第6話 後輩の下着

 その日の夜も、また猫になった。


 さっきまで自分の部屋にいたはずなのに、気付いたらあおの部屋にいた。しかも、ちょうど爪切り中だったらしく、私は蒼の腕の中にすっぽりとハマっていた。


 もう、なんなのよこれ!  


 昨日だけだと思ってたのに、また今日もなるなんて!


 おかげで八時からのドラマ見逃しちゃったじゃない!


 あれ、でもそういえば昨日も八時くらいだったような気がする。見たかった音楽番組があったから覚えてる。


「アカネ、終わったよ。今日もじっとしてて偉かったね。よしよし」


 蒼に頭を撫でられる。きもちいい。ごろごろ。


 ……じゃなくて! 気安く触らないでよ!


 蒼の手をペチッと叩く。


 昨日は猫になったばっかりでパニックになっていたけど、さすがに二回目ともなれば慣れる。 私はもうそんなナデナデされるような歳じゃないし、どっちかというとナデナデする側のお姉さんなんだから。撫でられ続けるのはプライドが許さない。


 ふん、いつまでもされるがままじゃないのよ。


「アカネ? どうしたの? あ、もしかして遊びたいのかな」


 蒼が猫じゃらしみたいなおもちゃを棚から取り出して、私の前にみょーんと伸ばしてくる


 そんな子供だましのおもちゃに私が引っかかるわけ……。


 ぺし。


 …………あれ?


 ぺし、ぺし。


「ほら、こっちだよ」


 ぺしぺし、ぺしぺしぺし。


 ……意外と難しいな。


「あれ、いつもならそろそろ捕まえるのに。今日はなかなか捕まえられないね」


 ――はあ、ちゃんと捕ってください。


 生意気な後輩に、なんだかそう言われている気がして、なんていうか、こう……本能的な何かが全身の気を逆立てた。


「にゃにゃにゃにゃ!」


 なによ! このくらいすぐ捕まえられるわよ!


 先っちょに取り付けられた羽めがけて、思い切り手を伸ばす。しかし、蒼が俊敏に動かすせいでなかなか触れない。


 人間でいるときより、動く物は鮮明に見える。猫の動体視力がなせる技だろう。それなのに、なんで触れもしないの!?


「にゃー!」


 ぱし! ぱし!


 もうこうなったら両手で挟んでやる!


 しかし、そんな小賢しい戦略も通用しなかった。


 羽の動きは見えてる。なのに、届かない!


「ちょっとスピードを落とそっか。アカネ、これならどう?」


 全然触れない私を気遣ってか、蒼が羽をゆっくり動かす。


 ……はあ?


 ふざけないで、バカにしてるの? そんな手抜きのを捕まえたってちっとも嬉しくない。


 私は抗議の意として、おもちゃからそっぽを向いた。


「え、アカネ、どうしたの? もしかして……これじゃやだ?」

「にゃ」


 短く答える。返事になってるかは、分からないけど。


「えっと、じゃあ……また早くしよっか」

「にゃにゃにゃにゃ!」


 きたー! 今度こそ捕まえてやる!




 ぜえ、ぜえ……。


 あれから十分ほど続けたけど、結局おもちゃを捕まえることはできなかった。


 アカネはいつも捕まえられてるっていうし、私の身体の動かし方の問題なのかな。


 それにしても、疲れた。猫って体力あると思ってたけど、持久力は案外ないのね。水をペロペロ舐めて、タワーの上で寝ようとしたら蒼にひょいと身体を持ち上げられた。


 膝の上に載せられて、顎の下を撫でられる。


 うぅ、なんでこんな気持ちいいの……。


 身体の力がふっと抜けて、抵抗できなくなっちゃう。


 おもむろに蒼が顔を近づけてきて、すーっと息を吸った。そうすると蒼は、幸せそうに私の……じゃなくて飼い猫の名前を呼ぶ。


 蒼の三日月みたいな瞳が、私を見下ろしていた。視線がぶつかると、蒼はしばらく見つめたあと、ゆっくりとまばたきした。


 その仕草に、私は何故かドキドキしてしまった。


 な、なにこれ。ただのまばたきなのに。なんでこんな、まるで好きな人と一緒にいるみたいな感覚になるの?


 そういえば、猫がゆっくりまばたきするのは、人間でいう「好きだよー」みたいな意味合いがあると聞いたことがある。だからこんなドキドキするのかな。


「アカネ、入っていいよ-」


 今度はなによ、と蒼を睨もうとして、私は思わずその場で飛び跳ねてしまった。


 なんと、蒼がシャツをたくしあげているのだ。


 ば、ばか! なによ急に!


 蒼の白い肌が雪景色のように目の前で広がっている。あ、ちょっとだけ腹筋割れてる……。 贅肉なんて微塵もない。くびれがくっきりとした、綺麗な身体だった。


 ていうか、入っていいよってなに? まさか、その中に?


 思えば、蒼の部屋に泊まりに来たとき、アカネはシャツの中でもぞもぞしていた気がする。


「あれ、どうしたの? アカネ。いいんだよ、おいで」


 蒼が子供をあやすみたいに、優しい口調で私を誘う。


 さらにシャツをめくって、肌の露出があがった。みぞおちから、上。白い生地の下部分が僅かに見えている。あれは、間違いなく、下着だ。


 別に、私が蒼の下着を見ること自体はどうだっていい。


 でも、猫の姿で。目の前にいる猫が私だと知らないまま蒼の下着を見続けるのは、なんていうか……罪悪感がすごい。


 それなのに、目を離せなかった。


 ごくり、喉が鳴る。


 はあ、はあ。息が荒くなる。


 ドキドキ。心臓が鳴る。


 その二つの膨らみ、そしてたくしあげられたシャツ。その間にある、空間。それらがとてつもなく、気になって仕方がない。


 飛び込みたい。触りたい。舐め……バカ!


 嘘でしょ? 私って、そういう趣味があったの?


 葛藤している間にも、手足は無意識に前へ前へと踏み出してしまう。


 ぴと。蒼のお腹に肉球を当てる。


「んっ」


 冷たかったのか、蒼の口から吐息が漏れた。


 私はそのまま、お腹、おへそ、みぞおちと、触れる箇所を上にずらしていく。


 その間もずっと、蒼はシャツをたくしあげたままだった。


 そして、白い生地に爪をひっかける。


「にゃっ!?」


 だけど、うまくいかなかった。


 私は体勢を崩して、床に落ちそうになる。


 わっ、危ない! 急いで手を伸ばす。


 何か、何か捕まるものは……!


 そのときだった。


 私の爪が、たくしあげたシャツの奥から覗く、白い生地にひっかかってしまった。


 私はその白い生地……蒼のブラジャーを掴んだまま、下に落ちていく。


 重力に従い、ブラジャーがズレて、それが隠していたものが、シャツの隙間から……。


「わあああああっ!?」


 私は悪い夢から覚めたみたいに、飛び起きた。


「はあ、はあ……!」


 周りを見渡す。わ、私の部屋だ。


 どうやら私は、昨日と同じように猫から人間へと戻ることができたらしい。


 それにしても……。


「ちょ、ちょっとだけ、見えた気がする……」


 いや、気のせいかもしれない。でも、なんか白い肌に、また別の色が……。


「ううううう何思い出してんのよ私!」


 ちょっと変態っぽい。最悪だ……。


 でも、人間に戻れてよかった。あのまま猫の状態だったら、私は、その見えたものに対して飛びついていたかもしれない。それを想像すると、恐ろしい。


「これ、絶対バレたら終わる……」


 実は、猫になってしまっていることを、誰かに相談しようと思っていた。相談相手としては、やはりアカネの飼い主である蒼が適している。もしかしたら思わぬヒントをくれるかもしれない。


 だけど、今日ので確信した。


 私が猫になってることを蒼に知られたら、絶対今日のことを掘り返される。


『つまり、先輩は猫になっていることを隠しながら、私の胸を見ていたってことですか? あんな事故を装って下着まで剥いで。最低ですね。……変態』


 うわああああ!


 絶対ダメ! 絶対蒼にはバレちゃダメだ! これから一生、あいつに言い返せなくなっちゃう!


 しょうがない。まずは自分で原因を探ろう。


 どうして、猫になってしまうのか。

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