泡沫の命/泡沫の恋
葉月 陸公
泡沫の命
好きになった相手が、同性だった。
私はもう、三十二歳。両親からは「早く結婚して孫の顔を見せろ」と言われていた。でも、私は男性に恋心を抱くことがなかった。所謂、『レズビアン』というやつだろう。初恋相手も幼稚園の女の先生だったのだから、おそらく、間違いない。
そんな『レズビアン』の私を、世間は「受け入れよう」と謳いながら、なかなか受け入れてくれなかった。自分がレズビアンであることを話せば、少しずつ距離を置かれ、いつしか孤立するようになってしまった。ありもしない噂により苦しんだり、お酒の席で揶揄わられたり、散々だった。
しかし、たった一人だけ、こんな異質な私のことを受け入れてくれた子がいた。
《
会社の、八つ年下の後輩。『橘脳神経外科』という、地元では有名な病院の一人娘で、少しドジな部分のある、可愛らしい女の子。しかし『医者の娘』という肩書きから堅いイメージを持たれ、また、美しすぎる容姿から『怖い』という印象を持たれ、周囲からは、不当に距離を置かれていた。
でも、私は知っていた。彼女は他の誰よりも頑張り屋さんで、柔軟な発想力を持っていて、笑うと可愛い、ということを。
本当は、私なんかと一緒にいるべきではない子だったけれど、私はどうしても彼女の笑顔を忘れられなくて、いつも、彼女の世話を焼いていた。
同じ、“異端者”だったからだろうか。
ある日の仕事終わりのサシ飲みで、ぽつりと、彼女は自身の抱える問題を溢した。
「私、死にたいんです」
その言葉に、私は思わず息を呑んだ。が、彼女はそんな私をお構いなしに、大粒の涙をその瞳に浮かべながら
「もう、いやです。お父さんからの『医者と結婚しろ』っていう圧力も、お母さんからの冷たい視線も。どうせ、私は医者になれなかった落ちこぼれですよ。もう、うんざりです。お父さんもお母さんも、家のことばっか。私のことなんて見ちゃいないんですよ。もう、いやです……。死にたい……」
そう続けるものだから、私は彼女にハンカチとティッシュを手渡すと、「そっか」「ずっと、つらかったね」と、彼女を肯定する言葉を慎重に、綺麗に並べた。
しばらくすると、彼女は少し落ち着いてきた様子だった。とりあえず、彼女に水を飲ませ、「落ち着いた?」と聞いてみる。すると
「……
なんて言うものだから、ドキリと胸が跳ねる。
「夕凪さんと結婚できたらなぁ……」
冗談だと言うことはわかっていても、好きな人にそんなことを言われたら、人は本気になってしまう生き物で。
「……でもなぁ。私、もう遺書は書いてきたんですよねぇ。この後、死のうと思って」
私は、今、目の前で死を覚悟している彼女に、淡い期待を抱きながら、
「じゃあさ、来世で結婚できるように、する?
……心中」
半分冗談、半分本気で言ってみた。すると、
「えっ、いいんですか!?」
意外にも、彼女が食いついてくるものだから、思わず、口角が上がってしまう。
「私も、もう、いろいろ嫌になってきちゃっていたし。橘さえ良ければ。やろうよ、心中」
彼女は、心底幸せそうな顔をして、「はい」と答えた。
私に死ぬつもりはなかったが、これもまた、きっと運命なのだろうと、彼女と死ぬことを心に決めた。……いや、私は彼女の気持ちを利用したのだ。どうせ結ばれないのなら、いっそ、手を繋いで死んでやろうと。
それくらい、私は彼女に惚れていた。
居酒屋を出ると、二人で海に向かう。お酒が入った状態では歩きづらかったが、互いに体を支え合いながら、海へと向かうのは楽しくて、幸せだった。
そうして、私は彼女と手を繋いで、深い海へと沈んでいった。
ふと、水中で目を開けると、彼女は何故か、私に微笑みかけていた。
私も彼女に微笑みかけると、ゴポッと水音を立て、彼女の方が先に息を引き取っていった。
私の人生も、きっともう、これでおしまい。そう思うと、何をしても、許されるような気がして。
私は死んだ彼女を自分の側へ引き寄せると、彼女の唇にキスをした。
そうして、彼女を抱きしめたまま、後を追うように、ゴポッと、私も息を引き取った。
海水が、身体を侵食していくのがわかる。
息は苦しいのに、心は満たされていく……。
__次は、あなたと幸せになれますように。
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