カレイドスコープ・ヒーロー:僕は7つの人格で最強になる

yukataka

第1話


「鈴本海斗君、教科書24ページ、アヘン戦争の経緯を説明しなさい」

 社会科教師の問いかけが、僕の鼓膜を震わせる。頭の中の喧騒が、一瞬、静まり返った。クラスメイトたちの視線が、一斉に僕に突き刺さる。いや、僕の顔の奥、僕の心の中にいる“誰か”に、だ。僕は顔が熱くなるのを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。

 その瞬間、僕の頭の中で声が響いた。

 

「フン、たかが歴史など、この騎士アーサーが貴様に教えてやろう」

「やだぁ、アヘン戦争なんて難しくってわかんないよぉ。それより、今日の給食のメンチカツ、すっごく楽しみだね!」

「両者の意見は非論理的だ。質問はアヘン戦争の経緯であり、答えは教科書に記載されている。余計な感傷は不要だ」

 古風で格式ばった男の声。天真爛漫な少女の声。冷徹で機械的な声。三つの声が、僕の頭の中で同時に響き、酷い頭痛が僕を襲った。

 僕は思わず顔をしかめ、机の下で固く拳を握りしめる。

 この痛みは、僕の日常だ。

 僕、鈴本海斗。高校二年生。内気で目立たない僕には、人に言えない秘密があった。僕の頭の中には、個性豊かすぎる七つの人格が住み着いている。僕は彼らを“同居人”と呼んでいるが、彼らは僕の人生そのものを、自分たちの遊び場にしているようだった。

 僕の意識とは独立して存在し、時に僕の思考を乗っ取り、勝手に喋りだすこともあった。それが原因で、僕は小学校の頃からずっと、変わり者扱いをされてきた。授業中に突然意味不明なことを叫んだり、一人でニヤニヤしたり…全部、彼らのせいだった。

 僕が最初に認識したのは、騎士のような古風な口調で秩序と礼節を重んじるアーサー。次に、可愛いものが大好きで、いつも無邪気な女の子のベアトリス。そして、論理的思考を最優先する知性体、セレスティンだ。

 僕は彼らを制御しようと必死だった。主導権を僕が握り、彼らには僕の頭の中で勝手に喋ってもらうだけ、という形をなんとか作り上げた。

 それでも、彼らは僕の人生に深く関与してくる。朝起きればアーサーが「今日も朝から訓練だ!」と僕を叩き起こし、ご飯を食べればベアトリスが「おいしー! もっと食べたいな!」と僕を過食に誘い、勉強を始めればセレスティンが「この問題の解法は非効率的だ」と文句を言う。

 僕の胃は常にキリキリと痛み、僕の人生は七つの人格によって振り回されてきた。

 僕は彼らの存在を誰にも言えなかった。言えば、また変わり者扱いをされ、友達がいなくなる。だから僕は、いつも誰とも深く関わらず、ひっそりと目立たないように生きてきた。それが、僕の七重苦から逃れるための、唯一の方法だった。


 放課後。

 僕は一人、教室で荷物をまとめていた。クラスメイトたちは部活動や友達とのお喋りに興じている。彼らが僕とは違う、輝かしい青春を送っているのを見て、僕は胸の奥がチクリと痛んだ。

「海斗、帰らないの?」

 突然、僕に話しかけてきたのは、クラスの女子、佐藤ユイだった。彼女は明るく、誰にでも優しいクラスの人気者だ。僕は、ひっそりと彼女に憧れていた。教室の隅でひっそりとしている僕に、唯一、分け隔てなく接してくれる存在。彼女の声を聞くだけで、僕の心は少しだけ軽くなる。

 僕は驚いて彼女を見上げた。まさか、彼女が僕に話しかけてくるとは思わなかった。

「あ…うん。もう少ししたら帰るよ」

 僕はどもりながら答えた。すると、僕の頭の中で、人格たちが騒ぎ始めた。

「わぁ、ユイちゃんだ! ユイちゃんって、すっごく可愛いよね! ねえ海斗、もっとお話しようよ!」

「ベアトリス、控えよ! そのような軽々しい言動は、紳士にあるまじき振る舞いだ! ここは儂に任せ…」

「非論理的だ。相手の好感度を上げるためには、適切な会話を構築すべきだ。アーサーの言葉遣いは不適切、ベアトリスの言動は感情的すぎる」

 頭の中で三つの声がまた口論を始める。

 僕は必死に彼らを黙らせようと、歯を食いしばった。ユイの前で、またいつもの僕を演じてしまう。彼女に、僕の奇妙な部分を知られたくなかった。

「あの…大丈夫?」

 ユイが心配そうに僕の顔を覗き込んだ。そのまっすぐな視線が、僕の心を揺さぶる。僕は慌てて笑顔を作った。

「う、うん。大丈夫だよ。ちょっと…頭痛がしただけだから」

 ユイは僕の言葉に、少し悲しそうな表情を浮かべた。

 彼女は何か言いたげだったが、結局何も言わずに、僕に「またね」と手を振って教室を出て行った。

 彼女の背中を見送りながら、僕はまた俯いた。

 せっかく話しかけてくれたのに、僕はまた、彼らのせいでユイに心配をかけてしまった。僕は自分の不甲斐なさに、深くため息をついた。

 この七つの人格は、僕の人生から大切なものを奪っていく。ユイのような大切な人との関係すら、台無しにしてしまう。僕は、僕らしく生きることを、いつか諦めてしまうのだろうか。

 そう思った僕の頭の中で、活発な人格たち以外の声が、ほんの少しだけ、ざわめいたような気がした。

 僕がこの特異な体質になったのは、物心ついた頃にはもう始まっていた。記憶を辿っても、いつから僕の中に彼らがいるのかは分からない。生まれた時から、僕は僕だけの存在ではなかった。

 もちろん、このことを親に話したことも、医師に見せたこともない。話したところで、彼らは僕を「病気」と診断し、社会から隔離しようとするだろう。僕の同居人たちは僕の頭の中だけで生きている。誰にも見えない、僕だけの世界。だからこそ、僕は彼らを「僕の一部」として受け入れるしかなかった。

 彼ら、つまり僕の同居人は全部で七人いるらしい。はっきりと認識できているのは、いつも僕の思考を邪魔してくるアーサー、ベアトリス、セレスティンの三人だけだ。残りの四人は、まだ眠っているのか、それとも僕の意識の深い場所に隠れているのか、僕には分からない。時々、微かに彼らの声が聞こえるような気がするが、何を言っているのかは判別できない。

 僕は、この七重苦の人生を、ずっと一人で耐え忍んできた。この旅も、きっとそうなる。

 帰り道、僕は一人で歩きながら、頭の中の同居人たちに語りかけた。

 ―なあ、みんな。明日からの修学旅行、頼むから大人しくしてくれないか? 今回はみんなで泊まるんだ。

 ―フン、何を言っている。儂が大人しくなどできるわけがない。この旅路こそ、儂の力を世界に示す好機だ!

 ―やだぁ、アーサーさん! 私は大人しくするもん! だって、ユイちゃんと同じ班になれたら、いっぱいお話ししたいし!

 ―ベアトリスの意見には同意できない。修学旅行は学習の一環であり、私的な感情を挟むべきではない。しかし、集団行動において非論理的な行動をとることは、全体の効率を著しく低下させる。よって、私も大人しくすることに賛成だ。

 三者三様の答えに、僕は頭を抱えた。

 結局、彼らを完全に制御することはできない。僕は、ただ、明日が何事もなく終わることを祈るしかなかった。


 翌日。

 僕はクラスメイトたちと一緒に修学旅行の新幹線に乗っていた。車内は、クラスメイトたちの楽しそうな声で賑わっている。僕は一人、窓の外に流れる景色を眺めながら、また頭の中の喧騒に耳を傾けていた。

「おい、窓の外を見ろ! この世界はなんと広いのだ! この世界を我が剣で守る日も遠くないな!」

「ねえ、ねえ、早く目的地に着かないかな! お土産屋さん、いーっぱいあるかな!」

「両者の意見は非論理的だ。目的地までの所要時間は23分。現時点での到着予想時刻は11時37分だ」

 彼らの会話に、僕は少しだけ笑みがこぼれた。彼らは僕の七重苦の原因だが、同時に、僕の唯一の“仲間”でもあった。この孤独な世界で、彼らだけが、僕の存在を認めてくれている。僕は彼らと共にあることで、なんとか僕自身を保っていた。

 その時、突然、新幹線が激しく揺れた。僕は窓の外を見た。遠くの山に、見たこともないほど巨大な光の柱が立ち上っているのが見えた。そして、光の柱が、僕たちの新幹線に向かって飛んできた。

 ―なんだ、あれは?

「これは…! 魔力の暴走…!?」

「わぁ、綺麗だね! 花火みたい!」

「待て…この光の組成は…!」

 僕は、彼らの言葉を理解する暇もなく、強烈な光に包まれた。意識が、遠のいていく。

 僕の人生は、この光の柱によって、一変した。

 

 僕が次に目を覚ました時、そこはもう、僕が知っている世界ではなかった。

 あたり一面、見渡す限りの森。鳥のさえずりが聞こえ、風が心地よい。僕の視界に入ってきたのは、中世ファンタジー映画でしか見たことのない、巨大な樹木や、空を舞う不思議な生き物たちだった。

 僕は立ち上がり、周囲を見渡した。僕のクラスメイトたちも、僕と同じように森の中に倒れていた。彼らは皆、何が起きたのか理解できず、呆然としている。

 その時、僕たちの前に、ローブを纏った男が現れた。彼は手に光る杖を持ち、僕たちに向かって優しく微笑んだ。

「ようこそ、異世界『エルドラ王国』へ。勇者たちよ」

 男がそう言うと、彼の杖の先から温かい光が放たれた。光は地面に倒れているクラスメイトたちを包み込み、僕の親友、山田から順番に目を覚ましていく。

「ここは…どこだ?」

 戸惑いと恐怖で顔が青ざめているクラスメイトたちに、男は召喚の経緯を説明した。

「諸君らは魔王を討伐するため、我ら『エルドラ王国』が古より伝わる『勇者召喚』の儀式によってこの世界に招かれた、選ばれし者たち。そして、その証として、それぞれに固有の『力』が与えられている」

 男はそう言うと、持っていた杖を天高く掲げた。杖から放たれた光が、クラスメイトたち一人ひとりの周りを巡る。

「では、その力を『鑑定』してみよう」

 光がそれぞれの体を通り過ぎると、彼らの目の前に文字が浮かび上がった。

「山田君…君は『火炎魔法』の適性があるようだ。まだ訓練をしていないため、発動はできないがね」

 男がそう告げると、山田は驚いた顔で自分の手を見た。すると、彼の掌に、炎のシンボルが薄く浮かび上がっているのが見えた。他のクラスメイトも、次々に鑑定されていく。ユイには『治癒魔法』、もう一人の女子には『風魔法』、男子には『土魔法』のシンボルが浮かび上がり、彼らは歓喜の声を上げた。

 そして、光は僕の周りを巡った。僕は、自分の身体に何が起こるのかと、固唾をのんで見守った。しかし、僕の周りには何もシンボルは浮かび上がらなかった。僕は、みんなが魔法を使えるようになっている中で、一人だけ何も変わっていないことに気づき、絶望した。

「そなたに与えられた力は…『ペルソナ・シフト』。……ん?これは一体、どのような魔法かな?」

 ローブの男が困惑した表情で僕の鑑定結果を見つめている。彼の言葉を聞いたクラスメイトたちも、首を傾げた。

「ペルソナ・シフト…?聞いたことないぞ…」

「どんな魔法なんだろうね?」

 彼らがささやき合う中、僕の目の前には、確かに『ペルソナ・シフト:人格切替』という文字が浮かんでいた。この力は、僕自身が別人格に切り替わる能力のことだと、僕だけが理解できた。他のクラスメイトが強力な魔法を手に入れている中で、僕だけが、元々持っている能力を与えられただけ。僕は、この世界でもやはり、落ちこぼれだった。

 僕の頭の中では、人格たちが大騒ぎだった。

「なんだと! この儂に、たったそれだけの力しか与えられぬとは!」

「わぁ、みんな、魔法使えるんだね! すごい! すごい!」

「…非論理的だ。この力の配分には、何らかの意図があるはずだ」

 彼らが叫ぶ声を聞きながら、僕は絶望した。僕自身には魔法がない。僕は、この世界を救う勇者どころか、自分の精神すら制御できない、お荷物のような存在だった。僕は、一人だけ魔法を使えない、落ちこぼれの勇者だった。

 これが、僕の七重苦の始まりだった。

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