パテナ・シンタータの誤算 第2話

 研究棟の廊下を中庭に向け歩きながら、通信端末〈ターミナルコム〉を操作する。数秒のコールが鳴り、中庭への扉を押したときに〝彼女〟の声が鳴った。ゆっくりと春から冬に向かう惑星は葉を色づかせ、虫の音がやさしくささやいていた。対象的に耳元で鳴る〝彼女〟の声は相槌を打つ以外、冷淡で隙を作らせないものだ。しばらく相槌を打ち続けるあいだにベンチに座り、空に浮かぶ惑星〝プリトヴィ〟を眺めていると、ようやく〝彼女〟の言葉たちが止まった。


「その話は前にもした。しばらく無理だって伝えたはずだよ」


 再び降り始める〝彼女〟からの望まない愛。この言葉たちが、何かを育てようとする雨だとしても暴力的であれば、恵みの雨や愛と呼べるものなのだろうか。


 薄桃色の空の下で黙って〝彼女〟の雨に打たれ続けていると、ドリンクを持ったシキイとニアンが通りかかった。大学時代からの友人であるシキイが「また〝彼女〟か?」と苦笑いをする。そんな彼の恋人であるニアンが「シキイ、邪魔したらだめだよ」と小声で白衣を引っ張るのだ。彼らの微笑ましい関係に複雑な笑顔で「相手は〝彼女〟で正解だ。だから邪魔しないでくれ」と声には出さず、口の動きで伝える。雨の日の晴れ間というべきシキイとニアンが去り、しばらくして〝彼女〟の雨が止み発言が許された。


「もうこの話はやめよう。今のぼくには余裕がないんだ。これも伝えたはずだ」


 この宇宙で起こる様々な事象を予見する計画に携わっているというのに、人生にいるパートナーのことが分からずにいる。


 通話を終え、見上げる空を長方形に切り取る地上三階建ての真っ白な研究棟。毎日ここで神に近付こうと〝バベルの塔〟の建築に従事しているというのに、恋人との距離は近くならず平行線をたどっている。


 本当に、この宇宙はわからないことだらけだ。


「やあ、タタミ君。お疲れ様」


 ある日の退勤時、大学敷地内の研究施設ゲート前で、ぶかぶかのコートに手を突っ込んだパテナが立っていた。研究員のなかでも真っ先に帰る彼女に「どうした?」と尋ねると「君から誘われる食事に行きたい夜もある」と意地悪な笑顔が向けられる。つまり、先日の〝民間データが施設内に流れている〟という情報の買収期限が今夜らしい。


「ぼくの予定は考慮してくれないのか?」

「ほう? 別の女性と食事の予定でも?」

「いいや。家に帰るだけだよ」

「では、わたしとの予定に問題は?」


「ないね」

「では決まりだ」


 大学構内を走る路面電車の停留所。ほんのすこし高くなっているプラットホームから目を細めて夕陽を眺めていた。勝手に唇が「愛ってなんだろう」と動いてしまう。隣で真っ白な髪を耳に掛けるパテナが「それが解明されていれば、わたし達はまだ〝地球〟にいたかもしれない」と鼻で笑うのだ。


 ぼくら人類は、天の川銀河太陽系第三惑星〝地球〟と呼ばれた惑星を棄てた歴史を持つ。ヒトという生命体が生まれ、育まれた惑星の環境を人類は壊してしまったらしい。人類の文明が高度になっていく過程で起こった事象。ヒトが積み上げ、作り上げた文明というものは、ヒトしか寄り添えない失敗作だったのだ。〝地球〟の環境が生態系や、ヒトですら生息するのに適さないほどになったと記録されている。さらにヒトも生命体として適応できるほど強くはなかった。


 生物学者は自然淘汰だと、考古学者は絶滅した生命体を研究するように、我々が研究される側になるだけだと言ったらしい。そして、目の前にあるスパゲッティが完全に制止しているかと、大真面目に観測と研究を繰り返す物理学者と数学者は、宇宙航空工学や建築工学の学者を味方につけ惑星間移住船建造をし、次なる星に移住することを提案した。何世代にも渡る壮大な旅だ。


 惑星間移住が始められると、百年以内に全人類が何百万隻という移住航行船で主系列星を対になって周回する惑星〝シューニャ〟と惑星〝プリトヴィ〟へ向かい地球を出た。


「わたしは愛というものが何なのか知らないが、一般的に言われる親から受ける無償の愛だけが、愛ではないんだろう?」

「ぼくらは対価を払って、愛が何なのか知る危険な旅に出たのか。パテナはロマンチストだ」


「わたしはリアリストだよ。第三惑星時代に『地球は人類のゆりかごにしか過ぎない』と言った学者がいたらしい。惑星ひとつを潰して、ようやくヒトは〝あんよ〟が出来るようになった」


 ぼくら人類は隣り合って浮かぶ、惑星〝シューニャ〟と惑星〝プリトヴィ〟に覚えたての〝あんよ〟で命からがら辿り着いて、まだ六百年だ。


パテナ・シンタータの誤算

第二話、おわり。

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