助けた彼には悪魔が憑いていました

ひとみん

第一章

第1話


一軒の廃屋の前。

遠野とおのかなでは、その家の前に立っていた。


長い間放置されているのだろうか。門の前には『立ち入り禁止』の黄色いテープが巡らされている。

崩れかかった外壁や割れた窓。歪んだ屋根に廂。平屋ではあるが、今にも崩れ落ちそうである。


奏は小さく溜息を吐きながら、自分の隣を見た。

そこには一人の老女が立っていた。老女とはいっても背筋はピンと伸び、上品な着物を着ていてとても若々しい。

奏より背の低い彼女は、奏を見上げにっこりとほほ笑み、先を促すよう廃屋に向かって手を伸ばす。

それを見て奏は又も溜息を吐き廃屋を見上げ、そして「それじゃあ、行きますか」と『立ち入り禁止』の黄色いテープをくぐった。





廃屋の中は薄暗く、玄関から続く廊下は所々床が抜け落ち、歪んで隙間の出来た窓ガラスから光が筋の様に差し込んでいた。

居間と思われる部屋も天井の一部が崩れ落ち、既に人が住んでいたという名残すらうかがえないほどに荒れている。

だが、最近人が入り込んだであろう痕跡は多々残っていた。

不良達・・・だけとは限らないが・・・たまり場となっているのか。埃に付いた結構新しめの足跡や、何か食べたのであろうそのゴミや煙草の吸い殻。中には蝋燭の燃えかすなどもあり、よく火事にならなかったと思えるほど危うい場所もある。恐らく毎日ではないだろうが、夜々よなよな、人目のない時間帯に訪れているのだろう。

だが今はまだ陽が高い。誰ひとり居ない筈の家の中であるはずなのに、玄関より最も遠い奥の部屋から人の声が聴こえてくる。

男女が争う様な・・・争うというより、一方的に女が男に言い寄っている声のようだ。

奏は声がする方へと、迷うことなく足を向けた。



ゴミが散乱する薄暗い部屋。

異様な雰囲気漂う室内に、まるで睨み合うかのように二人の男女が立っていた。

「あぁ・・・凛・・・ようやく貴方を掴まえた・・・」

恍惚とした声で女は何度も彼の名を口にする。

凛と呼ばれた青年は、まるで汚物を見る様な冷めた眼差しで女を見下ろすと、逃げるタイミングを計るかのように部屋を見渡した。

暦では五月も終わり間近で、夕方でも陽は高い。

だが窓が塞がれた室内は薄暗く、微かな隙間から洩れる光は、舞い踊る埃達を照らすだけで、床には朽ちた家具やゴミが後ずさる足元を邪魔するかのように散乱している。

凛は警戒していたのにも関わらず、女に拉致された事に内心舌打ちをした。




彼の名は、綾瀬あやせりん。高校二年生の十七才。

クオーターの彼は、稀に見る美しい容姿を持っていた。

髪の色は黒いが、猫目の様な瞳の色はブルーグレー。すっと通った鼻筋、薄めの唇。見た目はほっそりと見えるが、触れればわかる鍛えられた体躯からは、危うい色気も漂わせている。

そして、普段から表情に乏しいせいか、それが美しさと冷たさを際立たせていた。

身長も今だ伸び盛りの一八〇㎝。理想的な八頭身をしており、何処を歩いていても人目を惹いていた。

だが彼の美しさは何か不思議な力が働いているかのような、まるで魔に魅入られる様に人が、落ちる。

幼い頃から可愛らしい子供だったが、小学校高学年に上がった頃から老若男女問わず、彼に引き寄せられるように視線を集めていったのだ。

その異常さに本人は勿論の事、近しい人達も警戒していたのだが、そんな中、彼が小学六年生の時に事件は起きた。

家で一人留守番をしていた時、見知らぬ三十代の女が不法侵入。

凛を襲おうとしたのだ。

だが、たまたま体調が悪く仕事を早く切り上げ帰って来た父親により事なきを得、女は警察に逮捕された。

その後、同じような事件に近い事が何度かあり、凛は護身の為に空手を習い、身を守るように他人と距離をとるようになる。

まるで蜜に群がる昆虫のように凛に近づき、そして破滅へと向かう人達。

これほどまでに自分らを惹き付る魔性。それなのに全く靡かない凛に彼等彼女等は罵るのだ。


「何故、私を見ない!私達を魅了して、まるで悪魔の様だ!」と。


いわれのない罵倒に、まだ幼かった彼の心は傷を負い、心を閉ざし世界を拒絶する。

そして、高校生になるとその美しさは陰る事無く益々光り輝き、彼は全てを閉ざすかのように群がってくる人達を寄せ付けないようになってしまったのだ。


これまでの事を踏まえかなり用心深く行動していたのだが、今日に限りまだ陽も高い事もあって人気の少ない近道をしてしまったのがまずかったと後悔するも、後の祭り。

この廃屋の近くを通りかかった時、突然見知らぬ女が目の前に現れ、いきなり得体の知れないスプレーを顔に掛けてきた。

完全には防ぎきれなかった凛は、視界を奪われたものの抵抗を試みたが、女の力とは思えないほど力が強く、この廃屋に連れ込まれたのだ。

ようやく視界が回復すれば、この荒れ果てた一室で貞操の危機に陥っているというのが今の状況だ。

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