黄色い小包み
飯田太朗
第1話
僕には親友と呼べる人間がいるのだが……腐れ縁とも言える、奇妙な友情を持つ人間がいるのだが、彼はこの日本に唯一にして無二の「解明部」という部活の部長をしている。
この話は、彼が「解明部」の部長になるに至った経緯について……そして彼の、その類稀なる頭脳についてまとめた、僕なりの記録である。
*
高校受験も終わった三月末。
僕は車に撥ねられた。
雨の中、母に頼まれた鶏胸肉の買い出しから帰ろうとしていたら、スーパーの前にある大きな道路、そこへ勢いよくスリップしてきた車に思いっきりぶつけられたのである。
覚えているのは、白い、ボディの低い車が横滑りに突進してきたこと。本能的に死を悟ったことと、気づけば地面に倒れていて、胸が酸欠みたいに苦しかったこと。それくらいだ。
そして次の瞬間、僕は眩い光の中にいて、そこでずっと、低い男性の声で優しく「大丈夫だからな、大丈夫だからな」と声をかけ続けられていた。甘い重低音が心地よく、僕は何もかもを預けて光の中に横たわっていた。
僕が次に目を覚ましたのは病院のベッドの上で、視界がはっきりした次の瞬間、母が僕に縋るようにして泣きついてきた。そこで僕は初めて、生死の境を彷徨っていたのだと知った。
しかし驚いたのはその後だ。
車に轢かれた僕を……死にかけた僕を手術台の上で生き返らせてくれた医師、その人こそ、あの「大丈夫だからな、大丈夫だからな」という優しい声の主だったのである。実際、先生は術中ずっと、頭の中で「大丈夫だからな、大丈夫だからな」と僕に語りかけていたらしい。声にこそ出さなかった想いらしいのだが、メスを、指先を、そして視線を経て僕の脳に届いたあの声を、僕は今でも鮮明に覚えている。
このような神秘的体験があればこそ、僕が医者を志すようになったのは必然、と言えるだろう。
かくして僕は、地元でも風変わりな評価を持つ進学校、
さて、九院高校について簡潔に述べたいと思う。
九院高校の通称は言うまでもなく「クイーン・ハイスクール」だ。「女王の高校」。しかしその名に反して男子校である。
校長は御年九十八歳の女性、
また、九院高校の特色の一つに生徒のルックスというのも挙げられる。
美少年が多いのだ。これは何か統計的有意を認めたくなるほどに多い。入試においても面接の比重が大きいためか「顔採用されているのでは?」という邪推の声もあるくらいだ。外部の学校にファンクラブがあるような生徒も多く、高校生のくせに上はダンディ系から下はジュニアアイドル系まで、幅広く揃えてある。
ただ、僕は残念なことに美形の類ではない。そこらの高校生に比べて体はでかいがそれだけだ。まぁ、この体格故にマダムたちからは可愛がられるが……そういう意味ではモテる。
九院高校はラグビーが強く、伝統校である。僕も小中と親しんだことのある競技なので、迷わず入部を志願した。
三月に車に轢かれた僕は入学式にこそ間に合ったが体の方は無論運動部の活動にはついていけなかった。しかし僕が小中と有名なラグビーチームで過ごしていたことを知るや、顧問の
そこで出会ったのが、我が親友にして問題の男子、
*
スポーツの名門校にあることだと思うのだが、部内の上下関係は厳しく、一年生は下っ端をやらされるのでなかなか精神に堪える。無論辞める者も少なくない。
五月。ゴールデンウィークも乗り越えて、長い雨の季節になった頃。一年生は既に実戦練習に入っていたのだが、怪我から復帰した直後の僕は基礎練習ばかりをやらされていた。暗い雨の降る季節、僕は一人鬱々としていた。
さて、そんなある日、上級生から「一年生の実力を知るために一年生同士で試合をしてみろ」との令が下った。一年生に拒否権はないので「はいやります」と答えるしかないのだが、僕の扱いに多くの人間が困った。
怪我から復帰したばかり。
治りかけのところにまた負荷を強いていいのか。しかもかわいそうに、基礎練しかやらせていない。
言うまでもなくラグビーはコンタクトスポーツだ。激しいぶつかり合いがある。ついこの間まで骨をやっていたような奴が試合なぞできるか?
代理を出せ。そういうこととなった。
しかし僕たち一年生はきっかり二チーム分の人数しかおらず、僕が抜けると一年生試合は成立しそうになかった。
二年が入るか……? となったところで、一年の
「ラグビー経験者なんだろ?」
西田にバシッと背中を叩かれた彼はつまらなそうに「小学生の頃少しやっていた」とだけ答えた。それからさらにこう告げた。
「そこの、怪我から復帰したばかりの子の代わりなら務めるのは簡単そうだが」
そう、彼は僕を示したのだった。
*
「何で僕の代理だと分かった?」
実際疑問だった。
西田が僕たちの前に久住を呼び出した場にいたのはラグビー部の面々だったが、皆一様に制服を着ていた。僕だって怪我ももうだいぶよくなっていたし、ぶつかり合いは躊躇われるものの、基礎練習だけはしていたから体格上の問題もない、パッと見た限りでは外見の差異などなかったはずなのだ。
しかし彼は、僕が怪我から回復したばかりのことを見抜いたどころか、自分が誰の代理であるか、そしてその責務を負えるかどうかまでを、一瞬にして見抜いた。
僕はその
更衣室でユニフォームに着替える仲間たちの姿を眺める傍ら、僕は踏み台用の小さな脚立に腰掛けて、ロッカーの前で気怠そうに着替える久住くんに向かって訊ねた。彼はつまらなさそうに返した。
「君の日焼け痕は比較的新しい」
彼は僕の首筋を示した。
「皮がボロボロ剥けているね。剥け始めたのは最近だ。剥け残った皮膚が
一年生のしごきで有名な本校のラグビー部だ。と久住は続けた。
「一年生が一人だけ練習に参加しないことを許すはずがない。やる気がなかったり、適性がなかったりした生徒はきっと仮入部が終わった時点で辞めているか、少なくとも練習試合に使おうという立場にはならないはずだ。となるとあの場にいた選手じゃなさそうな生徒はやる気や適性はあるのに何かしらの理由で練習ができない立場だと考えられる。これが病気なら、選手として活動できるか否かは白黒はっきりつく。しかし怪我なら、回復の状態を見たり、怪我によって生まれた特性なんかを見ないといけないから慎重になる。きっと基礎練習しかさせないはずだ。走り込みか筋トレか。前者は外に出るから日焼けはするだろう。でもこの頃は梅雨が向こうに見え始めたから天気が悪い。怪我はこういう気候の時疼く。室内での筋トレが主で、走り込みは怪我の調子がいい晴れた日にしかしないはずだ。つい二日ほど前にカンカン照りの日があったね。走り込みが主ならそこで日に焼けたはずだ。必然日焼け痕は新しい。そしてどうだい、君の体格」
久住は両手を広げて僕の足の先から頭のてっぺんまでを示した。
「部分的に痩せてこそいるが、骨格がローマの神殿みたいにがっしりとした、非常にたくましい肉体じゃないか。これを選手にしないはずがない。本来ならガチガチに鍛えて一軍選手に育てていたはずだ。そんな君が日焼け痕も新しく、つまり日頃から実戦練習をしていたわけでもなく、しかも本来生活の上でついているべき筋肉が痩せ、逆に筋トレで無理やり鍛えたであろう筋肉だけが発達したアンバランスな姿をしていたとあれば、ははぁ、怪我をして日常生活を送るのにさえ難儀して、そのせいでしばらく実戦練習ができなかった哀れな選手だな、かわいそうに。ともなるわけだ」
「すごいな」
僕は呻いた。
「一瞬でそんなにたくさんのことを観察するとは」
「簡単だよ」
久住はつまらなそうに肩をすくめた。
「みんな見てはいるのさ。考えないだけで」
そして、そう。この言葉こそ。
後に起こる事件の、根幹に迫るものだった。
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