第8話 甘い錯覚

 マリーズの言葉に背中を押され、ロベル様へお誘いの手紙を送った。


 翌日、快い返事が届いた私は、部屋の中をグルグルと歩き回ったり、飛び跳ねたり、嬉しさのあまり興奮が抑えられないほどだった。


 (こんなに早く返事をもらえるなんて! 騎士団の任務でお忙しいはずなのに……嬉しい)


 他の何よりも優先されているようで、ちょっとした優越感のような気持ちも芽生えていた。


 (一度も、ジョセフにはそんな風に扱われたことがなかったわ。やっぱりロベル様は私のこと……)


 でも、しばらくすると別の考えがふっと頭を過ぎった。


 (嬉しい、嬉しいのよ……だけど……なんだか上手く行き過ぎていて、怖いわ)



 ドキドキしながら、思った通りに物事が運んで行く快感……。


 その快感に刺激され、高揚と期待が膨れ上がって行く感覚……。


 (恋が実りそうな予感にまだ慣れていないだけ)


 なのに、何度も頭に浮かんでしまう――トランプゲームで良い手札が一枚、また一枚と自分の手元に配られ、ツキが回ってきたと勘違いしてしまう錯覚と似ている、と無意識に私に警告してくる。



 (私ったら、ちょっと神経質に考え過ぎね)



 

 そして、数日後、ロベル様との約束の日を迎えた。


 「それじゃ、ニナ、行って来るわね。……ねぇ、私、どこも変じゃない? 髪型やお化粧は乱れてない?」


 「まぁ、そんな弱気なことを仰るなんて。お嬢様、お美しいですよ!」


 「ふふっ、ありがとう。ニナにも何かお土産を買って来るわね」


 サレット侯爵家の馬車を降り、逸る気持ちを抑え、足早に広場の噴水へと向かう。


 「ロベル様! お待たせしてしまいましたか?」


 「私も今、着いたところです。ああ……ユージェニー嬢、今日もとてもお綺麗ですよ……思わず胸が高鳴りました」


 ロベル様はいつもさらりと褒めて下さる――悪い気はしないけれど、なんだかちょっと胸の奥がくすぐったいかも。

 

「先日は、むさ苦しい訓練の見学で退屈だったでしょう? それにグレイのこともありましたから……」


「グレイ卿のことは気になさらないで下さい。それに、とっても皆さん素敵でしたわ。特に……」


 (ロベル様が)


 言いかけて言葉を呑み込んだ。


 マリーズに助言されたものの、やっぱり気恥ずかしい。

 

 (あれほど疎まれていたジョセフには積極的になれたのに、どうしてロベル様の前では臆病になるのかしら?)


 「それなら良かった……グレイのことで何かあれば遠慮なく私に相談してください。あっ、あちらに行ってみませんか?」


 その後は、露店の立ち並ぶ賑やかな通りを散策したり、念願の公園でボートに乗ったり――気づくと夕陽が街の向こうへ沈みかけ、街灯の灯りが所々に灯り始めていた。


 「本当に楽しい一日でしたわ! お父様やニナたち使用人への素敵なお土産も買えましたし」


 お父様へは小さな螺鈿のピルケース、ニナへは銀細工の髪飾りなど、露店を回って買い求めた。


 「その言葉を聞いて安心しました。今度は私がお誘いしても構いませんか?」


 「ええ、もちろんですわ」


 私たちは再び広場の噴水まで歩いて来た。


 「ああ、サレット侯爵家の迎えの馬車が来ていますね。あまり遅くなると侯爵様もご心配なさるでしょう。今日はここで失礼いたします」


 ロベル様は私の手を取ると甲に軽くキスをし、颯爽と雑踏の中に消えて行った。

 


 ――「ユージェニー、今日は楽しかったか?」


 「とても楽しかったですわ。ロベル様が街のことにお詳しくて、いいお土産も買えましたのよ。お父様へは……」


 「そうか、ウォホン、ンンッ――ベル卿は街に詳しいのか。やはり騎士たるもの帝都中の地図が頭に入っているのだろうな」


 急に咳き込みだしたお父様に、なぜかダンが呆れたような冷ややかな視線を送っている。


 「あら、お父様、咳などしてお風邪ですか? ちょうど良かったかも……素敵な螺鈿のピルケースを買って来ましたの」


 「いや、ちょっとな。おお、美しいピルケースだ。ありがとう、ユージェニー」


 夕食でお父様やダンを相手に今日の出来事を楽しくお喋りした後、疲れた私はニナに入浴を手伝ってもらい、早めにベッドへ入った。


 「ニナも髪飾りを喜んでくれていたわね。楽しかったわ……だけど、あれは何だったのかしら?」


 ――ニナのお土産に髪飾りを買いたいと言った私に、ロベル様は数ある露店の中から迷わず一軒の店へ案内してくれた。


 「ここは平民の店ですが、なかなか良い品を扱っているのですよ」


 ロベル様は私の耳に手を添え、そっと小声で教えてくれた。


 「おや、旦那、今日も、えらいべっぴんのお嬢さんを連れているじゃありませんか!」


 親しげに話しかけてきた店主は、いかにも人の良さそうなお爺ちゃまだった。


 (も?)


 「アハハ、爺さん、何を言うんだよ。俺がこんなに美しい女性を連れてきたことなんてないだろう?」


 「えー、あれ? いやー、でも、泣きボクロのある、栗色の髪のべっぴんさんと……」


 店主は自分の記憶は正しいとばかりに、少しムキになって記憶を辿っている。


 「アハハ、またか? 爺さん。どこかの紳士と勘違いしているんだよ。それより、せっかくお客様を連れてきたんだから、何か良い髪飾りをすすめてくれよ」


 ロベル様はどこか誤魔化すように店主の言葉を遮った。


「あっ、いっけねぇ、そりゃそうだ。すまねぇ、ワハハハ!」


 ――「店主のお爺ちゃまは勘違いしている感じはなかったわ……。お知り合いの女性と行くこともあるでしょう? なのに、誤魔化すような素振りをするんですもの、気になってしまうわね」


 私は深い眠りに落ちながら、この小さな棘のせいか、どこかロベル様への気持ちに揺らぎを感じていた。


 (ロベル様のこと、好き? 過去のジョセフへの思いも、好き?)


 はしゃいで、舞い上がって、忘れようと――無意識に避けていた感情。


 もし、裏切られなければ、私は永遠にジョセフの愛を渇望したはず。

 

 (私は過去であんな目に遭わされたのに、まだくよくよ悩むだなんて。……滑稽よね)


 時間が巻き戻った今、ジョセフへは復讐したいほどの憎しみと怖れこそあれ、求める気持ちはない。


 なのに、一方で、そこまでの熱望――何としてでも手に入れたい狂気にも似た感情――をロベル様へ持てない自分に戸惑っていた。


 (本当に私の心は矛盾だらけだわ。過去のジョセフへの思いが本物の愛だったかさえ、もう分からなくなっているのに)


 まどろみの中、お父様が私の頭を優しく撫でているような気がしたが、重い瞼は再び私を深い眠りへと誘った。


「ユージェニー……私が必ずお前を守る。だから、愛などに振り回されるな。今度こそ、欲のない者と結ばれて幸せに生きるのだ。サレット侯爵家の者は、愛すれば愛するほど――命を奪われてしまう運命なのだから」

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