第9話 野良猫に囲まれた!

 今日ばかりは、意気込んで猫になった。


 なんとかして蒼の弱みを見つけてやるんだ。


 しかし、どうしたことだろう。


 何故か私は、外にいた。


 あ、あれ?


 なんで蒼の部屋じゃないの?


 しかも最悪なことに、外はどしゃぶりの大雨だった。たしかに夕方は、急に天気が崩れて練習も中止になった。


 元々雨は嫌いだけど、猫の状態だともっと嫌だ。ぽつぽつ当たる感触が、誰かに触られてるみたいで気持ち悪い。


「オンミョンミョンミョーン!」


 わっ!? なに!? 


 近くで変な声が聞こえて、思わず毛を逆立てる。


「ミョンミョンミョンミョン」


 ね、猫だ! しかも、めちゃくちゃ威嚇してきてる!


 こちらを睨む猫は全身が真っ黒で、私よりも一回り大きい。な、なんて威圧感。私も負けじと身体を斜めにして大きく見せるけど、全然効いていないことは分かる。


「みょ、みょんみょん」


 私も威嚇の声を出そうとしたけど、上手に鳴けない。そんな声出したことないから、そもそもやり方がわからないのだ。それで、私の方が弱いと気付いたのかもしれない。黒猫が一気に私に近づいてくる。


「シャーッ!」


 蛇みたいな鳴き声に、全身が竦む。


 あ、あれ。どうしよう、怖い。


 猫の本能が、逃げろとそう告げている。


 だ、誰か助けて!


 けれど、周りを見ても人の気配はない。消えかけた白線、コンクリートのヒビから生えた雑草。おそらく、潰れたお店の駐車場だろう。


「フシャーッ!」


 黒猫が、ついに私に飛びかかってきた!


 迫力がすごい。そして、のしかかられたときの圧力にまったく抗えない。体格がちょっと違うだけで、こんなにも不利なんだ。動物って大変だ。……じゃない。どきなさいよこの!


 足で蹴っ飛ばすと、黒猫が距離を取る。


 しかし、私は後ろからの気配に気付かなかった。


「にゃっ!?」


 黒猫以外にも、まだ猫はいたのだ。一、二いや……五匹もいる!


 五匹の猫が、一斉にとびかかってくる。


 ちょ、離しなさい! このっ!


 今度はさっきのようにはいかなかった。五匹の猫にもみくちゃにされて、私は身動き一つ取れない。おでこをパンチされて、尻尾を噛まれて、背中をひっかかれる。


 更に、頭に噛みつかれて、私は振りほどこうと必死で頭を振った。すると、ぷちっという音がした。


 ぽろ、と目の前に落ちてくる、三角形の欠片。


 って、耳取れちゃった!?


 痛みはそこまでなかった。音もちゃんと聞こえてる。でも、欠けてしまった耳の先はジクジクと痛がゆい。


 こ、この……! 


 ただの猫風情が、よくも私の耳を! 


「んにゃーっ! にゃにゃにゃ!」


 私だって、いつまでもやられっぱなしじゃないんだから!


 身体をその場で回転させて、群がっている猫を引っぺがす。とりあえず目の前にいた猫の鼻っ面をひっかいてやった。「ぶぎゃ!」と猫が鳴いて、どこかへ逃げていく。


 あ、あと五匹!


 私に次々と襲いかかってくる猫たち。なんでそんなに絡んでくるのよ、ヤンキーなの? ええそう、ならあんたたちはヤンキー猫よ!


 悪いけど、私ヤンキーなんて全然怖くない! むしろ相手するのには慣れているの!


 飛びかかってくる猫をギリギリで避けてパンチをお見舞いする。


 そう、飛んでくるのは、ボールだと思えばいい。セカンドに撃ち放たれた打球が、目の前に飛んできて、それを……キャッチ! そしてすぐに投げる!


 ヤンキー猫がまた一匹、逃げていく。


 さあかかってきなさい、このごろつきどもめ!



 ……つ、疲れた。


 私は痛む後ろ足を引きずりながら、駐車場から離れた道路を歩いていた。


 雨で前がよく見えないので、車に轢かれないように注意しながら歩道側を歩く。こんな賢い猫っているかしら。


 なんて強がっている場合ではない。


 全身怪我だらけだし、片方の耳なくなっちゃったしで、どうしよう。


 猫だからか、自分の怪我の具合はなんとなくだけど分かる。足は多分捻挫かなにかで、ふらふらするのは、ちょっと動きすぎたからだ。猫って案外、持久力がない。


 へとへとになった私は、歩くことを諦めてその場で寝転んだ。


 怪我も体調も、二日か三日安静にしていれば治るだろう。でも、逆にいえば安静にしてなきゃこれは治らない。もしかしたら、死んじゃうかも。


 猫の状態で死んだら、私ってどうなるのかな……怖い想像をしてしまった。


 雨に打たれながら、とりあえず目を瞑る。まずは身体を休めることが最優先だ。喉の渇きは、幸い水溜まりに舌を伸ばせば解消できた。


 それにしても、いい気味ね。あの黒猫。私が反撃したら仲間を引き連れてぴゅーっと逃げていったわ。尻尾を巻いて逃げるとはああいうことを言うのね。


 勝ち誇りながら、もぞもぞと茂みのそばで身体を伸ばす。


「アカネ!?」


 そんなとき、どこからともなく蒼の声が聞こえた。


 ぱちっと目を開けると、ずぶ濡れの蒼が、傘もささないでこちらに駆け寄ってきた。


「アカネ! 大丈夫!? アカネ!」


 ひょいと拾い上げられて、右足がずざっと地面を擦る。


 い、いったーッ!


 ちょ、ちょっと、もっとゆっくり抱き上げてよ!


「ひどい怪我……ごめんねアカネ。私のせいだ。私が、窓の鍵閉め忘れてたから……!」


 ああ、それで脱走しちゃったのか。


「ごめん、ごめんねアカネ」


 別に謝られることじゃないってば。


 それに、私なんてね、あのヤンキー猫どもを返り討ちにしてやったのよ? むしろ褒められるべきよ。さあ褒めなさい褒め称えなさい。いつも私を小馬鹿にしてる生意気な後輩!


「アカネ、やだ……死んじゃやだよ……!」


 ぽつ、と水滴が一粒、額に落ちてくる。それが雨ではないことは、すぐに分かった。


「私、アカネがいなくなったら、また、一人になっちゃう」


 蒼がぐしゃぐしゃの顔で泣きながら、私を抱きしめている。


 そうだ、どうして気付かなかったんだろう私!


 蒼は、飼い猫のアカネのことが大好きだ。きっと、どんなものよりも、どんな人よりも、だ。


 だから、アカネを人質……いや猫質に取ればいいんだ! アカネを捕まえるのは簡単だ。


 私が猫になったら、部屋から脱走して、私の家に向かえばいい。そして十時になったら人間に戻るから、そしたら家にいるアカネをとっつかまえて、猫質にすればいいんだ。


 アカネを使えば、蒼は私に従うしかない。もう金輪際、生意気なことも言わなくなるだろう。


 これだ! なんて良いアイデアなんだろう!


 見てなさいよ蒼、これであんたなんか。


「アカネ、やだ……! どこにも、いかないで。もう、一人にしないで……!」


私を抱きしめる蒼の身体は、寒さからか、それとも、別のなにかからか。可哀想になるくらい、大きく震えていた。


「一人はもう、やだよ……アカネ」

 



 自室で目が覚めた。


 ああ、そうか。もう、十時なのか。


 蒼、こんな遅い時間に外に出て、飼い猫のことを探してたの? なにか事故にあったらどうするつもりなのよ……まったく。


 まあいいや。収穫はあった。蒼はアカネのことがだーーい好きで、それで、


 ――一人にしないで……!


「…………なによ」


 あんな子供みたいに泣いちゃってさ。


 これじゃあ、弱みを握ろうとしてた私が、すっごい嫌な奴みたいに見えるじゃない。


「冗談に決まってるじゃない、ばか」


 仕方がない。


 他の方法を考えよう。

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