飼い猫の恋事情

野水はた

一章

第1話 生意気な後輩

「あの、先輩。そろそろ電気消してもいいですか?」


 まだ十時にもなっていないというのに、あおは布団に潜り込みながらつま先を私に向けて言った。礼儀もへったくりもない指が埃を掃くみたいに動いている。


「待ってよ、私いつもは十一時に寝てるんだけど。さすがに早すぎるでしょ。九時に寝るとかうちのおばあちゃんと一緒よ。もう老化が始まってるんじゃないの?」

「人には人の生活リズムがあるんです。郷に入っては郷に従うって言葉を知らないんですか? いつも中毒者みたいに覗き込んでるそのスマホは何のためにあるんですか?」

「なっ、なんて生意気な……!」


 大きな声を出そうとして、慌てて口を噤む。


 ここは蒼の家。こんのクソ生意気な後輩に非があるだけで、私を優しく招き入れてくれたご家族は何も悪くない。


「そもそも、なんで私が敷き布団なの? お客さんなんだから、ベッドくらい譲りなさいよ」

「招かれざる客って知ってます? それとも、客は神様だって自分で言うタイプですか? 誰もあなたのことなんて呼んでないんですよ」

「部内でコンビネーション取れてないのはあんたと私だけなんだから。こうして部活以外でもコミュニケーションを取って連携のクオリティをアップさせようって監督も言ってたでしょ? もう忘れたの?」

「その横文字つらつら並べるの鼻につくのでやめてください」

「はあ? 並べてないし」

「そもそも、そんなことで上達するとは思えません。だって、足を引っ張っているのは先輩なんですから。ああ、けど先輩は監督の言うことならなんでも聞くんでしたね。愛嬌だけでレギュラーを勝ち取った世渡り上手はさすが、違いますね」

「ちょっと、それどういう意味? 監督の指示は間違ってない。あとは私たちがそれを実践するだけ。違う?」

「じゃあ聞きますけど。今の惨状を見て、私たちが連携を取れるようになると思えますか?」


 蒼がめんどくさそうに上体を起こして、テーブルに置かれた封の開いていないポテトチップスの袋と炭酸ジュース、それから借りてきたDVDを指さす。


 お泊まり会でもしてみろというのが、監督の提案だった。私はそれに従って、いつも友達とするようなお泊まり会定番のアイテムを持ち寄ったつもりだ。


 けど、まあこんな後輩とお泊まりしていても、話は弾まないし、楽しくもない! 甘いお菓子に手を伸ばす気にもならなかった。


 あげくの果てに蒼はなんて言ったと思う? 私の好きなロマンス映画に向かって「頭の悪い女が好む薄味のお涙ちょうだいもの」だって! 信じられない!


「あんたが全然楽しむ気になってくれないからでしょ!? こっちはちょっとでも盛り上げようと頑張ってるのに!」

「誰も頼んでいないことを勝手にやって、それをやってあげてると思い込むなんて恩着せがましいにも程がありますね。お菓子が食べたいのならどうぞご勝手に」

「ほんっっと! 可愛くない後輩! 敬意ってもんはないの!?」

「ありますよ。だから敬語を使っているんじゃないですか。先輩は偉いです。だって私より一年も早く生まれたのですから。すごいですね。尊敬してます」


 え、待って。本当にムカつく。


 なんなのその冷めた目は。一年生ならもっと初々しくしなさいよ。人生二週目みたいな面しやがって……!


「にゃあ」


 そんなとき、部屋の隅に置かれていたタワーの上から猫がピョンっと降りてきた。


「アカネ、どうしたの? うん、そっか。寂しくなっちゃったんだね。よしよし」


 蒼の飼い猫であるアカネだ。赤みがかった毛色は夕陽に照らされたすすきを思い起こさせる。毛並みもよくて、しっかり手入れされているのが窺える。


 アカネは蒼のお腹の上に乗ると、甘えるように鳴いた。


「あ、もう。くすぐったいよアカネ。あはは、そんなところ入っちゃだめだってば」


 シャツの中にアカネが入り込んで、蒼がくすぐったそうに笑っている。かと思えば、私の視線に気付くと心底嫌そうな表情に変わった。


「ジロジロ見ないでください」

「はあ……あんた、他の人にもそうやって猫と同じように接してればもっと可愛がってもらえるのに」

「なんで私が媚びを売って歩かなければならないんですか? 安心してください、媚びを売るのは先輩だけで充分ですから。他人の市場は荒らさない主義なのです」

「だからその一言が余計だって言ってんのよこの鉄仮面!」


 私の声に驚いたのか、アカネがビックリして蒼のシャツから飛び出てくる。離れてしまったアカネを寂しげに見つめてから、蒼はため息をついた。


「どうして先輩が、私の猫と同じ名前なんですか?」

「何よ、なんか文句あんの?」

「文句ではありません。ただ、許せないのです。あなたのせいで、アカネを呼ぶとき顔がちらつくんですよ。本当、どうしてくれるんですか?」

「私のことも名前で呼んでいいのに。あかね先輩♡って」

「絶対に呼びません」

「あっそ」


 アカネは興奮しているのか、急に部屋をドタドタ走りだした。


 蒼の部屋はほとんど物が置かれていない。もしかしたら、アカネが走り回るからなのかもしれない。


 四隅を駆け回ったあと、アカネは蒼の首元に口を近づけ、ペロと舐めた。蒼はくすぐったそうに「もう、アカネ」と言い、ちゅ、とその鼻先に唇を付ける。


 溺愛、という言葉が思い浮かんだ。


「ねえ、私にも抱っこさせてよ」

「えぇ……」

「ちょっと、なによその嫌そうな顔」

「アカネが許可したらいいですけど」 


 蒼はアカネを太ももの上に載せる。


 アカネの空色の瞳が、ジッと私を見つめてくる。


「ほら、怖くないよ。お姉さんのとこにおいでー」

「お姉さん……?」


 蒼が何か言いたそうにしていたので、睨んで黙らせる。


 アカネは私の声に反応して、お尻をフリフリさせはじめた。


 ほら、きっと嬉しいんだ! 猫だって、あんな無愛想で生意気な奴より、私みたいに綺麗で優しくて可愛いお姉さんがいいよねー?


 かと思ったら、アカネは目にもとまらぬ速さで私の顔めがけて飛んできた!


 アカネの方も勢いを付けすぎたのか、空中で体勢を崩していた。


「え、ちょっと!?」


 弾丸のように飛んでくる小さな身体。


 当然、そんなの急に避けられるはずもなく。


「ぎゃっ!」

「にゃっ!」


 ゴチーン! 


 鈍い音が額を伝って響いた。


 目の前がチカチカして、なんだか意識が遠のいていく。


 …………。


 ……。


「ちょっと、先輩。聞いてるんですか?」

「ほえ?」

「そんなところで寝られても困ります。私がいじめてるみたいじゃないですか」


 どうやら私は、テーブルに突っ伏したまま眠っていたようだ。


 うーん、さっきまでは全然眠くなかったんだけど。疲れてるのかな……。


「って、なんでベッドに入ってこようとしてるんですか」

「だって眠いんだもん」

「床で寝てください」


 蒼に蹴っ飛ばされて、床に転げ落ちる。


「な、なにすんのよ! 蹴ることないじゃない!」

「正当防衛です。突然夜這いしてこないでください変態」

「誰が変態よ!」


 蒼は私の抗議なんてさっぱり聞き入れる様子がない。迷惑そうに眉をひそめて、私に背を向けて布団をかぶった。


 まったく、なんてかわいげのない後輩。


 こんなやつと仲良くなんて、本当になれるのかな……。


 しょうがなく、私も敷き布団を広げて、電気のスイッチに手を掛けた。


 ふと、部屋に設置されたタワーの方を見る。


 私の気も知らないで、アカネはのんきにあくびをしていた。


 はぁ……。


 いいわね、猫って気楽で。

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