龍子相搏つ

古里郷里

序章

第1話 邂逅と命令

木々が鬱蒼うっそうとした山の頂に、其れは居た。全身を覆うまるで黒曜の様な鱗、大地を抉る鋭利な鉤爪、とぐろを巻くように寝そべりながらも感じられるその大きな玉体。


 親龍様が、歴史に語られるままの姿でそこに居た。


 私は母から貰ったペンダントを握りしめ、恐怖を押し殺すと、その場に両膝をつきこうべを垂れて、畏れ多くも進言する。


親龍しんりゅう様とお見受け致します。私奴わたくしめはパトリシアと申します。教皇様の御導きの元、この身を捧げる為参上致しました。」


おもてをあげよ』との命に従い頭を上げて、彼の龍を視界に納めて見ると、親龍様はその黄金の眼で真っ直ぐと私を射抜いていた。妖しく輝くその眼差しを受けて、恐れと畏れが入り混じった、冷えた感覚がこの身を震わせる中、親龍様があぎとをゆっくりと開き、その玉声を発っする。


『我は汝の身など欲してはおらぬ。疾く失せよ。』


 それは、全く聞き覚えの無い言語のはずなのに、まるで地鳴りの様な深く美しい声色は、その意味を如実に伝えてくる。だが、親龍様はこの身を不要だと言う。私はもう一度頭を深く下げ、訴える。


「我が国トリイは盟約により親龍様に贄を供えております。豊穣を司る親龍様、どうかこの身を以って我が国に富と繁栄をお与え下さい!」


 親龍様は私から眼を逸らし、興味を失ったように御首を伏せてしまう。


『人の身でありながら厚かましい。価値なき己が身を捧げ、あまつさえ国を富ませよと?程度が知れる。片腹痛いわ。』


 少しの愉快さも感じぬ声色から、本当に私を必要とはしていないのだと嫌でもわかる。


 伝承によると、少女を生贄として親龍様に捧げる事で、それより10年の豊作を齎してくれるとされている。


 伝承が間違いだったのだろうか。しかし何としてでも親龍様に、ご加護をお与え頂けるよう約束して貰わねば、母にも国にも顔向け出来ない。


『どうかご加護をお与え下さい!何でも!親龍様の命じることなら何でもします!どうか、どうか…!』


 私は地面に額を擦り付けて、懇願する。自身が手土産にならない以上、こうして誠意を見せる他に出来ることはなかった。


 親龍様はしばしの沈黙の後、おっしゃった。


『なれば、汝に命ずる。我が鱗を磨け。頭から尾の先まで、一枚残らずだ。終えるまで休息は許さぬ。』 



 それは、全く不可能な命令だった。身長5フィルド(150センチ前後)の私が見上げるほどの巨躯。目算300フィルド(100メートル前後)はある親龍様の全身を、鱗は隙間なく覆っている。それを不眠不休で磨くとなると、一体どれほど時間がかかるのだろう。人の身で成せる事とは思えない。


 きっと親龍様は、強情な私を諦めさせるために、この様な無理難題を命ぜられたのだろう。否応なく、気が落ちる。


 そんな時、故郷で待つ病気の母の姿が脳裏に浮かんだ。諦める訳にはいかない。やり遂げねばならない。これは試練なのだ。たとえこの命が尽きても、母の為、国の為。私は意を決して答える。

 

「畏まりました。謹んで拝命致します」


『……』


 親龍様は黙したまま、その玉体を伏せた。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 木漏れ日が降り注ぐ獣道を水音を頼りに進む。。足元では落ち葉や小枝がパキパキと小気味いい音を立るので些か足取りが軽やかだ。


 親龍様の鱗を磨くにあたって、水は必要不可欠。親龍様を喜ばせるのが目的なのに、鱗を傷つけたり、汚したりしてしまっては彼の龍を不快にさせてしまう。


 顔にぶつかってくる虫や枝葉を両手を振って払いながら、そういえば山に入ってから今まで、獣の類に出くわしていないな、などと考えていると、不意に少し開けた場所にでる。


 岩が折り重なった様な地形になったそこからは、陽の光を反射してキラキラと輝く湧水が、沢の様に流れ出ていた。私は沢に駆け寄り手を浸してみる。


「冷たっ!」


 思わず手を引っ込めてしまったが、見たところ綺麗な水のようだ。


 これで親龍様を綺麗にする事ができると考えてふと、布がない事に気づく。布がなくては使命を全うすることができない。何かないかと周りを見回して、大きな葉はどうだろうと考えますが、やはり不釣り合いだろう。


 自らの装いを見下ろしてみる。山登りでやや汚れているものの、公爵様より下げ渡された、それはそれは上等な布を使用した白のワンピース。これを水で清めれば親龍様のお体を拭くのに相応しいものになるのではないか。


 私はワンピースの裾を両手で持ち上げて、捲り上げる様に脱ぎ去り、粗末な下着姿になる。   


 ワンピースを沢に浸して、両手で揉む様にして洗う。


 そうして何度も布を揉み洗って、最後に両手で力一杯絞って水気を切る。


「これでよし!」


 ワンピースを広げて見ると、水でしなびてしまったが、土汚れは軒並み落ちているようだ。これならば彼の龍のお身体を拭くのに不足は無さそうだ。私は立ち上がり、元来た獣道を引き返した。

 

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