パテナ・シンタータの誤算 第13話

 第三惑星時代、ある国の言葉で初夜と表した時間の終わり、あるいは中夜の始まりかもしれない時間。そんな夜分にパテナとカマド先輩の部屋に招かれた。騒ぎに騒いでいる〝慰労会〟の高揚感とアルコールの酔いはさめ、紅茶をいただきながら穏やかな会話をしていた。実に先輩の部屋らしいというか、彼女を表すように落ち着いた風合いのアンティーク家具やドライフラワー、華奢でいて優雅な曲線美のティーカップなど、高校の授業で習った第三惑星時代・ヨーロッパ地方文化のもので統一しているようだった。

 先輩が「これしかなくて、ごめんね」と淹れてくれた紅茶から漂う、ほんのりと甘い香りが現実と非現実の境目をなくしていく。


「カマド女史。普段は、どのように夜を過ごされているのですか?」


 急にパテナがジャンクショップにある型落ちの口説き文句を使い、対して先輩も「夜かあ……。そうだなー。休みの日や時間がある日なら紙の本をゆっくり読んだり。何も考えずに過ごすのが好き、かな」と何万回とリサイクルされただろう返事をした。では……、とパテナが仕切り直し「恋人は?」と、誰もが気になっていて、誰も傷つきたくないから口にしない質問を発する。


「パテナ……ッ」

「タタミ君、別にいいよっ。パテナさんの期待に沿った答えではないかもだけど、」


 私に恋人はいないし、この先もいないよ。

 事件の前から知っている人にしか、心を開けなくなってしまったからね。

 もし、お付き合いをしている人がいたら、事件のことを知っている。

 それは、お相手にとっても辛いよ、ね。


 少なくとも、私はつらい。

 だから、今も。これからも。恋人はいない。


 穏やかで柔らかい空気と謎めいた雰囲気を漂わせる先輩の秘密。


 彼女の神秘性は霧に包まれているからではなく、ただそこに期待したものが全く無いという疑心が〝彼女に限ってそんなはずがない〟という身勝手な妄想で偽物の神秘を創る。先輩の可愛らしさも相まって、より想像を掻き立てられるのだろう。それが大学時代からの仲間以外が描く、カマド・マネリという偶像。


「それではどうして、わたしを受け入れたのですか?」

「それはねえ……タタミ君が仲良くしている人だから、かなー」

「ぼくにそんな信用保証があったんですね。初めて知りました」

「人が人にする格付には信頼がある。金銭の貸し借りをする時は、タタミ君の友人だけにするよ」

「信頼、か〜。そうかもしれないね。私にとって最後の信頼なのかも」


 先輩の言葉は、ぼくに好意を持っているとも取れた。もしかすると、今夜、ぼくらを部屋に招いたのは〝あの事件で癒えていない傷〟を守ってもらおうとしたのかもしれない。ゆるやかな空気のなかに神妙な空気が漂い始めた部屋にふさわしくない、ヒトを研究対象とする〝奇跡的な天才〟は、ぼくと先輩のあいだに学生時代からある病原体を撒いてしまう。


「カマド女史は、タタミ君に好意をもっているのですか?」

「何を言っているんだ」

「いいじゃないかタタミ君。ガールズトークだよ」

「その好意というのは〝恋〟に繋がる好意のことかな?」


「恋……? なるほど、そうかもしれません。男女の仲に発展する感情です」




「そうかもしれない、ねー? ……でも、ね」


 でも、それが恋慕なのか安心感なのか……分からなくなっちゃった。


 淡々と答える〝カマド・マネリ〟は、心に癒えない傷を持つカマド・マネリの半生を見て憐れむようだった。紅茶を含む仕草、顔にかかった髪を耳にかける仕草、ひとつひとつの仕草は、絶望を覚えたカマド・マネリが〝カマド・マネリ〟の〝こころ〟を借りて動かす仕草なんだと思う。


「送ってくれなくてもいいというのに。タタミ君は紳士だな」

「紳士なんかじゃないよ。まだ〝悪戯〟から間もないだろう?」

「君が、わたしに〝何かを起こす悪戯〟をすることはないのか?」

「パテナ。今夜はそういう揶揄い方はやめてくれ」


 【バベルの図書館】に〝悪戯〟があり惑星連盟内部が揺れたように、風邪をひいたことがないであろう大統領候補が演説で計画反対を宣言し、一部の民衆に揺れを与えた。恐らく、惑星連盟は〝悪戯〟の情報を出すタイミングに頭を抱えている。大統領候補の演説により反対派が勢いづいているタイミングでもあり、被害を訴えることで何かしらの情報戦、心理戦を行っていると捉えられればオセロゲームが不利な色に占有率を変える可能性が高い。


 こんな神経質な状況で増員された研究棟の警備員だが、ぼくらエンジニアや研究者に与えられたのアパートメントの警備は変わりない。

 惑星連盟の【バベルの図書館計画】推進派が一枚岩ではないことは明白。こんな状況下だからこそ隣を歩く、子どものような〝奇跡的な天才〟に何かあったほうが都合がいいことだってあるのだろう。


 そう勘ぐってしまう。


 人間の〝こころ〟は、こんなにもわからないものなのに、ぼくらはあまりにも無神経で、不注意で、疑うことすら制御できずに不用心だ。この思考が矛盾しているのもわかっている。疑心暗鬼というやつに飲まれかかっているのもわかっているのに、腹が立って仕方がない。



「今夜も〝プリトヴィ〟はあるんだね」

「どういう意味だ? あれはいつもあそこに存在しているだろう?」

「そうだった。そうだったんだよ」


 歴史上、すべての指導者が武装をしないという選択をしなかった理由が、すこし、わかった。


パテナ・シンタータの誤算

第十三話、終わり。

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