第46話「仕組まれた焔、牙を試す罠」

夜の工房は、ふだんよりも静かだった。

炉に火はなく、鉄の香りも薄い。


「……今夜は焚かないの?」


サーシャが控えめに聞くと、オリンは黙って首を横に振った。


「灰鋼の熱がまだ炉に残ってる。冷却しなきゃ次の素材を焼けない」


「うん……」


サーシャは、彼の隣に腰を下ろす。

炉の赤みを帯びた石床が、わずかに熱を帯びていた。


「ゼクスって人、最初から親方を試しに来たんだよね?」


「ああ。だが、それだけじゃない」


「“灰狐”だよね?」


オリンは静かに頷いた。


「騎士団と灰狐が組んでいるか、それとも……王都の中でも意見が割れているのか」


「でも、素材に“灰鋼”を持ち込むなんて、わかりやすすぎる」


「だからこそ“揺さぶり”だ。――鍛冶師としての信念を試す罠だ」


「……親方は、揺らがなかったよ」


サーシャの言葉に、オリンはかすかに目を細めた。


「……あの炉の中には、あいつらの目には見えない“火”がある。牙たちの火種、だ」


サーシャは言葉を返せなかった。ただ、その横顔の奥にある炎に、自分の鼓動を合わせるように黙っていた。



その翌日。

赤溝谷に一通の報せが入った。


「灰狐商会が、新たに“北辺の鉱山”の鉱脈を買い占めたって……!」


グリトが目を丸くして報告する。


「そこって、うちが先月試掘してた場所じゃねえか!?」


フェンが舌打ちする。


「やられたな。騎士団の依頼にかまけてる間に、背後を突かれた」


「王都の地形資料も、いつのまにか“閲覧制限”がかかってたわ」


ライラが投げるように言った。


「おそらく“牙の拠点”を囲むようにして、じわじわと包囲網を作ってきている。資源も情報も、王都経由では取れなくなるかも」


「つまり……孤立させられる」


グリトの言葉に、場が静まる。


その時、オリンがぽつりと呟いた。


「……だったら、王都に行く」


「えっ!?」


全員が振り返った。


「親方、まさか――」


「こちらから“火”を届けに行く。正面から、堂々と」


「王都に、行くってことは――」


「《火の牙》の代表として、正式に“ギルド登録”を済ませる」


「今までは、仮登録だったよね。王都の“工房連盟”に正式認可を受けるには――」


「“工芸院”の査察を通る必要がある。……だが、それを超えれば、赤溝谷に対する正当な権利が認められる」


「リスクがでかすぎるよ! 親方がいない間に、ここを襲われたら!」


「だからこそ、牙の牙としての“爪”を見せる必要がある」


オリンの視線が弟子たちを見渡した。


「鍛冶師は“打つ”だけじゃない。“守る”こともまた、火だ」


静かに、しかし力強く――


「……ついてきてくれるか?」


しばしの沈黙。


やがて、ライラが盾を掲げた。


「誰かが“火の道”を切り拓かなきゃ、進めない。あたしは、ついてく」


「同じく」


フェンが短剣を回して笑った。


「どうせ親方がいなきゃ、鍛冶もつまんねえし」


「ぼくは……守りたい」


グリトが小さく言った。


「この工房も、仲間も、そして“火”の意味も。親方がいない間、仕掛けと補助は全部任せてよ!」


「わたしは……親方に“研ぎ澄まされた道”を敷くね」


サーシャが目を細めて、炉の方を向いた。


「みんなで、王都に火を届けよう」


こうして、《火の牙》王都進出の計画が、静かに動き出した。



――だが。


その夜、谷の北門にて。


「……これは、ただ事ではないな」


ひとり、影に潜む灰狐の“目”。


「オリン・ハルドが王都へ向かうだと。しかも、牙の弟子を連れて……ふむ」


男は刻印式を使い、何かの“報告符”を天に飛ばす。


「“準備”は整っている。あとは、導火線に火をつけるだけだ」


その笑みは、夜風よりも冷たかった。

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