パテナ・シンタータの誤算 第11話


 ──────── この世界に起きる、すべてのことに目を向けなければリアリストとは名乗れはしない。


 そんなことをパテナ・シンタータが言うとは、意外な印象を感じていた。


「まあ……ぼくは〝奇跡〟に期待も嫉妬もするよ」

「その気苦労も【バベルの図書館】が完成すれば失くなる」

「本当に奇跡的な出来事も失くなるんだろうか……」


 未来を予見するということを端的に言えば、説明のつかない体験が減るということだ。パテナは、その体験が減ることがヒトに対して、どういう影響があるのか、またどのように作用するか、実に見ものだと楽しげに口を歪める。〝天災〟と〝奇跡〟は人智を超えた神なる事象。観測不能な存在まで創造し、用いて形成してきた文化だが、この先にヒトという生命体は人智を超えた存在も信じられなくなるんじゃないのか。人類という生命体は、どう進んでいくのだろう。


「まだ人類にとって宇宙は広すぎる。だから完全に失くなるわけじゃない」

「それは人間が馬鹿ではないという前提と願いをもって、探究をやめないという期待も込められているのかな?」


「黙秘」


 黙秘と考えを教えてくれない彼女の表情は無表情だった。


 人類が【バベルの図書館】を手に入れた未来、果たして安寧や心に余裕を持つことができるのだろうか。


 心配をすることのない〝こころ〟の余裕を、人類は何に使うのだろう。公開されている限りの第三惑星時代の歴史、惑星〝シューニャ〟と惑星〝プリトヴィ〟の歴史をたどると、〝こころ〟の余裕は生命体として研ぎ澄まして使うどころか、短絡的な考えや判断をすることに使われる。


 対して、不安というやつは慎重に判断をさせるようでいて、物事を間違えて見せることがあり、慎重にオセロゲームの盤面を見ているようで狭い範囲しか見せなくさせてしまう。

 すべてを〝予見〟する【バベルの図書館】がヒトの持つ両極を調整し、人類のオセロゲームを支配することに使われないだろうか。


 数式と数値に置き換えないとモノが見えないと言っているような人間であるぼくらが、哲学や心理学などの領域に片脚を入れて話をしていると、ワイングラスを持ったカマド先輩が「どんな楽しい話をしているの、かな?」と微笑みかけてきた。先輩の和やかな空気を刺すようにパテナが「これはこれはカマド女史。いまタタミ君と抜け出して、この夜をどこでどう過ごすか検討を重ねていたところです」という嘘を吐く。こういう子どもが吐くような嘘を大人の口調で言うパテナに呆れ、否定をするというのが体系化してしまっている。


「ほんと、みんな賑やか」


 先輩は壁にもたれかかり、店内にうごめく魔女の鍋をそう表現した。ワイングラスを揺らす表情は楽しげな言葉と違い、先ほどより冷たく不安げなのに、それを隠すための笑顔で偽装する。


「いくら貸切だからといっても、あいつらは騒ぎ過ぎです」

「うん」

「さすがに〝悪戯〟は負担が大きかった。先輩のチームは休めましたか?」

「うん」

「まったく、つまらないことをする奴がいるんですね。今回ばかりは言葉がでない」

「うん」

「先輩。今夜、どうしてここに来たんですか?」

「うん」


 先輩の震える指先にあわせてワインの表面が波打っている。その様子をパテナも見逃しておらず、気を遣ったのか「もう一度、わたしの素晴らしい理論で彼らを屈服させてくるよ」と、先輩と二人きりにしてくれた。


「ごめん、ね。タタミ君。せっかくパテナさんと……」

「パテナとはバディなので、いつでも話せます」


「うん」




「まだ怖いんですね」






「……うん」


 カマド先輩は心に深い傷を負っている。


 事件の夜も、こんな感じで【バベルの図書館計画チーム】に加入が決まった学生同士で集まり騒いでいた。まだパテナやニアンを始めとした〝プリトヴィ〟の選抜メンバーと合流する前の話だ。歳がふたつ上の先輩は同じ大学の院生で、先に大学から派遣され【バベルの図書館】に携わるぼくらのお姉さん的な存在だった。

 会は楽しかった。皆、美味しい料理を食べ、お酒を飲み、先輩が〝オムライス〟なる高カロリーな郷土料理を、週に三回以上も食しながらも細いスタイルだから女性陣の顰蹙を買っていた。皆、笑っていた。これから、ぼくらが加わり構築する【バベルの図書館】への夢も語り合った。


「ねえ? タタミ君? ……どうして、人は暴力で人を従わせようとするのかな?」

「恐らく……、論理的に説明が出来ないか、短絡的な思考で行動を抑制できない」

「それだけだと思う?」

「欲した結果までのプロセスを踏むのが面倒だからかもしれません」


「私はそういう風に短絡的で、暴力に頼るのが…、」


 酷く悲しい。


 約六年前の楽しかった食事会からの帰り道。

 カマド先輩は夜道で男に襲われる。


「今でも夢に出るんだよ。もし、貴方が私の声に気付かなかったら……」

「先輩は今、ぼくが気付いた先の未来にいます」

「あのまま犯されるだけで済んだのかなって……よく夢でも…………、夢なのに、目覚めても泣いて、る……」


 事件後も犯人は卑怯だった。

 身柄を押さえられた直後の取調べに対して、性犯罪をしようとしたと供述していた。しかし、裁判が始まると性犯罪に対する風向きを変えるためなのか【バベルの図書館】に反対をしていて、関係者を襲撃して【バベルの図書館】の危険性を社会に訴えようとしたと理由をすり替える。その後【バベルの図書館計画】への過激な持論を展開し、エンターテイメント性をまととった主張はメディアの注目を集めた。それらが面白おかしく報じられると〝バベルの図書館計画反対派〟と若干の世論を味方に付けて、暴力の正当化を始めたのだ。


 本当に卑怯だ。


 先輩の怪我は抑えつけられたことによる腕の内出血や切り傷だけで済んだ。貞操は守られたかもしれないが、完全に〝こころ〟は犯され、殺された。


 ──────── あっ、うん。玉子を買い忘れて、ねっ。ありがと〜、タタミ君っ。私、夜道が苦手なんだよーっ。


 夜道を歩く。それが怖くて、怖くて、酷い苦痛を感じるほどの深い傷を〝こころ〟に負っている。


パテナ・シンタータの誤算

第十一話、終わり。

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