・カラスと悪の女総督の最期の夜
大橋の崩落は戦況を一変させた。これまでイゾルテに従っていたファフネシア正規軍は次々と寝返りを宣言し、反乱軍【竜の翼】へと加わった。
帝国からの増援がなければ国内の帝国軍もイゾルテも恐るるに足らず。タイス港に駐屯していた正規軍主力もまた寝返り、竜の翼本隊の上陸を援護した。
「まずいです、まずいですよ、バルドゥ将軍!」
「な、なじぇ……っ!? なじぇにこんなことにぃぃ……っ!?」
そうなれば駐屯していた帝国陸軍もふんぞり返ってなどいられない。狩る側、狩られる側の立場が逆転し、帝国軍は都の防壁を盾に立てこもった。
「イ、イゾルテ殿ッ、こ、これはどういうことだっ!? な、なぜこのようなことになっているぅっ!?」
「ククク……何をうろたえている。橋が落ちた程度で豚のようにわめくな」
「ブッブヒィィッッ!! 援軍の望みが断たれたっちゅぅーのにっ、何をふんぞり返っておるかぁーっ!!」
「左様、我らは反乱軍に――バロン王子に破れるだろう。こうなっては、もはや避けようもない」
俺はジークとしてこれまでやってきたことの逆のことを行った。すなわち総督府に潜入し、イゾルテや都の帝国軍の動行を偵察した。
イゾルテは少し痩せた。昼食も摂らなくなり、こっちは見ていられなくなった。彼女にはもう健康を維持する理由もない。運命の時が訪れるのを待つだけの、生ける死人だった。
反乱軍の包囲は大橋の崩落後、3日で完了した。これより反乱軍は都市に立てこもる帝国軍を倒し、逆賊イゾルテを討つ。
決戦前夜。そう呼べる日までジークとしてバロンを支えると、カラスはバロンを探して野営地を飛び回った。
「ねぇバロン……。イゾルテお姉さま、どうして変わっちゃったんだろう……?」
バロンはプリムと野営地を離れた静かな林で休んでいた。
「どうしても何もないよ。イゾルテは元々、この国の女王になれる立場だった。そこに僕が生まれて、僕たちが許せなくなったんだよ……」
「そうなのかな……」
「そうだよ、他にイゾルテが父上を裏切る理由なんてない! あの人はやさしい姉を演じながら、最初から僕たちを陥れるつもりだったんだっ!」
興味深い話だった。身を潜めて彼らの様子をうかがった。
「でも、よく考えたらさ……やっぱりおかしいよ……。お姉さまはうちらを裏切るような人じゃなかったよ!」
「突然何を言うんだよ、プリム……。君だってイゾルテを憎んでいたじゃないか……!」
「そうだけど……そうなんだけど……でもぉ……」
もしこの2人がイゾルテの真意に気付いたら先王の策は崩壊する。それはそれでカラスには望ましい展開だった。
「あのね、うち、大橋の戦いでおじさま――ロジェ王様を見た!」
「うん、噂になっているね。父上が小熊座傭兵団に加勢して、それから谷底に消えたって」
「変だよ、バロン……。なんか変だよ……よくわかんないけど、この戦い、変だよ……っ!」
「また直感……? 変とだけ言われても、僕にはよくわからないよ」
バロンは考える素振りを見せた。プリムの直感はバカにならない。そのことを彼は知っていた。
「……都合が良すぎる。プリムはそう言いたいの?」
「え、ううん……どうだろ……」
「橋落とし、あんなに簡単に行くとは思わなかった。ジークの助力があったとはいえ、守りがあんなに手薄だったなんて、確かに都合が良すぎる……」
「う、うちにはそういうのわかんないよぉー!」
これまでイゾルテの手のひらで踊らされてきたバロンは、ここにきてやっと違和感に気付いた。
「【帰らずの収容所】……みんな無事だった……」
「うん、ロンバルトさん、無事で良かったよね!」
「【魔導機械兵】と【海底要塞】……イゾルテと帝国に奪われることなく、3年間、あそこにあった……」
過集中に陥りがちの婚約者をプリムはそっとしておいた。しばらくすると、その婚約者がハッと気付いた顔をした。
「何々っ、何か思い付いたのっ!?」
「ううん、何も。あり得ないよ、こんなの……」
「教えてよっ、バロン!」
「きっと気のせいだ。言えないよ、こんな仮説……」
バロンは気付いたのだろうか、全てイゾルテが手引きしていたことに。いや、どちらにしろ、仮に気付いたところで彼はもう止まれなかった。
「僕は明日、イゾルテを倒すよ」
「バロンはそれでいいの……?」
「僕は感情だけで動いてはいけないんだ。今や世界中が僕たちの反乱に注目している。イゾルテは倒さなきゃいけない、何があっても……」
「だったらうちも戦う。うちも、イゾルテお姉さまを倒す。倒して、みんなを解放しよ!!」
ままならないものだ。望み通りの展開にならず落胆したカラスは、恋人たちの足下に飛び降りた。
「ジ、ジークゥッッ?! えーっ、いつからそこにいたのーっ!?」
「盗み聞きが趣味でな、申し訳ない」
「申し訳ない一言で済ませようとしないでよーっ!」
「さて、君たちとずっと一緒に居たかったのだが……すまない、共闘出来るのはここまでのようだ」
「ええっっ、これからってところなのに、なんでーっ!?」
君たちが決断したからだ。君たちが正史を歩むというならば、やはり俺はそれをぶち壊す他にない。
白いカラスは変化を解き、黒いカラスのカオスへと戻った。
「えっえっえっ、えーーーーーーーっっ?!!!」
「大切なトモダチよ、明日、決着を付けよう。君たちの野望を俺は全力で阻む。君たちは見事このカオスとイゾルテを討ち、独立を勝ち取って見せよ」
カラスは翼を羽ばたかせた。
「ジークッ!!」
トモダチに呼び止められたので枝に止まり、後ろを振り返った。
「なんだ、バロン?」
「どうして僕を助けてくれたの……? 白痴を演じていた僕を、どうして、励ましたの……?」
「君を見張っている間に、君のことが好きになってしまったからだ。バロン、君が再び俺を斬り殺しても、恨みなどしない」
カラスは林から飛び立ち、孤独に戦うイゾルテの元に帰った。政務室にイゾルテの姿はなく、彼女は自宅のベットに横たわっていた。
「カァくん……」
彼女は眠ってなどいなかった。羽音に気づき、身を起こすとカラスを腕に止まらせた。
「すまない、帰ってきてしまった」
「ダメ、ここに残ってはいけない。バロンのところで幸せに生きて」
「無理だな、正体を明かし、決別を言い渡してきたばかりだ。明日は君と共に戦おう」
何も言わずにイゾルテはカラスを抱き締めた。
「嬉しい……。でもダメ、それだけはダメ……貴方にはバロンを守ってほしいの……」
「今日まで君のどんな願いも叶えてきたが、こればかりは従えない」
「ダメ……貴方が死んだら悲しい……」
「それは俺も同じだ。君がここで死ぬつもりならば、俺もここで死のう」
バロンのその後を見守れなくなるが、大丈夫だろう。戦力外のカラスなどいなくともバロンは世界を救う。
「ダメ、許さない! それだけはダメ!」
「君のいない世界で生きるのはもう嫌だ」
突然の奇妙な言い回しにイゾルテは黙った。それがどういう意味なのか、興味を持ってくれたように見える。
「実はな、俺は二巡目のカオスなのだ。君の命令に従い、バロンとプリムの使い魔となったカオスなのだ」
「どういうこと……?」
「明日、バロンは君を倒し、ファフネシアの王となる。その後、バロンは帝国相手の独立戦争に打ち勝ち、帝国に服従する諸国はバロンの支援で立ち上がる」
イゾルテは戸惑っていた。自分の使い魔が、まるで見てきたことのように未来の話を始めるからだ。
「最後は帝国の背後にいる真の悪が討たれる。ほら、レプトウスのあの姿を見ただろう? 帝国はアレに巣くわれている」
「本当に、そうなるの、カァくん……?」
「そうだとも。君が死ねば苦難の果てのハッピーエンドが待っている。今の我々ならバロンを倒すのはたやすいが、俺はもう嫌だ。俺は君と一緒にここで死にたい」
イゾルテは突拍子もない話を信じてくれた。信じた上で、共に死にたがる使い魔に首を横に振り、その結末だけは受け入れられないと拒んだ。
「カァくんが死ぬのはダメ……それだけはダメ……ッ」
「俺も同じ気持ちだ。君が死ぬのはダメだ。それだけは認められない。君の杞憂は俺がどうにかする。俺と一緒に生きてくれ、イゾルテ」
気持ちを伝えるとイゾルテは大粒の涙を流し、カラスを頬で抱いて、大きな泣き声を上げた。まるで子供のように彼女はわんわんと泣き、やっと本音を漏らしてくれた。
「私……生きたい……」
「本当か?」
「私、貴方と一緒に、生きたい……! 死にたくないっ、貴方とずっと一緒にいたい! 死ぬのは嫌……死ぬのはやっぱり、嫌……!!」
彼女はついに折れた。なんということだろう、人化の必要はなかったのだ。カラスのままでもイゾルテの説得は可能だった。
「生きろ。君には生きる権利がある。君はファフネシアの独立のために、名誉も友人も人生すら何もかもを捧げた。君は生き残り、幸せになる権利がある!! 君に罪はない!!」
誰にも理解されぬまま彼女は3年間堪えた。強く気丈な女だ。それがついに折れ、弱い本当の姿をさらけ出した。
「もう何もわからない……。どうすればいいのかもうわからない……。お願い、カァくん……弱い私を、導いて……」
「我が主よ、任せてくれ。俺は君を生かすために今日まで暗躍を続けてきた。ここから先は、俺の計画に従ってくれ」
「うん……」
素直な返答にカラスは翼で主を慰めた。
「ところで、かなり大きな動物に化けられるようになったのだが、希望はあるか?」
「ほ、本当……!? じゃ、じゃあ……最期の夜に、ちょっとだけいいかしら……?」
「かまわなかろう、どちらにしろ総督府とも明日限りだ。やりたいようにやればいい」
「じゃ、じゃあ……フェンリルになって!! それからっ、大きな鷹になって、出来たら背中に乗せてほしい……!!」
「ム、ムチャクチャな要求をしてきたな……。まあよかろう、やるだけやってみるとするか」
その晩、総督府の庭に一軒家の屋根ほどの体高のある白い狼が現れたり、巨鳥が天を舞い両軍を戦慄させたというが、それは我が主が望んだことに過ぎない。
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