その5.九貫水嶺(くぬぎ・みれい)は行方不明

 そのあとに起こったことを的確に表現するのは非情に難しい。

 私の語彙力の問題ももちろんあるけれども、それ以上に自分の身に何が起きていたかを私自身が正確に把握することができなかったからだ。

 しかし一つだけ否定のしようもない絶対的な事実がある。それは。

 めちゃくちゃ、ものすごく、最高に、素晴らしく、気持ちよかったということだ。

 ぐっと唇を噛んで声を押し殺していた私の足の震えが収まったのを待って糸織さんは真横に身体を横たわらせた。恥ずかしさに糸織さんの胸元に顔を埋める私の髪の毛を艶めかしい指先で撫でてくれる。

「あ、あの」

「どうも、ご協力ありがとうございました」

 私がもういいだろうかと恐る恐る声を出すと、熱っぽいため息とともに糸織さんはお礼を言ってきた。

「やっぱり、あなたは水嶺と何かつながっているものがあるようです」

「何か……ですか?」

 何かを言いかけて糸織さんは口をつぐんだ。なんとなくだけれども、一瞬糸織さんは具体的な反応とか私の身体的な特徴みたいなものを言おうとしてやっぱりやめたんだろうなと悟る。

 ずっと私は何もしていなかったわけなので糸織さんはそれでいいんだろうか? と思い遠慮がちに胸元の敏感な部分に触れようと指先を伸ばしたがそれはすぐに止められてしまった。

「あ! すみません。つい」

「いいんです。お気遣いは感謝します。……理由を、聞きたいですか?」

「そうですね。できましたら」

 糸織さんは身体を起こしてサイドテーブルからメガネを装着した。ゆっくりベッドから抜け出すと床に落ちていたシャツを羽織ってバスルームに消える。

 ぽつんと残された私が所在なくぼんやりベッドの上で待っていると、しっかりパジャマまで着て戻ってきた糸織さんがベッドに腰掛ける。

「会話というのは、双方向性のコミュニケーションですよね」

 唐突に言われて私が間抜けに「はあ」と返事をすると、糸織さんは部屋の壁を見つめたまま話を続けた。

「ですが、性交渉というのは―――特に女性同士の場合は、コミュニケーションとしては一方通行だと思うんです。いえ、一方のみならコミュニケーションと定義することも不適切ですか。水嶺とは、会話やそれ以外の部分で十分すぎるくらいコミュニケーションがとれていたと感じていたので、性交渉はそれとは別のものとして位置づけたかったんです」

 言われた言葉はわかった。

 だけども理屈はよくわからなかった。少なくとも今の私には。

「……」

「わかりませんか? いいんですよ。これはいわば私の中の理屈の落ち着きが目的なので」

 反論しようと思えばできないことはないだろうけど、そうする意味もないなと思ってやめておいた。それよりももっと気になることがある。

「糸織さんは、水嶺さん以外の方とこういう関係になったりはしないんですか?」

 三善さんの話では、あの7人の女性は九貫 水嶺と同時に付き合いながら同時に7人の誰かに対して重い感情を持っていたということだった。だから当然水嶺さん以外の人と性交渉をしている可能性は高い。あまり考えたくはないが……三善さんとかもしれないし。

「相手がいることなので名前は伏せますが。水嶺がいたときに一人、水嶺がいなくなってから二人とは寝ました」

「あ、は、はい! そうですか。あの、参考までに、その人達にもこういう性交渉の方法についての指示とかそういうのは……?」

「特にお願いしませんでしたね。そういう関係になった三人とも水嶺ほど事前に十分なコミュニケーションはとれていなかったので」

 どのあたりに線引があるのかはよくわからないが糸織さんには糸織さんなりの理屈があるんだろう。私が口を挟めることではない。

 うつむく私の頬に糸織さんは手を伸ばし、艶めかしく目を細めながら自分と顔を向き合わせる。

「今日は遅いので泊まっていってください。もしもう一度性交渉をしたい場合はそちらの希望に合わせてもかまいませんよ」

「いえっ! いいです! もう十分満足しましたので!」

 ふふ、とからかうように糸織さんは笑った。

 糸織さんは性交渉は一方通行のディスコミュニケーションだと言ったけれども、こうして笑っている様子を見る感じ少なくとも私はそれを経験することで彼女との気持ちがほんのちょっと近くなったように感じていた。


   *****


 私がほうほうの体で学生寮に戻ってきたのは翌日の朝7時前だった。

 その日の大学の講義は2限からだったのでそれほど急ぐ必要もなかったけれども、ズルズルと居続けたら昼くらいまで寝てしまいそうな感じがして出勤ラッシュが始まる前に引き上げることにしたのだった。

 私の住む学生寮は基本的に門限はない。ただし玄関はオートロック式でエントランスを通らないと各部屋に入れない構造となっている。

 こんな早朝に出入りするという経験は今までなかったので知らなかったが、入口のドアの開閉音が周りの静けさもあってホールに必要以上に響いてしまう。

 まるでやましいことをしているような気分になりつつ、できるだけ音を立てないようにしずしずと足音に気をつけて歩いているとちょうど共用キッチンから出てきた三善さんとばったり顔を合わせてしまった。

「おかえり。朝帰りかあ。どうだった?」

 私の姿を見てぱあっと笑顔になった三善さんは片手に可愛らしいお弁当のポーチを下げていた。自室のキッチンは電熱式の小さなコンロしかなく料理らしい料理がしづらいので自炊したい人はこんなふうに共用キッチンを使うのだ。

 私がなんと返してよいか迷っていると、三善さんはぽんと私の肩を叩いて談話室へと誘ってくれた。

「朝ご飯は? まだなら一緒に食べない? すぐに作るからさ」

 正直いろいろあって胸がいっぱいであまり食欲はなかったものの、貴重な三善さんの手料理のチャンスということで私は大人しくついていくことにした。

 とはいえ、作ってくれたのは時間的な都合もありワンプレートのトーストと少しのサラダにコーヒーという喫茶店のモーニングのようなメニューではあったのだけれども。

 いただきます、と私がコーヒーから飲み始めると三善さんは頬杖をつきながら私の様子を見て言った。

「糸織は理屈っぽかったでしょ。でも長く付き合うとどんどん良いところが見えてくるタイプなんだよ」

「うん。話は面白かったし、なんていうか。リードがうまいよね。あの人」

 言ってしまってから自分で朝っぱらから下ネタっぽい話をしようとするんじゃない、と思った。空気を読んだのかやはり同じように朝から刺激的な話をするつもりもなかったのか、三善さんは私の微妙な言い回しをスルーしてくれた。

「ああいう性格だからね。水嶺がいなくなったときにも一番たくさん動いてくれてたかな。本当は誰よりもショックを受けてたはずなのに」

 急に三善さんがしみじみと遠くを見るような目をしたので私は慌ててしまった。小さくかじったトーストを投げ出すようにプレートに置いて三善さんに触れようかどうか迷って手をバタバタとさせる。

「あ、ごめん。大丈夫だよ。それよりもまだレンズさんには水嶺がどうしていなくなったかって話、してなかったよね」

「うん。そういえば、ただ”いなくなった”ってことしか知らないかも」

 聞くチャンスはこれまで何度かあったけれども、触れてはいけない話題という雰囲気ができていたので相手の方から話そうとしてくれるまでは待つつもりでいたのだ。

 考えてみれば”いなくなった”というのは非常に曖昧な言葉で、亡くなったのか、蒸発したのか、あるいは何か普通にはアクセスできないところに行くことになったのかわからない。

 聞きたい? と三善さんに言われて私はやや食い気味に頷いた。

「……今から2年くらい前のね、私達が高校を卒業した春休みの時期だったんだけど。水嶺を含めた9人で一緒に卒業旅行に行ったんだ。水嶺って子供のときからスノボやってて毎年どこかしらには泊まりで滑りに行ってたから、今年はみんなで行こうってことになって。『白麗(はくれい)スノーパーク』って知ってる?」

 白麗スノーパークと言えば、東北内陸部にあるスキーリゾートである。冬になるとかなりの積雪になるための絶景と、白麗山という急勾配の高山に作られていることから上級者に好まれることで有名な場所でもある。

「そこの『白樺ハイム』てロッジを借りて三泊四日のスキー合宿みたいなのをしたんだ。その二日目にね」

 ごくり、と私は喉を鳴らす。

「水嶺がふっと消えちゃったの。夕方までは確かにいたんだけれど、本当に突然どこかに行ったみたいに消えて。それで探したらウエアとスノボがなくなっていたから、きっと一人でナイターに滑りに出てそのまま遭難しちゃったんじゃないかってことになってさ。警察とか来て私達も色々話を聞かれたりして。でも結局どうしてそんなことになったのかわかんなかったの。今も見つかってないんだ」

 思ったよりも奇妙な話だった。こう言うのも不謹慎ではあるが、まるでミステリー小説か映画の導入部分のようじゃないか。

 ん? でも何か引っかかる。何か重要なことを私は聞き流してしまったような気がする。

「法律的にはまだ『死亡』って扱いはご家族の方がしてないみたいだから一応は九貫水嶺って人はこの世にはいる扱いにはなってるんだ。でも、普通に考えたら戻っては来ないよね」

「そう……かもね」

 前に三善さんは水嶺さんがいなくなってからしばらくは7人の関係が荒れたと言っていた。

 確かにそんな行方不明のなり方をされたなら気持ち的に整理をつけるのは難しいだろう。謎は多いが今も発見されていないという事実は事実だ。

「その時に一番冷静に通報とかみんなへの指示とかしてくれたのが糸織だったんだ。糸織がいなかったら私達は現地でどうしていいかわからなくてパニックになってたと思う」

「大変だったんですね……」

「逆に一番取り乱してたのが桃瓜(とうり)だったな。いつもは結構ふざけてみんなを笑わせる役回りだったのに、すごく意外だった」

 桃瓜、というと飲み会のときに私の左隣に座っていた【双津 桃瓜(そうづ・とうり)】さんのことだろう。仕草とかボディタッチとかとても色っぽい雰囲気の人だったはず。

「桃瓜さんは、水嶺さんとどれくらいのお付き合いだったんですか?」

「う~んとね。確かちゃんと水嶺と『付き合う』ってことになったのは二番目だったはず。糸織と水嶺が付き合ったのって中学の二年生くらいだったはずだから、その少しあとかな」

 そうだったんだ、と私は思った。あとで自室に戻ったらスマホのメモに記録をしておこう。

「あ! じゃあさ、次のデートは桃瓜としてみたら? 話してみたらきっと楽しいよ」

「ええっ! 桃瓜さんと二人きりかあ。ちょっと、なんか。緊張しそうです」

「大丈夫だって。”リード”ってことで言ったら桃瓜も糸織に負けてないと思うよ」

 と、三善さんは声色を明るくぽんと私の肩に触れてウインクをした。

 本当は三善さんともデートしたいんだよな、と私はこっそりと思ったものの今は口には出さなかった。

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