006 アノスとゾーイ

 レオンが噛みアルグルとなった子供は、印がある内とはいえ[バレ従者]の兆候が見られなかった、この子供はレオンに対して反抗的だ。

「お前の名はなんと言う」

レオンは穏やかな声で尋ねた。

「僕は……僕には名前なんてない!」

子供は怒りを抱えているようだった。

アンドロギュノスと書かれた金属のタグを睨みつけながら子供は体を震わせていた。

「血が欲しい、飲ませろよ!」

子供はレオンへ強請った。

レオンは明らかに今までのアルグルとは様子が違うことに興味が湧いた。死して変化が始まると、[バレ従者]の効果が表れ始めて一瞬の内に暗示にかかり直ぐに解ける、という状態から徐々に暗示の効果が強くなる傾向にあった。そしてストルゲ以心伝心が強化されるのだ。レオンは暗示を試みた。

「お前はアノスだ。私の[バレ従者]だ」

すると、

「僕はアノスなんかじゃない! お前の[バレ従者]なんかじゃない!」

と反論する。

『なんということだ、暗示が効かぬとは』とレオンは不審に思い、教育が難航することを危惧した。が、アタナシオスに会わせるのだから教育は必須、レオンは言い聞かせるように子供へ説明してやった。

「お前の言う通りだ。私がそのタグからアノスと名付けたのだ。私がお前を変えた、だから私にはお前をアルグルとして教育する責務がある。アノスよ、私に従うことを覚悟しろ」

レオンがそう言うと、

「アノス……名付けた……? 僕に名前を?」

子供は何故か名付けられたことに安堵した様子、大人しく座り込んだ。

「レオンが僕を変えた。僕はアノスで、アルグル……もう痛いことはされないの?」

アノスは今は冷静に事情を理解しようとしている。

「そうだ。お前は最強のモンスターアルケー一族のアルグルだ」

レオンがそう話すとアノスは瞳を輝かせた、

「アルケーって、あのアルケーだね! 誰もが怖れるダークヒーローだ!」

アノスの言うことが可笑しくなるレオン。

「ヒーローというのはモンスターであっていいのか」

レオンの問いに、

「そうさ! だからダークヒーローなんだ! 悪い人間や魔女を許さないアルケーはモンスターだけど最強のヒーローだよ!」

アノスは心から嬉しそうに言う。

そして、次の瞬間には苦々しい表情になり拳を握って話し始めた。

「パパもママも魔女に殺されたんだ。僕は魔女に連れられて研究所に閉じ込められた。そこで毎日毎日何度もなんど……も、う、うぐーっっ」

アノスは仰け反り柱に身体を打ち付けた。

繋がれた両手を振り回す度に、鉛の手錠と鎖で自らの身体を傷つけている。見る見るうちに目が血走り体中の血管が浮き立つ、アノスはヴァンパイアである自分をまだ抑えられない。

「哀れな」

レオンは静かに左手の人差し指から三本を揃え伸ばし、親指と小指を少し曲げて念を送る。

「鎮まれ」

と。

アノスは気を失い倒れようとした、それをレオンは抱きとめた。

抱きかかえアノスの顔を見つめるレオン。

美しく重なり揃っている睫毛が幼い顔を大人びて見せている、細くすっきりとした鼻筋、幼さを隠せないぷっくりと膨らんだ唇、毛先の巻いた髪、どれもがアルケー一族の五男ゾーイにそっくりだ。


 五男の姿を見ていいアルグルは限られている。

レオンは生まれたばかりのゾーイを護っていた。アタナシオスはこの五男のことをことのほか大事に扱い特別な存在であると言い、6歳になるまでレオンの側に置いた。


6歳を過ぎると、ゾーイはレオンの元を離れ個別に暮らし、仮面をつけて生活するようになった。

ゾーイは無類の動物好きで、昆虫や鳥も可愛がった。そしてこの子は、醜い生物せいぶつを愛する傾向が強く、そういったものを飼っては仮面を作り、被ったまま生活するような子だった。

「レオーン! どう? 可愛いでしょー」

見るからにおびただしくぬめっている鼠色の肌、大きく垂れ下がって口にかかる鼻、不気味なほど山形に曲がった分厚い唇……からは涎が垂れている、そしてとぼけて見える黒目は偶然落ちてきた豆粒のように顔の側面についている。

「ゾーイ様、こちらは魚でしょうかそれとも……んっ」

顔面に向けられたこの醜悪な生物の匂いを辛抱しながらレオンは尋ねた。

この生物が垂らした涎が、レオンの美しく磨かれた靴先にだらりだらりと垂れ落ちて、まるで靴が涎を吐いたように溜まっている。

「なんだろうね! 魔法で連れてきてもらったんだ! 可愛いーーぶちゅーー」

ゾーイは可愛くてたまらないと言う風にこの生物に吸い付いている。

「ゾーイ様、お口をつけてはなりません」

レオンは優しく、それでも慌てて生物を取り上げゾーイの頭上へ持ち上げた。

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