013 アノスの秘密

 今夜も古屋は賑わっている。

「名もなき妖精よ、見ろ。今夜も盛大だ。ああ早くでかい舞台にしたいよなぁ」

ピエロは化粧をしながらアンドロギュノスの子アノスへ話しかける。

「いったいお前さんにはどんな力が働いているのやら。客はお前を天使と言う、だが魔女はお前を妖精だと言う。まぁ、どっちでも構いやしないさ、どっちでも尊いもんじゃねーか。おいらもお前さんのように生まれたかったわぃ」

ピエロが化粧をしているのは彼がこれからつける仮面だ。

ピエロの顔の半分は爛れ、高い鼻筋の先のてっぺんはごっそり無い。目玉は飛び出し白濁している。見えているのが不思議なくらいに。

「さぁさ、わしが着せ替えてやろうな……今夜は満月……と、ふむふむ狼の首か。ん~旨そうな匂いじゃ、後でたっぷりと愉しめそうじゃな」

そう言ってピエロはアンドロギュノスの子の身体を香油で洗い流している。

数分前に捕れた首だろう、狼の目玉はまだ透明で光っているように見える。

「ほんにお前さんはわしにとっては神様じゃよ。この体……うむうむ、おおーなんとも妖艶な……おおっ! いかんいかん、わしは死にとうないわ。つい冒してしまいたくなるが……いいやいいや! わしには夢があるんじゃ! でかい舞台でわしは生まれ変わるのじゃ。いや……元に戻るのじゃ! あの頃のわしに! そうじゃ辛抱なんぞ屁でもないわ」

ピエロはアンドロギュノスの子を椅子へ導き座らせて、

「ここで待っておれよ」

と声をかけて狼の首をアンドロギュノスの子へ被せる。

「うぅぅ」

と声を漏らすも抵抗せず堪えるアンドロギュノスの子。

「ノックは3回じゃ、わかったな。首尾よう今宵も頼んだぞ」

ピエロは騒がしい舞台へのドアを開いて、

「さぁさぁお待たせ申したぁ~」

と声を張り上げて舞台へと進んでいく。

満杯の立ち見の客の、発狂したような歓声に古屋が揺れている。

ドアが閉まるとまるで湖に沈んでしまったかのように歓声が遠のき、そして体だけは浮遊する。狼の頭の皮についた血生臭い肉片と香油のせいで正常な意識が保てないアンドロギュノスの子は、幻覚を眺めようとしている。


おぞましい、罪人ピエロめ」

景色を透過する姿、美しく揺らぐ空気を染める黄金の粒子が人の形を描いている。

「哀れな子よ……お前はやがて空っぽになる。その秘めたる[アダマス守護石]のせいで。だが、その方がお前は幸福だろう。純たるエレメと還れるのだから。その前に、私へその幸運を分けるのだ。苦しみの果てに死した貢物の穢れたエレメ、お前の純たるエレメの穢れ……と快楽の果てで昇華する人間の不純な魂のエレメ、これらがこの壺を満たした時、あれは私の手に堕ちる。

ああ……愛おしいアタナシオス! 海神グラウコスが父、麗しき息子、私を愛さなかったグラウコスに生き写しの子アタナシオスよ。私に抱かれ溺れていくお前を永遠に愉しんでやろうぞ……ふふふ、はははははは!」

舞うように揺れる黄金の影、美しく飛び交う金の粒子が楽園を想わせる。

「僕は……空っぽになるの?」

やっとの思いで尋ねるアンドロギュノスの子。

静止する影、黄金の人型が座っているアンドロギュノスの子の前で床に膝をつく。

「そう……よ、辛いでしょ? でももうじきそんなことはどうでもよくなるわ。美しく順列されていく世界で純たるエレメとして震える、あなたは特別な存在。どうしてこの世界のここにいるのかは、この私にでさえ分からないの。それくらい、尊い存在なのよ」

「それでも、空っぽになるんでしょ」

「畏れなくてもいいのよ、きっと気位の高い精霊が気まぐれを起こしたの、だからこうして今は苦しむことになったけれど……それでも充分すぎる恩恵だわ。完全に空っぽになった時、あなたにはこの世界でαιώνιαエオニアを紡ぐ資格があるの……妬ましいわ」

黄金の影は最後は声を潜めて言った。

「なら、あげるよ。僕はもう終わりたいんだ」

アンドロギュノスの子はそう言う。

「まぁまぁ気前のいい子ね。でも残念ね、触れることすらできないのよ。[アダマス精霊を護る石]に触れることは誰にもできないの。そうね……あなたも本来はその資格がなかったのかもしれないわ、だからこんな目に遭っているのかも」

「終わらせてくれないの?」

アンドロギュノスの子は縋るように尋ねた。

「だめよー。そんなことしたら私まで空っぽになっちゃうじゃない。客もあのピエロももうじきそうなるわ。まぁ、尊いあなたのことを愉しんだのだから仕方ないわ」

「僕……もうやだ……よ」

狼の頭の皮の内側で、肉片が瞼を押して涙が出ない、それでもアンドロギュノスの子は泣いている。

「あらあら、香油が切れたのね……泣いてちゃ役に立てないわよ」

黄金の影はアンドロギュノスの子の肩をポンと叩き、香油の桶を持ってアンドロギュノスの子の頭上からゆっくりとかけたやる。

すると徐々に泣き声は収まり静かになった。

正常な意識をなくし声を出せなくなったことを確かめると、黄金の影は去ろうとした。だが、

「あなた……だれ」

無言になったはず……が声がする。

「なんてこと」

黄金の影は立ち止まり振り返る。

「素晴らしいわねあなた」

驚きに声を震わせつつ、次には平静を装い囁く、

「いいわ、教えてあげる。特別なご褒美よ」

影は意味なく声を潜めた。

「忘れなさい……私は[古代の魔女キルケー]よ」

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