第5章 揺れる心―嫉妬と不安、その狭間で
冬休みが明け、街全体の空気が張りつめていた。
駅前には「合格祈願」と書かれた幟がはためき、図書館の自習室は朝から満席。
遊びの気配はすっかり消え、受験へと一直線に進むしかない日々が続いていた。
リビングの机に積まれた赤本は角が擦り切れ、余白には書き込みが幾重にも重なっている。
新しい問題集を開く余裕などなく、三人とも苦手な単元を潰し、記憶にすがるようにペンを走らせていた。
「社会、細かいところはキリがないな」
美緒が赤シートをかざし、吐息をもらした。
「割り切りだよ。完璧じゃなくても、取れるところで点は取れる。
美緒はここまでやってきたんだから、大丈夫」
私は笑って言った。
「……そう?」
美緒は口を尖らせたが、どこか安心したように頷く。
隣では、玲奈が問題用紙を握りしめていた。
「整数の証明、やっぱり解けない……ここでつまずいたら、本番で全部だめになりそうで」
声が震え、瞳には涙が滲んでいる。
「大丈夫」
私は身を寄せ、ノートに指を伸ばした。
「今まで積み重ねてきたものを信じて。
間違えた数より、解けた数を思い出してごらん」
玲奈は顔を上げた。
その瞳には迷子のような揺らぎがあり、私の姿を必死に映し出している。
気づけば、私は自然を装いながら彼女の手に触れていた。
「君はできる。……だから安心して」
玲奈は驚いたように瞬きをしたが、拒むことなく小さく頷いた。
「……はい」
指先から伝わる温もりに、胸の奥まで熱が広がる。
けれど、その瞬間。
「お姉ちゃん」
美緒の声が落ちてきた。
「ちょっと玲奈ばかりに優しくしてない?」
空気が一瞬で張りつめる。
私は肩をすくめ、笑ってかわした。
「そうかな? 美緒は自分でできてるから、安心して見ていられるんだよ」
「……ふーん」
美緒はペンを取り直したが、こたつ布団の端をつまむ指先に力がこもっている。
私は気づかないふりをして、玲奈のノートを指差した。
「ね、ここまで解けてる。大丈夫、ちゃんとできてるよ」
「……ありがとうございます」
玲奈のかすかな声が、こたつの熱よりも確かに私の胸を温めた。
——あのときの約束。
もし合格したら、玲奈が一番望むものを、私があげる。
彼女の頬を照らすスタンドの光を見つめながら、私はその言葉を思い出していた。
きっと、玲奈も忘れてはいない。
美緒の嫉妬。
玲奈の不安。
そして、私の抑えきれない欲望。
三つの温度がこたつ布団の下で絡み合い、部屋の空気を濃くしていった。
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