その8.四番目のカノジョ、与津地季果

 桃瓜さんとのデートから数日後、私はとある陸上競技場にいた。

「まだまだ時間かかりそうだし、ちょっと出店とかも見てみる?」

 隣には三善 慈廻(みよし・じぜる)さん。一緒に出かけたいということを伝えたらまっ先にこの場所を提案されたのだった。

 桃瓜さんから水嶺さんのカノジョになった順番でいくと三番目は三善さんということだったので、糸織さん、桃瓜さんの次に三善さんとデートをするのは既定路線だと思っていた。

 実際、三善さんは私がそう言うと「そうだよね」と明るく返事をしたのだけれども、まさかその日は予定があるんだよねと言われるとは思わなかった。

「その日、季果(きか)のレースの日なんだよね。応援に行くって約束してて……」

「レース?」

「うん。ほら、与津地 季果(よつじ・きか)って覚えてる? 背が高くて、ひょろっとしてて、あんまり表情が変わらない子」

 私は目を閉じて飲み会の席を思い浮かべた。確か、私からは遠い一番入口に近い場所に座っていたはずだ。顔も体型もシュッとした印象がよく記憶に残っている。

「あの子、実はすっごいマラソンの選手なんだよ。大学にもスカウトを受けてスポーツ推薦で入ったんだから。今はオフシーズンで調整中なんだけど、レースの感覚をつかむために市民レースにエントリーしたんだって」

 確かに。暖房のきいたあの飲み会の部屋で薄着気味だったこともあって、かなりしっかり作り込まれた身体をしているのは感じていた。

 筋肉質といってもよくテレビなんかで見かけるバレーボールや体操の選手のような丸みがなく、余計な脂肪を極限まで削り取ったような独特な体型だなあと思ってたが、マラソンの選手だったのか。

「高校は私たちと一緒だったんだよ。もちろん水嶺もね。んで、そのときに長距離を勧めたのが水嶺だったの」

 ここでまた水嶺さんか、と思った。

 一体どういう慧眼を持っていたら出会う美女出会う美女すべてにその人の望むものを与えることができるのだろうか。

 デートとは少し違うとしつつ、私達は冬の休日の朝に都内の某スポーツ公園に集合した。

 その大会は市民参加型のハーフマラソン大会で、大学や実業団のエリート選手の他に、一般募集をかけた市民ランナーや小中学生も参加できるわりとのんびりとしたものだった。

 とはいえエリートクラスに参加をするメンバーはその界隈ではかなり有名な人も多くおり、関東近県のガチランナーに好まれる大会として知られていた。

 私と三善さんが公園に着くと、おそろいのランニングタイプのユニフォームでアップをしている集団がいくつかあった。

「あ! 季果~。おはよ~」

 三善さんが声をかけると与津地さんが振り向いた。飲み会の時よりも髪の毛が短くなっており、前髪の一部だけが明るいアッシュグレーをしている。

「来てくれたんだ。ありがとう」

「約束したじゃない。みんなはちょっと忙しいみたいだったから、私たちが代表ね」

 大学名のジャージの上着を着用した季果さんがちらりと私の方を見た。

「レンズさんも。ありがとう」

「あ、いえ! 三善さんに誘われて。でも、楽しみにしてました」

 ほとんど無表情で会話をしていた季果さんが、私の言葉を聞いてふっと表情を緩めた。

 急に変わった雰囲気に私は不意をつかれてどきどきした。

「どう? 調子は?」

「普通。今日は無理するなって監督に言われてるし」

「なーんて。そう言って結構季果は飛ばすからな~」

 と三善さんと季果さんは親しげに会話をしている。

 私にも適度に会話を振られつつ雑談をしていると、背後から季果さんと同じロゴのトラックコートを着た人が呼びに来た。

「そろそろスタートが近いみたいだから、行くね」

「うん、ゴールで待ってるから」

 三善さんがひらひらと手を振って、季果さんは軽く走るようにチームのところへ行った。

 ゼッケンをつけた参加選手たちがぞろぞろと動いて行くのを見送って、私達はスタートライン付近の沿道へと移動した。

 このマラソン大会はハーフ、10km(ファンラン)、2km(キッズ)の3つのコースがあり、それぞれ時間をずらしてスタートをする。この公園は全クラスがスタートし終わったら運営が移動をし、離れたところにある競技場でゴールする選手を迎えることになっている。

 なので私達は季果さんがスタートをしたら応援バスに乗って競技場まで先回りをするのだ。

「三善さんは、こういうレースを見るの慣れてるんですか?」

 スタート待ちの間に私は話しかけた。三善さんは寒そうにはあ、と手を温めながらもうん、と返事をした。

「高校の時ね、陸上部のマネージャーを少しやってたからね」

「そ、そうなんですか?!」

「うん。兼任だけど。大会の時にお手伝いに行ってたんで、マラソンの大会も何回か見に来てたよ」

 意外な情報だった。

 とはいえ三善さんの気遣い上手なところなんかはマネージャーに向いているのかもしれないなと思った。

 そして、糸織さんや桃瓜さんは水嶺さんと出会ったのは中学校の頃でその頃から付き合い出したような感じのことを言っていたので、三人目以降は高校に入ってから付き合うようにしたのかなということを考える。

「あ! 始まったよ!」

 三善さんが指差す方向を見ると、運営の人がスターティングピストルを構えていた。数秒しん、と場が静まり返り、銃声とともに列の先頭の選手から順に動き始める。

 スタートライン近くにいた大学や実業団の名前の入った選手たちはどんどん先へ進んでゆき、後方の市民ランナーたちの団子状態がほろほろと崩れていく。

 こんなに大勢いたら応援したくても見逃してしまうんじゃないかと思っていたのは全くの杞憂で、一般的な女性よりもかなり長身の季果さんはただ走っているだけでも十分に目立った。

 私達の立っていたところを走り抜ける瞬間、ほぼ真横の距離でその顔を見ることができた。

 寒空の下にも関わらずランニングに短パンという薄着をしている季果さんはその磨き上げられた筋肉をその用途そのままに躍動させており、精悍な表情と相まってその存在自体が何かの作品のようにも思えてしまう。

 私が季果さんの姿に見とれてしばらくぼうっとしていると、三善さんが顔を覗き込むように身体を傾ける。

「かっこいいでしょ」

「えっ! あ、はい。素直にすごいなって」

「そうなの。高校のとき、季果はすっごくもてたなあ。本人は全くそんなの気にしてなかったみたいだけど」

 三善さんは選手たちを見送って競技場まで移動するまでの間、高校時代の季果さんの思い出を話してくれた。

「季果はね、もともとバレーボールの選手だったんだよ。小中学校とずっと続けてたんだって」

「そうだったんですか。すごく身長高いですし、そっちを続けていてもいい選手になってたんじゃないですか」

「それがそうでもなくてさ。チームとなかなか足並みがそろわないっていうか。こういう言い方はあんまりよくないけど、実力よりも結果が全然ついてこないって状態がつづいてたんだ」

「それって、チームがあんまり仲良くなかったとかそういう感じですか?」

「ていうか、そもそも季果がそういうの向いてなかったんだろうね。ほら、マイペースすぎるくらいにマイペースだし、あんまり周囲の雰囲気とかに気をつかえる方じゃなくて。バレーボールも、身長で誘われてなんとなく続けてただけみたいだったし」

「水嶺さんは、なんて言ってマラソン転向を勧めたんですか?」

 バスから下りて、一緒に競技場の周辺を歩きながら私達は会話を続ける。

「特に説得とかはしてないはずだよ。ただ『季果は走るだけの方が向いてると思う』って」

「それを言われて、季果さんは?」

「びっくりするんだけどね、その翌日にはバレー部を辞めちゃったの。本当にあっさり。ま、特に大会で勝ち残ってたりとかもなかったから無理に引き止められることもなかったのもあるし」

 それにしたって、小学校の時から数年間続けてきたスポーツをそんなあっさり辞めることとかできるものなんだろうか。

 季果さんの見た目どおりというか、世俗的な執着のなさをうかがえるエピソードだ。

「陸上部もさ、それまで全然違うスポーツやってた人が途中から入ってくるわけでしょ。あ、一応言うと私達の高校はそんなスポーツの名門でもなんでもないからね。ちょっと進学に力入れてるだけの普通の公立高校。そこで私が同じクラスの子で陸部のマネージャーやってた子がいたから、一緒にお手伝いって形で入ることになって。季果とはそれで仲良くなったようなものかな」

「水嶺さんは? 誘った本人はどうしてたんです?」

「特に部活とかしてなかったよ。大会の応援には絶対に来てたけどね」

 よく納得しましたね、と私は心の中で思った。部外者が口を出すことではないことは重々承知で。

「でさ、すごいのそれからで」

 と、三善さんは競技場の一番上の階の手すりにつかまってトラックを見下ろしながら言った。

「陸上部に入った季果が始めたのが10000メートル走だったの。10kmね。そしたら初めて出た大会でいきなり全国大会に出場しちゃうし、インターハイで優勝しちゃうし。三年生で進路決めるときには数校からスカウトも受けてたんだから、まさに人生の転機だよね」

「なんか、有名選手になってからドキュメンタリーとか著書とかで語られそうなエピソードですね」

「結局選んだのはさっきチームの人と一緒にいた【風翔道大学(ふうがどうだいがく)】だけど、それもまたらしいっていうかさ。なんでも女子陸上で長距離やってる人は、だいたい大学駅伝の名門に進んで、そっからオリンピックとか国際大会でフルマラソンに出られるような実業団を目指すのが一般的なエリートコースなんだってさ。風翔道大学はそういう意味じゃそんなに名門でもないんだよね」

「えっ? じゃあ、どうしてその大学を?」

「寮則がゆるかったからだって。ほとんどの駅伝名門校はスポーツ推薦の入学者は全寮制で朝から晩まで練習するの。風翔道大学も寮はあるし季果もそこに入ってるけど、他の大学と比べて外出とか休日の使い方とかわりと自由がきくみたい。新しくできた大学だし、今どきの科学的スポーツ論で練習するから体育会系的な校風はあんまりないみたい」

 そういう自主性を重んじるというタイプのところはそれだけ自己責任が問われる気がするがそれも込みで選んだのだろう、と思う。

 ここまで話を聞いてなんとなく季果さんという人となりがわかってきた。

「ただ、秋の初参加した女子駅伝はそこまでいい成績でもなかったみたいでね。……ここだけの話、季果にエース区間を任せてたら勝ててたんじゃないかなーって思ったりするけど。来年に期待だね」

「それで、今日は大会後の調整ってことですか」

「早く季果もチーム制じゃなくて個人で走れるようになったらいいのにねって思ったりするよ。私はね」

 そんな話をしながらイベントによくある出店なんかで飲み物や軽食を買って食べていたりしていると、場内アナウンスから先頭の選手がもうすぐ到着しますということが伝えられた。

 私達は急いで観覧席のゴール近い場所に移動をすると、大きく開かれた門から入ってくる選手を探す。

「あっ! 来た来た!」

 トラックに選手が入ってきたのと同時に観客席からうわっと大きな声が上がった。

 先頭集団として数人がまとまって競技場に走り込んでは来たが、残りわずかとなったトラック周回コースにさしかかるとその中の一人が急にピッチを上げた。

 長くスラリと伸びた足が広いストライドを激しく繰り返し、後続の選手を次々に置き去りにしていく。

 ぐるりと一周をして最終的にゴールテープを切ったのは、やはりというか、与津地季果さんだった。

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