第12話 留年危機

 珍しく明るい時間に夕月の部屋に帰ってきた翔吾は、肩を落としていた。


「夕月ー、俺ダブるかも。」

「えっなんで!」

「いや、普通に……。今までフケてたから……。」

「だから留年するよって言ったんじゃん……!」


 夕月と翔吾が通う社会福祉科は割と忙しい。

 必修科目は沢山あるし、資格取得を目指せばさらに増える。


 以前、何故目標なく福祉系に進学したのか訊ねた時、翔吾は何気なく「馬鹿だったから」と答えた。

 その時は志して学んでいる夕月にとっては失礼な話だと思ったが、最近は翔吾の取り組み方が変わり始めていた。


 翔吾がリュックから取り出したのは夏の補講計画と大量のDVDとBD。


「ここってDVD見れる?」

「見れるけど、それどうしたの?」

「これ見て、まとめと感想のレポート書く。この中から最低5本、映画1本で1コマ分。他にも、色々。」

「夏休みの宿題みたいだね……。」

「俺は小学生かよ。」


 肩を落とした翔吾を笑いながら、夕月がDVDを手に取って見ている。


「あ、これ見た事ある。こっちも。」

「まじで? 笑えるやつ?」

「いや、むしろ笑えないやつかな…。翔吾には無理だと思う。違うやつ選んだ方がいいよ。」


 夕月が珍しくはっきり言い切った。さっと数本選んでリュックに勝手に戻してしまう。


「え、何だよ、その言い方。俺だって講義はサボってたけど映画くらい見れんぞ。」


 わずかに険を孕んだ翔吾の声に、夕月がぱっと顔を上げた。

 2人の視線がぶつかり、やがて、どちらからともなく眉を下げて、笑い合う。


「ごめん、言い過ぎた。……でも、私はやっぱり見てほしくない、かな。」

「本当に無理だったら諦める。でも、俺今頑張りたいと思ってる。から、……夕月が良かったら、一緒に見て。」




『お母さん! お母さん、ごめんなさい……!』


 決して広くない夕月の部屋に、男の子の泣き声が響いている。


 画面の中では、演技派女優が、下着姿の子役をベランダに蹴り出して鍵をかける所だった。

 何度も男に騙されて、父親の分からない子どもを産んだシングルマザーは、やがて子どもを虐待死させる。その事件を雑誌記者が追うというストーリーだった。

 事件の再現部分は淡々と凄惨に描かれている。


 マグに温かいココアを淹れて、2人でタオルケットにくるまって再生した。


 映画を見ながら、翔吾は何度も大きく息を吸って吐いた。

 その度に夕月はその手を握り、翔吾も強く握り返した。自分の今を繋ぎ止めるように。


 翔吾は詳しくは語らなかったが、彼が難しい育ち方をした事は夕月も知っていた。


「翔吾、もう止める?」

「……いや、まだ大丈夫。」


 翔吾は目を逸らさずに画面を見ている。

 目をすがめた横顔を見つめても誰に感情移入しているのか、夕月には分からなかった。

 やがてスタッフロールが流れ始めて、翔吾も夕月も大きなため息をついた。


「見れた……。けど、レポート書くのは無理かも。」

「うん。頑張った。」

「……悪い。手、痛かったろ。」


 中盤からずっと握り締められていた夕月の手は、血の気が引いて白くなっていた。


「大丈夫だよ。……気になる所あった?」

「あー……、途中でさ、母親が子どもに『お前もどうせ男になるんだ』って言っただろ。」

「うん。」

「俺もさ、ずっと他の女、の子と、なんかそういう……。子どもできるかもとか、知らないうちに加害者になるかもとかって考えた事なくて……。」

「……うん。」


 夕月は静かに頷いた。翔吾は考えながら言葉を紡いでいた。


「子どもも、……最後は死んじゃったけど、あんな事されてて何でって思うけど、それでも母親が好きで……。母親も、最初は子どもの事可愛いと思ってたんだよな。」

「うん、そうだったね。」

「……誰も悪くないのに、少しずつ全部が駄目な方にズレてって。俺、夕月に見つけて貰って良かったと思った。……夕月、俺のガキの頃の話も、聞いてくれる?」


 翔吾の瞳が揺れていた。再びその冷たい手を取って、頷いた。


「翔吾が話してくれるなら、聞きたい。」





「前に、お袋に殴られたことあるって言ったの、覚えてる?」

「うん。」


 翔吾は忘れたふりをして、忘れられなかった記憶を少しずつ紐解いて行った。


「……俺が生まれたばっかの時は普通の母親だったんだと思う。……そうじゃなきゃ、赤ん坊の時に死んでた筈だから。」


 それでも、翔吾の中には温かな記憶はほとんど残っていなかった。

 怒鳴るか、泣くか、虚ろに揺れる。時折見せる美しい笑顔は、誰にも向けられていなかった。

 精神のバランスを崩した母を父は支えなかった。

 きっかけが何だったのか、翔吾は知らない。

 2人きりでとり残された家で、母の狂気は幼い息子に向かった。

 母の目には彼がどう見えていたのか、怯えた様に暴力を振るい、ごく稀に抱きしめて泣いた。

 食事は、気まぐれに出た。光熱費は父の口座から引き落とされていたから、他の事は1人で何とかした。

 めちゃくちゃな感覚で大量の薬を飲み、時折刃物さえ持ち出す母。翔吾を認識して泣きながら謝る母。

 翔吾は彼女を恐れて息を殺しながら、それでももう一度抱きしめられたいと毎日思っていた。


「翔吾。」


 不意に指先に温かい物が触れて、翔吾の意識を引き戻した。


「……夕月。」

「私ね、翔吾に会えて良かったよ。どんなに辛くても、何をしても、頑張って生きててくれたから、こうやって手を繋げてる。」


 夕月が目を潤ませて、翔吾の手を強く握っている。

 翔吾としっかり目を合わせてから、ゆっくり腰を上げて、黒と金の混ざった頭を胸に抱いた。


「話してくれてありがとう。」

「……俺も、ありがとう。お袋のこと、初めて話すのが、夕月で良かった。」

「うん。」


 夕月の心音が頭に響いて、少しずつ粟立った心が落ち着いていくのがわかった。


「……明日、また違う映画見ていい?」

「もちろん。一緒に見ようね。……でもその前に、もう遅いから寝よっか。」

「ん。」


 その日の夕月は寝ている間もずっと離れず翔吾を抱きしめていた。

 



 次の夜、2人はまたレポート用の映画を選んでいた。


「夕月のおすすめってどれ?」

「あ、これラブシーンあるよ。」

「まじか、じゃあそれにしよ。」


 課題の映画はどれも重いテーマの物だった。夕月は「映画と言えば娯楽」の翔吾が見やすい、できるだけ雰囲気が軽やかな物を選んだ。

 また温かいココアを用意して、2人でタオルケットに包まる。


「……夕月ぃ、俺ノーマルなんだよな。」


 画面を見ながら、翔吾がぽつりと呟いた。


「知ってるよ。」

「何で男同士なの。」

「そういう映画だから。」


 今日の映画は、社会から排除されそうになった人々が手を取り合って生きる物語だった。

 性的マイノリティ、内部障害、自閉スペクトラム、孤児……、群像的に始まった物語が集束していき、やがて彼らが幸せに暮らせる国を作ろうとする。


「騙したな。ラブシーンあるって言ったじゃんか!」

「あるじゃん!」

「あー無理、こんなん書けねー!」

「ほんとに留年するつもり!?」


 夕月がぺちんと翔吾の背中を叩く。


「……ちょっとね、翔吾と私に似てるなって思ったの。ほらこの子とか、前の翔吾に似てた。だから、この部屋が、私たちのお城。」


 映画のパッケージを指差しながら、夕月はココアを啜った。


「なんか、そう言われたらレポート書ける気がしてきた。」

「ほんと? 私の事書かないでね。」

「卵焼き焼いてくれるかわいい飼い主って書いとく。」

「だからそれじゃ留年するって。」


 書き上がった翔吾のレポートは意外にも巧みな物だった。

 ただし、随所に出てきた卵焼きの文言は夕月の添削によって提出前にしっかり削除されたのだった。


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