四章
第19話 バレてしまったヒミツ
「つまり、私のアカネと先輩が入れ替わっていて、さっきまでのことはアカネがやっていたということですか?」
私はなんとか
八時になると私の意思とは関係なく猫になってしまうこと。そして十時になると人間に戻ること。それらを蒼になんとかかいつまんで説明する。すると蒼は、ベッドの上で腕を組んで、しばらく考え込んでから顔をあげた。
「バカにしているんですか?」
もっともな返答だった。
「しょ、しょうがないじゃない。私だって、原因も分からないままなのよ」
「それにしたって、人と猫が入れ替わるなんて話を信用できると思いますか?」
「けど、思い返してみなさいよ。あんた、私の部屋で、押し倒されてからなんて言われたの?」
「蒼、大好きと。あと、舐めていいとか、撫でてほしいとか……言われましたね」
「ほら! それよ! 私があんたのこと、大好きだと思う!? そんなわけないでしょう? 大嫌いに決まってるじゃない!」
「それもそれで失礼だと思うんですけど、まあこの際それはいいです」
蒼は自分の衣服を整えると、私の姿を見てため息をついた。
「とりあえず、服をちゃんと着てもらっていいですか?」
「あっ」
しまった、熱弁するあまりブラを直すのも忘れていた。付け直すのも今更なので、とりあえずシャツを被る。その間、蒼には後ろを向いてもらった。
ついでに部屋の電気を点けると、明るくなるのと同時に意識がぶわっと鮮明になっていった。蒼の頬は私が思っているより何倍も上気していて、首元には虫刺されのような赤い跡ができていた。
あんな風に私も火照って見えているのかと思うと、なかなか蒼と視線を合わせられなかった。
「ほら。時間見てよ。十時二十分、ちょうど猫から人間に戻る頃合いなの」
「ちょっと待ってください。ということは、二十分前には先輩は人間に戻っていたということですか? それだとおかしいです。だって二十分前くらいのときには、私、先輩に……」
蒼の唇がもごもごと波打つ。
「な、なによ」
「言わせる気ですか? どれだけ変態なんですか」
「変態言うな。ああもう、分かってるわよ。だいたい察しは付いているから。えっと、十時に人間に戻るとは言ったけど、ちょうど十時じゃないの。秒単位で遅れたりすることもあれば、分単位で遅れることもあるの。私も、理由はわからないけど」
このタイムラグに何の理由があるのか、ただちょっとこの現象に不完全な部分があるだけなのか。こればかりは私も原因が分からない。
「私が人間に戻ったのは、あんたに押し倒されて『先輩が悪いんですからね』って言われたあたり」
私がそう言うと、蒼が視線を逸らす。私もそのときのことを思い出して、顔が熱くなった。
こ、こんな調子で話し合いなんてできるのかな……。
「とりあえずのところは、分かりました。たしかに、八時くらいから先輩の様子はおかしかったです。喋り方も舌っ足らずでしたし、やけに猫撫で声でした。いつも監督にしているみたいに媚びているだけなのかと思い気にはしていませんでしたが」
「媚びてる言うな」
「以前、猫の声を翻訳できるアプリがありましたね。私はあのアプリでよくアカネと会話するんですけど、アカネは私に抱きつきたいとき『ぎゅむぎゅむ』と言います。先ほどの先輩も、様子がおかしくなってからその言葉をよく使っていました。先輩の前でアプリを使ったのは先輩が本を借りに来た日の一度だけですし、そのとき『ぎゅむぎゅむ』は出てきていませんでした。そう考えるとなぜ先輩がアカネがよく言う『ぎゅむぎゅむ』を知っているのかという疑問にも答えが出せます」
蒼は私のベッドに腰掛けて、考えるように額を指で押さえた。
「けど、それだけでは信じられません。なので先輩、一つ質問してもいいですか?」
「いいけど」
「私の部屋にあるタンスの上から二番目の、左の棚には何が入っているか分かりますか? 私は八時になるとお風呂に入るために準備をします。もし私の家の猫になっているというのなら、分かるはずですよね?」
ああ、そんなの簡単だ。
「靴下」
「……正解です」
「で、隣が下着」
「そうです」
「その下は私服。紺のジャージばっかりだったわね」
「そこまで知っているんですか」
「あと、奥の方に白いレースのついたスカートが入っていたわね。ダメじゃない、せっかく可愛い服なんだからあんな風に入れちゃ。見かねて思わず畳んじゃったわよ。タオルに巻いてあったでしょう? 今度からスカートは、ああして保管しておいたほうが――」
そこまで言って、ハッとする。
蒼がわなわなと震えているのだ。
「猫になってやることが、人のタンス漁りですか」
「ち、違うのよ! なにか、猫になる原因のヒントが見つかると思って! それに、いいじゃない白のスカートくらい! なに恥ずかしがってんの!? あんたいつも下着だって白なんだから今更気にすることじゃないでしょう!?」
……あ。
「ええと、突然身体が猫になって仕方なくと被告は供述しており……」
「なに通報しようとしてんのよ! それに、被告じゃなくてまだ容疑者!」
「それもどうかと思うんですけど……」
蒼はため息をついて、スマホをしまった。
「ええ、もう充分です。先輩が猫になっているというのは、まあ信じたくはないですけど、今は信じましょう」
「ありがとう。話が早くて助かるわ」
「ただ、一つ確認してもいいですか?」
「もちろん、なんだって答えるわ」
「いつから猫になってました?」
…………。
……。
「一昨日」
「……本当ですか?」
じっと蒼に睨まれる。
「一ヶ月前くらいに、一度だけ変だなと思うことがありました。私がおいでと言えばいつもならシャツの中に飛び込んでくるアカネが、何故かキョロキョロして、落ち着かない様子だったんです。どうしたんだろうとあのときは思っていたんですが、今思えばあれは、どこか葛藤するようでもありました。反応が、とても人間臭かったんですよ。そこのところ、どうなんですか?」
「…………」
「アカネは羽のついているおもちゃを捕まえるのがとても得意でした。でも、急に下手になったときがあったんです。あれも、だいたい一ヶ月前くらいのことです」
「…………」
「そうですか」
蒼が再びスマホを手に取る。
「被告は一貫して黙秘を続けている様子です。つきましては……」
「あー! もう分かった、分かったわよ! 言うわよ、言えばいいんでしょ! 一ヶ月前! だいたいよ!? はっきりは覚えてない! でも一ヶ月前にはあんたんとこの猫になってたわよ!」
なんだか、取り調べを受けているみたい! 私、悪いことなんか一つもしていないのに!
蒼はこれまでで一番大きなため息をついて項垂れた。
「私、アカネのことずっと抱きしめてました」
「知ってる」
「キスもしてました」
「ええ、そうね」
「下着をひん剥かれたこともあります」
「じ、事故でね」
「そのとき、アカネは先輩だってということですか?」
「まあ……」
歯切れの悪い空気が、私と蒼の間を漂っている。
「しょ、しょうがないでしょう!? 言っておくけど、欺してたとか、隠してたわけじゃないんだからね!? こんなこと言ったって、信じてもらえるわけもないし! 言うタイミングだってなかったし!」
「分かってます、分かってますからムキにならないでください。先輩が恥ずかしがるほど、私だって恥ずかしいんです」
「う、うぅ~~!」
まだまだ、全然言い訳したりない。
こっちだって、急にキスされてあのときは本当にビックリしたんだから!
「あの、そのときのことは、お互い忘れませんか? いちいち掘り返していたら、会話になりません」
「そ、そうね。そうしてくれると助かるわ……」
そういえば、あのときそのとき。そうやって墓穴を掘っていたらトンネルを通り越して温泉でも掘り当ててしまいそうだ。熱くなるものには、あまり触れたくはない。
「はあ……けど、これで辻褄が合いました。先輩がアカネのちぎれた耳を持ってきたとき、ずっと疑問だったんです。どうして先輩が耳の落ちていた場所を知っていたのか。どうして先輩がそこまでしてくれたのか」
蒼が太ももの上で拳を作る。
「そうですよね、アカネの身体を借りてる手前、耳を落としてきたら探しに行きますよね。普通の人ならそうしますよね」
蒼は何故か唇をとがらせていた。
なによ、すねたみたいな顔しちゃって。
「それで、どうするんですか?」
「どうするって?」
「これからのことです。まさか、これからずっと猫になって私の下着を漁ったり、着替えを覗いたりするんですか?」
「しないわよそんなこと! そうね、でも、猫になるのは不便だしどうにかしないと」
ずっとこのままじゃ、遊びにだっていけない。それに、おばあちゃんや琥珀のことだってあるし、やっぱりいつでも家にはいられるようにしていないと。
「とにかく原因を突き止めて、猫化を止める。そのために蒼、あんたも協力しなさい」
よりにもよって蒼の飼い猫になってしまったことに、私は何か理由がある気がしてならない。
「まあ、しょうがないですよね。私だって、いつまでも透明人間の犯罪者に覗きをされるのは嫌なので」
「ちょっと、透明人間って……やな言い方しないでよ」
「ともかく、明日私の家に来てください。まずは、その入れ替わりとやらをこの目で見て確かめる必要があります。アカネにだって、いろいろ聞きたいことがありますから」
「そうね、分かったわ。今日はもう遅いし、明日にしましょう」
時計を見ると、もう十一時になってしまっている。
「おばあちゃんに言えば車を出してくれるはずだから、送っていくわ」
「大丈夫です。もう呼んであります」
蒼がスマホを見せてくる。
「ま、まさかもう警察を!?」
「父親です。さっき家を出たからもうすぐ着くと返信がありました」
しばらくして、蒼のスマホが震える。父親が近くのコンビニに着いたらしい。
「それと、私の下着をひん剥いたことは、今日のことでチャラにしてあげます」
「そ、そう? なんだあんた器が大きいじゃない! そうよね、あれは事故なんだからいちいち気にしていたってしかたないわよね」
「そうではありません。私も今日、先輩のを見たので、おあいこということです」
「なっ!」
蒼はそう言って、家を出て行く。
私はため息を吐きながらも、家から見えるコンビニの中に蒼が入っていくのを見届けてから、家の中に入った。
はあ、結局バレちゃった。でも、猫化の謎を解くためには、いつか蒼に協力を仰ぐ必要はあったのかもしれない。
これで、言い方向に向かえばいいんだけど……。
部屋に戻って、乱れたシーツを直す。
まだ微かに、蒼の汗のにおいがした。
「ああわあああああうううあああああ、あああー、あーーー!」
アカネがやったとはいえ、私。後輩を部屋に呼び込んでなにしてんのよ!
蒼も蒼よ! 先輩が悪いんですからね、って、流れに身を任せちゃってさ!
電気を消して、ベッドに横たわる。
でも、あのとき、私が蒼を遮らなかったら。
アカネと入れ替わってることを伝えなかったら。
しちゃっ、てたのかな……。
あのあと、そのまま。
「わあわわわ、おああ、ややあああ、あー! あーー! わー!」
想像するんじゃないわよ私! しない、しないから! 蒼だって冗談半分のはず! そうでしょ!?
部屋を暗くすると、余裕のなさそうな蒼の顔が脳裏に浮かんで、慌てて電気を点ける。
そっと、蒼に撫でられた場所に触れながら、私は頭を抱える羽目になるのだった。
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