再就職は武田信玄! ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~
浦賀やまみち
始の章
第0話 影武者、風林火山を語る
「疾きこと風のごとく……。」
日本史上、応仁の乱に端を発した戦国時代。
綺羅星のごとき英雄たちが次々と生まれ、そして散っていった乱世。
その群雄の中でもひときわ眩く輝き、天下をこの手に掴まんとした男がいる。
戦国の寵児たる織田信長をして恐れさせ、やがて戦国の幕を下ろす徳川家康をも苦しめた、甲斐信濃の雄。
武田信玄。
もし今この姿を日本人百人に見せたなら、百人が百人、迷いなくこう呼ぶに違いない。
「徐なること林のごとく……。」
なにしろ、今の俺は武田信玄そのものだ。
諏訪法性兜に赤糸威の二枚胴具足、朱色の陣羽織。
床机に腰を下ろし、右手には軍配団扇。そこに記されているの、『風林火山』の四文字。
どこからどう見ても、誰もが一度は肖像画で目にしたことのある『武田信玄像』そのままの姿。
他の答えなどまず浮かばないし、たとえ名前が出てこなくても『これが信玄だ』と直感できる。そう断言できるほどだ。
「侵掠すること火のごとく……。」
ここがコミケの会場なら、間違いなく写真を撮られまくりだ。
さすがにセクシー路線のレイヤーさんには敵わないだろうが、一般部門の話題は俺が総取り。
下手をすれば、今日のネットのトレンドワードに『武田信玄』が躍り出るかもしれない。
「動かざること山のごとく……。」
それほどまでに、今の俺は圧倒的な存在感を放っていた。
触れることすらためらわせる、本物だけが宿す輝き。
わかる人には一瞬で伝わり、わからない人でも直感で感じ取ってしまう装飾の気品。
ダンボールやプラスチックで作られたコスプレ用の模造品とは、明らかに格が違う。
『博物館の展示品を着てきました』とでも言おうものなら、誰もが失笑しつつも、心のどこかで『えっ!? まさか……。』 と疑いを抱くくらいの美が、そこにあった。
「我が武田の心得ですね! 父上!」
「勝頼、知っているか? 風林火山には、実は続きがあるんだぞ?」
「……えっ!?」
そう、これはコスプレなどではない。
偽物なのは、この『俺自身』ただ一人。
ここにあるものは、何ひとつとして現代の模造品ではなかった。
四方に張られた、武田菱の家紋が染め抜かれた陣幕。
その外から伝わってくる、肌を刺すような緊迫感。
そして、腰に差した日本刀。
鞘を払えば即座に人を殺める道具となる、本物の質量を帯びた刃だ。
しかし、銃刀法違反で逮捕される心配はない。
そもそも、そんな法令は今の世には存在せず、その概念すらまだ生まれていない。
「武将なら、風林火山の四文字で十分……。
だが、お前は君主だ。君主に必要な教えが続きにある。
だから、課題だ。……孫子を学び、風林火山の続きを知るのだ」
「はい、分かりました!」
今は正親町天皇の御代、永禄四年。
馴染みのある西暦で言えば、1561年。まさに戦国時代真っ盛り。
季節は、これから暑さが本格化する初夏。
場所は、北信濃の犀川南岸。
ここまで言えば、戦国時代に詳しい人ならもう気付くだろう。
通称『川中島の戦い』と呼ばれる、戦国時代を代表する合戦地である。
なぜ、21世紀の日本で生きていたはずの俺が、戦国時代なんかにいるのか。
その理由は分からない。知りたくてたまらないが、それを知る日はおそらく来ないのだと思う。
「まっ……。俺も『ググる』まで知らなかったけどさ」
だが、俺が武田信玄の姿をしている理由なら説明できる。
21世紀よりはるかに命が軽いこの戦国時代を生き抜くため、そう選ぶしかなかったからだ。
では、なぜ『選ぶしかなかった』のか。
それを語るには、少しだけ時間が必要になる。
突然この時代に放り出されてから、まだ四年と少ししか経っていない。
しかし、その四年は、俺にとって気が遠くなるほど長い時間だった。
「御旗楯無も御笑覧あれ。……ってね」
今こちらへ向かっているはずの、後の世で『上杉謙信』と呼ばれる『上杉輝虎』が到着するまでには、まだ少し余裕がある。
これから始まる一世一代の大勝負を前に、過去を振り返ってみるのも悪くはない。
そう思いながら、夏の抜けるような青、さらにその奥の青さまで透けてしまいそうな空を仰ぎ見て、小さく呟いた。
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