公爵夫人は謎解きがお好き
灰猫さんきち
第1章 偽りの花嫁
第1話 帰らなかった兄
兄が死んだ。
冬の終りが近づいた、ある日のことだった。
朝、いつもと変わらない様子で家を出たお兄ちゃんは、夜には冷たい棺桶に入って帰ってきた。
「エリアス・グレンジャー殿は、訓練中の魔力暴走事故にて命を落とし……」
王宮魔術師の声が虚しく響いている。
暴走事故。そんなはずはない。だって兄は、お兄ちゃんは、誰よりも優秀な魔術師だった。そんな初歩的なミスを、しかも命に関わるレベルで侵すものか。
「そんなわけないでしょう! もっとよく調べてください!」
王宮魔術師に食って掛かる私を、両親が引き止める。
「やめなさい、アリアーナ」
「お父さん、お母さん、どうして!」
「深入りしてはいけない。お前まで失うことになったら、私たちは……」
両親の悲しみと心配の表情を見て、私は黙った。
つまりお兄ちゃんの死には、裏がある。それも簡単に手出し出せないような背景が。
私は拳を握り締めた。父と母が諦めるというのであれば、私が追わなければならない。兄の死の真相を!
私は棺桶の隣に立って、中を覗き込んだ。
兄は一見すると、眠っているようにさえ見える。今にも目を開けて「おはよう、アリアーナ。今何時? また寝坊してしまったかな」と言いそうだった。そんなわけはないとわかっているのに、目を開けて欲しいと思って……ずっと、立ち尽くしていた。
インクの匂いと、古びた紙の微かな甘さが混じり合う。
ここ王立中央書庫は私の職場であり、長く親しんだ揺りかごであり、そして今は息苦しいだけの檻でもある。
「アリアーナ。B地区三番書架の蔵書点検、終わったか?」
「はい、書庫長。問題ありません」
父でもある書庫長に報告しながら、私は指先についた埃をそっと払った。感情を殺した声を作るのは得意だ。もう半年も続けていれば、嫌でも上達する。
半年前――兄のエリアスが死んだあの日から、私の時間は止まったままだった。
仕事の合間を縫っては、私は兄の遺品を漁り続けていた。何かほんの少しでもいい。あの人の死に繋がる手がかりが欲しかった。
そして三日前、ついに見つけたのだ。兄が愛用していた革張りの手帳。カバーの裏側に隠すように、見慣れない詩のような文章が記されていた。
『アシュベリーの呪いは、行き場を失った奔流なり。それを受け止め、静謐の海へと導く『器』を要す』
『魂には固有の波長があり、乱れた波長を鎮める『調律の波長』が存在する。だが、その魂は歴史の記録にない』
「お兄ちゃん、相変わらずポエマーなんだから」
思わず、乾いた独り言が漏れる。アシュベリーとは、あの「呪われた公爵」のことだろう。王宮の奥にある『賢者の塔』に幽閉されているという、セオドア・アシュベリー公爵。兄が彼の呪いについて調べていたのは知っていたが、この感傷的な文章がなんだというのだ。まるで出来の悪い恋愛小説の一節じゃないか。
それでも、これが唯一の手がかりであることには変わりない。私は手帳を懐にしまい、再び無感情な書庫官の仮面を被った。
その仮面があっさりと剥がされることになるとは、この時の私には知る由もなかった。
相変わらずの日々を送っていた私に、変化は唐突に現れた。
「――アシュベリー公爵家より、お嬢様に縁談のお話が!」
慌てふためいた声と共に書庫に飛び込んできたのは、グレンジャー家の使用人の一人。瞬間、空気が凍りついた。蔵書を整理していた職員が一斉に動きを止めて、視線が私に突き刺さった。
「馬鹿を言え! 呪われた公爵様に、なぜうちの娘が!」
書庫長である父が、顔を真っ赤にして怒鳴った。無理もない。セオドア・アシュベリー公爵といえば、触れた者の魔力を暴走させ、自らもその呪いに蝕まれているという悲劇の貴公子。
幼い頃から呪いを身に宿す公爵は、長生きはできないと言われていた。大人になった今では、余命はもう僅かとも。
彼と結婚するなど、死にに行くようなものである。
公爵自身も半ば幽閉の身で、自由はないと噂に聞いていたのに。
だが私の心臓はまったく別の理由で、うるさいくらいに脈打っていた。
(アシュベリー公爵……縁談……? これは、罠か? それとも――)
千載一遇の、チャンスなのか。
「お父様、お話だけでも、伺います」
「アリアーナ! お前、正気か!」
「ええ、正気ですよ」
私は父の目を見て、はっきりと告げた。
「アシュベリー公爵様は、兄がお世話になった方です。いくらかのお方の噂があるとはいえ、無下に断るのは、グレンジャー家の名折れでしょう」
もっともらしい理由を並べ立てながら、私の頭は猛スピードで回転していた。これは、向こうから虎の巣に入らせてくれると言っているようなものだ。乗らない手はない。
我がグレンジャー家は貴族でも何でもない平民の一族だ。けれど歴史は案外古くて、代々書庫官を務めてきた。さかのぼれば王国の初期までになるらしい。
歴史ばっかり古い平民の家。呪われているとはいえ王家の血が入る公爵家に嫁ぐには、身分差があまりに大きい。
かのアシュベリー公爵は、呪いのせいで余命いくばくもないという。何かの意図があって縁談を持ちかけたのだろう。あるいは、アシュベリーの呪いを研究していた兄に繋がっているのかもしれない。
ただの書庫官の身分では、公爵に近づくことすら難しかった。向こうから懐に入れるというのであれば、入ってやろうではないか。
身分差とか公爵の意図とか、そんなものは全部後回しだ。私はお兄ちゃんの死の真相を知らなければならない。
++++
恋愛小説賞に滑り込みで投稿します。以前途中まで投稿していたもののリメイクになります。
滑り込みなので短期集中投稿。
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