

 その尊厳をずたずたに引き裂かれた夕月は、翔吾を見て怯えた。


 側にいない方が夕月は幸せになれると思った。


 ──糞親父が母さんを捨てた時もこんな気持ちだったのか。


 それに気付いたのは夕月が再び自分に手を伸ばし、泣きながら抱き合った、そのずっと後だった。


 父は、家族を幸せに出来なかった。

 自分は。

 もう一度彼女の手を取れた自分は、その先に手を伸ばしても許されるだろうか。

 



「……やっぱり、ネックレスで。石のついた指輪は、仕事の邪魔になるかも知れないんで。」

「かしこまりました。では、先程ご覧になって頂いたこちらになさいますか。」


 手袋をかけた店員の手がトレイにネックレスを乗せる。

 改めて見た真珠のネックレスは、やはり大振りのダイヤの指輪よりも夕月に似合うと思った。


「これで、お願いします。」

「かしこまりました。では、こちらをご用意させて頂きますね。……お支払い方法は、いかがなさいますか。」

「現金で。」


 即答した。

 


 これだけは、ずっと前から決めていた。


 父のカードに頼れば、百万もするようなもっとずっと高価な物が選べた。でも、そんなもの何の意味もない。


 自分で選んで、自分で贈る。


 その為に夕月には内緒でバイト代を貯めた。

 百万のダイヤモンドより一粒のまろい真珠を喜んでくれる、夕月はそんな人だということは信じられた。




 店の前までショップ名の入った紙袋を持って来た店員が、深く会釈をした。


「お客さま。真珠は、日々の些細なお手入れでいつまでも美しく輝かせる事ができます。繰り返しになりますが、汚れたら拭う程度で良いのです。……きっと、お客さまとお相手さまに、よくお似合いになります。どうか末永く、大切になさって下さい。」


 その笑顔は、入店した時の営業用の笑顔とは違っていた。


「……ありがとうございます。」


 彼と同じ角度に1度頭を下げて、ようやく受け取った紙袋は、その小ささに見合わずずしりと重かった。

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