神使猫背のシュークリームハント

黒田忽奈

1

「ありがとうございました~」

 カラフルな制服に身を包まれた店員に礼をされ、猫背はコンビニを後にした。

「さて……」

 コンビニを出た人間はどうして、さて、と呟きながら目的地と逆の方向を振り仰いでしまうのだろう。生活の七不思議だ。

 肩に食い込むトートバックを背負い直し、猫背は手の中で僅かな冷気を放つ物体に視線を落とした。

 シュークリーム。

 珍しく、コンビニで買い食いをしてしまった。

 いや、まだ食べてはないんだけど。

 珍しく、コンビニで”買い”をしてしまった。

(どこで食べよう……)

 猫背はシュークリームを片手に、道をぶらついた。初夏の日差しは鋭くもなければ肌寒くもない。一年で刹那の間しか訪れない、冷房も暖房も要らない気候。インドアな猫背でも町を歩いてみようという気になる。

 甘味を買うなど久しぶりのことだった。

 猫背は甘いものが苦手というわけではない。むしろ人並みに好きだった。

 しかしいくら甘いものが好きだとしても、絶えず摂取しなければ苦痛だというほどでもない。数週間、あるいは一ヶ月に一回で十分だった。

 人間は呼吸をしなければ死んでしまう。

 ある人にとっては甘味というのは、あるいは酸素と同程度に生活に必須で、生という苦痛を緩和するためのものなのだろう。

 しかし、人それぞれ。

 肺呼吸のクジラが数日に一度しか海面に浮上しないように、猫背の脳は少量の糖分でも当分は長持ちした。

 それで間に合うなら、それで良い。

 思考と運動不足の脚を散策させた後、猫背は一つのベンチを見つけた。住宅街に埋もれるようにある小さな公園のベンチだ。

 広葉樹の根本にある低いベンチに腰掛ける。トートバックを脇に置いた。

「さて、いただきます」

 一人で宣言し、袋を開ける。湿った匂いがした。

 猫背がそのシュークリームを口元に運ぼうとした———その、瞬間


「そこの猫背の娘、待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」

「ギャーーーーー!?」


 突然公園の縁からTPOを弁えない声量の怒鳴り声が飛んできて、猫背はシュークリームを天に向って放り投げてしまった。

 見れば、公園の道路に面した入口に、白髪の老人が立っている。腰は曲がっているが杖は突いていない。そんなに大声を出せるような健康があれば支えるものなど不要ということだろう。

 老爺は砂に足跡を刻みながら歩み寄ってくる。猫背は宙に舞ったシュークリームをキャッチし、右足を一歩引いた。

 老爺は猫背を指差し、言う。

「そこの猫背の娘、待った」

「は、はい」

 私の外見で一番に指摘する特徴は猫背かよ。

 間違ってはいないが。

「娘、その洋菓子をどこで買った?」

「は、え、これ? 普通にコンビニですけど」

 つーか誰ですかあんた。

 言葉を何とか飲み込み、猫背はシュークリームを一口食べる。甘い。脳細胞が水浸しになるほど甘い。図書館で勉強した後の身体には効きすぎる。

 老爺はシュークリームを睨むと、

「一口くれぃ、それ」

「嫌だ……(引)」

 老爺はカッと目を見開く。

「一口!」

「嫌だ!」

 JDが口つけたもん食いたいだけだろ!

 それにせっかくの甘味を、こんな訳のわからないジジイに渡したくない。

 猫背は残りのシュークリームをさっさと喉奥に放り込んだ。甘い。クリームの滝みたいだ。

「御馳走様」

 猫背は包装のビニール袋を畳み、とりあえずトートバッグに差し込んだ。

「——————」

「………………」

「……もう、おしまい、だ……」

 老爺は泣いていた。

(………………)

 なんか、こうも無茶苦茶な光景を立て続けに見せられると、かえって感情が凪に近くなるな。

 落涙するジジイ。立ち尽くす猫背。はらりはらりと舞うのは風の青葉か、老爺の涙か。シュークリームの後味も忘れて、猫背はふと真剣に警察への通報を迷った。

「……まぁ、そう泣くこともないよ」

 しかし猫背はそう言った。

 行政の手を借りるのも良いが、それはあくまで最終手段。一市民としては、できることは自分で解決するべきだろうと思ったのだ。

 ちょうどベンチは二人掛けなのだ。



「この町は俺の古いダチが生まれた町だ」

「ほーん、そうなんすか」

 ベンチの左右で六十年ほどの時間を隔てて、猫背は老爺の言に耳を傾けた。さわさわと鳴く青い木立が涼しい。

「あれは、そう、三十年も前の話だったか……あいつに会ったのは……」

(長くなりそうだな……)

「ダチが買ってきてくれたシュークリームの味が忘れられなくてなぁ」

「ずいぶん短く終わった!」

 三十年の感傷を一言で語り尽くした老爺は、年月が刻まれた腕を組んだ。

「ヘヘッ、この歳になると昔が懐かしくなっちまっていけねぇや」

「言うほど懐かしんでました……?」

 猫背はバッグに入れていたペットボトルのお茶を一口飲んだ。

「ま、昔の味が恋しくなってよく知らねぇ町を散歩しちまうくらいには懐かしい、な」

「ご友人がこの町の出身なのでしょう? この町に来たのは初めてですか?」

「あぁ……」

 老爺は猫背の質問に答えようとしたがふと口を噤み、中空に視線を合わせた。

 瞬間、年齢を感じさせない俊敏さで腕を虚空に伸ばす。

 猫背が何事かと思ってみてみれば、老爺の手には青葉が握られていた。

「……葉っぱですか?」

「………………」

 老爺は掌に掴んだ青々とした葉をじっと見つめている。

 そして、

「……ファ~♪」

 草笛を吹き始めた。

「あの……帰って良いですか?」

「ダメだ!」

 訳のわからないジジイだ。

 老爺はひとしきり草笛を吹くと、葉っぱをもしゃもしゃと食べてしまった。怖。

「猫背の娘よ」

「はい」

「さっきのシュークリームは、どこで買ったもんだ?」

「どこって……ねぇ? 普通にコンビニですよ」

「そうか……」

 老爺は顎に手を当て、考え込む。

「個人経営の店は次々に淘汰され、大企業が町を支配する……どこも同じだな。どうりであの店が見つからねぇわけだ……」

 老爺は遠い目をして公園の風景を眺める。その目は現実世界ではなく、時の流れを見ていた。

「諸行無常、か……世間は……年寄りに厳しくなった……」

「あの、意味深な雰囲気を出そうとしているところ悪いんですけど、要は昔ご友人に貰ったシュークリームの店を探してるってことですよね」

「そうだ」

 老爺はあっさりと認めた。最初から簡潔にそう言ってほしい。

「それで、その店を探したけど見つからなかったから私に声をかけたってことですよね」

「そうだ」

 成程。

 明らかに言動がヤバいジジイだが、随分可愛らしい悩みだ。

「猫背の娘よ。俺がその店を探すのを手伝ってくれないか。道端でそんな美味そうなものを食っていた報いだ」

「報いかぁ。買わなきゃ良かったなぁ」

「小遣いだすぞ」

「やめてくださいよ……無償でやらせていただきます」

 老爺が目を輝かせる。

 猫背としても人助けをするのは吝かではないし、それにこんな変な老人を虜にしてしまうシュークリームの存在も気になるところだ。

 試験勉強後の身体の運動として丁度良いと思った。



「それで……おじさん。何の手がかりもなくこの町に来たわけじゃないんでしょう?」

 ベンチから立ち上がった猫背は老爺に問うた。

 老爺は今まで、シュークリームの店を探していたという。それならば、何も滅茶苦茶に町を歩き回っていたわけではないだろう。菓子店を巡ったり人に聞いたりしているはずである。

「おう。店の名前が分かっとるからな。あとは店を探すだけなんだ」

「え、店名分かってるんですか?」

 老爺が当然のように言ってのけたので、猫背は意外に思った。

 店名が分かっているなんて、もうゴールテープ目前じゃないか。

「何というお店で?」

「『ちょうちょう』という菓子屋だ」

「てふてふ、ね」

「俺をいつの人間だと思ってる、娘」

 冗談は置いておいて。

 ちょうちょう、ね。

 ヤバジジイの口から編まれるには可愛すぎる名前だ。

 猫背は町の地図を思い浮かべ、そのような店名があるか記憶を呼び起こす。

 しかし、

「う~ん、パッとは分からないな」

 あまり外出しない、したとしても大学と図書館と猫カフェくらいにしか用のない猫背は、町の地理に弱かった。

「おじさん、その『ちょうちょう』って店のこと、町の人に聞いたりしてみたんですか?」

 猫背は一番妥当な線を探る。老爺が店の大まかな位置だけでも知っている可能性に賭けてみることにした。

「無論、道行く者に聞いてみるくらいのことはした。だがな」

「誰もその店を知らなかったと?」

 老爺は渋い顔をして頷いた。

「えっと、じゃあネットで検索したりとかはしてみました?」

「携帯で地図の見方が分からなくてなぁ」

 言われ、猫背は自分の携帯を取り出した。その店の名前を入力して位置が分かれば、こんなに簡単なこともない。

「え~、『ちょうちょう』と……」

 猫背はしばらくの間スマホをすわすわ(スワイプの擬音)と触り、鼻から息を吐いてから老爺に向かって顔を上げた。

「おじさん」

「無かったか? 店が。地図に」

 猫背は黙って頷いた。

 『ちょうちょう』という店はこの町の地図には存在していなかった。全国的に見ればそういう名前の店は無数にあるのだが。

「おじさん、そのご友人がシュークリームを買ってきた場所というのは、本当にこの町で合ってるんですよね?」

「あぁ合っているとも。ダチは確かにこう言っておった。『穂向で美味い洋菓子を買ってきた』と」

 しかし地図に載っていないのであれば、考えられる可能性は狭まる。

「申し訳ないけど、そのおじさんのご友人か、もしくはおじさん本人が、記憶違いを起こしてる可能性もあると思います」

 現代において、ネット地図に載っていない場所というのは存在しないのと同じなのだ。ある程度美味しい洋菓子店がネットの地図に載っていないというのは考えづらく、老人たちが何らかの勘違いを起こしている可能性のほうが高い気がした。

 しかし老爺は唸りながら首をひねる。

「否、伝吉は確かにアホだったが、まだボケるような歳じゃあなかった」

 猫背は腕を組んだ。

 老爺の言う店が見つからない。

 広くない町なのだ。歩いて探すのも悪くはないだろう。

「おじさん、こうなったら歩いて探しましょう。その方が早そうだ」

「この老体にそんな肉体労働をしろというのか」

「老体は公園で絶叫したりしないんすよ」

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