第2話 俺、運命を恐れる。

「まだ気分が優れないのだろう。もう一日はゆっくり休みなさい。マーサ、しばらくひとりにしてやってくれ。」

 ルミナリア家当主でアリシアの『お父様』、レイモンド=ルミナリアはそう言って部屋を出た。メイドのマーサも心配そうにこちらを振り返りながら、後ろからついていく。


 なぜ名前を知っているかって?

 きっとこれはアリシアの記憶だ。

 そしてその名前すら、かつて描いた理想の世界と同じだった。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 その日の夜、俺は探索を始めた。

 ベッドを降りて部屋の棚に近づくと、重厚な装丁の書物が二冊置かれている。この世界に広く浸透する宗教『ルーラ教』の教典と聖魔法の魔導書だ。ルーラ教はその昔、世界を救ったという『聖光竜』を信仰する宗教で、隣国のルクシオン神聖国がその聖地である。アリシアは敬虔な教徒で、見習い魔導師でもあった。

 この世界の世界観はそれほど珍しくない。魔法があり、多くの種族が暮らしており、ちょっと悪い国とちょっと悪い教会があって、ドラゴンもいる。

 「魔法…。今はやめておくか。」

 書物をパラパラとめくりながら、呟く。

 たしかアリシアは魔法はそれほど得意ではなくて、よく暴発させてしまう…みたいな設定だったはずだ。『高出力ゆえに魔力制御が難しい』とか、そういう設定は特につけていない。ちょっとしたドジっ子属性。そこら辺のスキルが引き継がれているかはわからないが、こんな時間に騒ぎを起こしちゃ大変だ。


 書物を棚に戻したとき、横に置かれたペンダントが目に入った。拳より一回り小さいくらいの、真っ赤な宝石のペンダント。俺の物語には出てこないアイテムだが、アリシアの記憶にも無いようだ。しかしやけに俺の意識を吸い込んで離さないそのペンダントは、直感的に、大切な―あるいは厄介事の種になりそうな―ものなのだろうと思った。


 そのあとはこっそりと部屋を抜け出し、パジャマのまま屋敷の中を歩いた。

 夜の廊下は少し冷えていた。あたりは静まり返っていて、燭台の明かりが廊下をぼんやり照らしている。

 寝室のカレンダーによると、今は3月だ。アリシアは普段、王都の屋敷に住み、アウレリア王国の王立貴族学院に通っている。今は春休みで領地へ戻っていた。


 屋敷の中には見覚え…いや、書き覚えのある場所はいくつかあった。しかし、知らない部屋やインテリアもたくさんある。あまり細かく描写するタイプじゃなかったからな…。書いてないことは、良い具合に補完されているらしい。

 だから屋敷の構造も知らないはずなのだが、それでも不思議と迷うことはなかった。『体が覚えている』ってやつなのだろう。


 廊下の突き当たり、壁に飾ってある肖像画には先ほどの男が描かれている。その下には『レイモンド=ルミナリア伯』と書かれていた。

 やはり、ここは俺の小説の中の世界で。俺はなぜか主人公(俺)ではなく、アリシアに転生したというわけだ。


 はあー。なんてこった。

 普通、転生するなら主人公だろう。

 最強冒険者になって、ハーレム作って、最後にはアリシアと結ばれる。その予定だったのに、まさか俺がアリシアになってしまうなんて。

 主人公転生なら何百パターンもシミュレーション済みだが、ヒロイン転生なんてのは全く想定していなかった。


「でも、かわいくて、お金持ちで、高貴なアリシアとして生きていくのも、悪くないかもな」


 窓に目をやると、やはりアリシアの姿がぼんやりと浮かんでいた。艷やかな髪の毛。白磁のような肌。胸は大きくはないが、控えめというほどでもない。何度見ても俺が"設定"したアリシアだ。


 ルミナリア家の長女。無邪気で愛嬌があって、芯の強い女性。曲がったことが嫌いで、理不尽な目に遭っている人を見るとすぐ割って入ってしまうような。普通なら逃げ出すような場面でも、踏み込んでいく勇気がある。少年みたいな好奇心でよく学び、どこへでも突き進む。それでも、本当は繊細で涙もろいただの女の子。

 俺が理想のヒロインとして磨き上げた存在。

 それが、アリシア=ルミナリア。


 つくづく、現実の燻っていた俺とは真逆の人間だ。強く、眩しく、皆に囲まれ、愛される資質がある。そんな人生を、俺がやっていけるのだろうか―――。


 不安とは裏腹に、この体自体は、女の体であるということを忘れてしまうくらいに馴染んでいた。どうやら"感覚"や"無意識"、"記憶"はアリシアのものらしい。だが、"理性"や"解釈"は俺のものが残っている。

 つまり自分に胸があることが邪魔ではないけれど、視界の端にふわっと現れると落ち着かない。スカートの軽やかな感触も気にならないが、ふとした拍子に何となくそわそわする。そして女の体への興味みたいなものも、ちゃんと残っている。

 とりあえず、自分の体についてはある程度知っておく必要があるだろうな…。いや、邪な気持ちなどではない。決して。


 部屋に戻った俺は、ベッドに仰向けで倒れ込んで考える。

 俺がアリシアだというなら、昨日の『アリシアが森で倒れているところを救われる』というイベントも知っていた。

 そう、俺を救ったのは他でもない主人公・ユウシ=サガラ。

 そして正史通りなら、明日、ルミナリア伯に招かれた俺…ではなくユウシは、アリシアと出会うことになる。


 シナリオではこのあとアリシアは、主人公に好意を抱き、行動を共にするようになるのだが。

 もしかしてこのまま行くと俺は俺に惚れて、俺と結ばれる、"俺ルート"に入るのか…?

 主人公(俺)がアリシアと結ばれるのは喜ばしいが、あのシーンもあのシーンも、全部アリシア視点になるのか?

 手を繋ぐのも、抱きしめられるのも、キスをされるのも、"俺"がされる側で、俺がしてくるわけで…。


 …そんなのってないだろ!俺は女の子が好きだ。異世界に来てまで男といちゃつく道理はない。そうだ、百合ルートという選択肢だって…。

 でも世界が運命に収束していくというのなら。あるいは、俺の中にアリシアが残っているのなら。


 俺に会ったとき、俺―――アリシアの気持ちはどう揺れるのだろう。

 アリシアと俺という存在の曖昧さに、初めて恐怖を覚えながら、いつのまにか意識は深く沈んでいった。

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