第4話 ヒロイン登場
「あの、それ俺の肉……」
「ええ、その通り。そして――私のお肉でもある」
「いや、店主のサービスとはいえ、俺が金払って頼んだものだ」
「サービスだったの。なら――なおさら私のもの」
「……どういう理屈だよそれ」
シルフィはまるで気にする様子もなく、フォークをステーキに突き立てた。
ジュウ、と音を立てて肉汁が弾ける。
「……おい、勝手に食うな」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
「いや、めちゃくちゃ減ってるけどな。今まさに」
あっけらかんと笑うシルフィに、シオンは額を押さえてため息をつく。
ただでさえ突然のヒロイン登場で頭が追いついていないのに、そのヒロイン本人に飯を優雅に盗まれている――どういうこと?
「……他人の皿に堂々と手を出す勇気は称えるけど、恥って概念はないのか?」
「あるよ? でも、勝った者が食べる。それが狩人の掟」
「……俺、狩られた覚えないんだが?」
「そのステーキを狩ったのは私。それを食べてるあなたも――私に狩られたってこと?」
「いや、知らねえよ。こっちに聞くな」
軽口を叩きながら肉を頬張るシルフィ。
ソースを唇に少しつけたまま、まるで勝者のように笑った。
(すごいな、目の前にいるのはキャラクターじゃない、人間だ)
原作の彼女は天然と信念をかけ合わせた、どこか人間臭くも愛らしいキャラクターだった。
だが、いま目の前にいるシルフィは――人間臭いなんてもんじゃない。本当に、人間なのだ。
そう思うと、胸の奥がきゅっと閉まる。
「……わかったわかった。ここは俺が折れる。飯は一緒に食おう。ただ、せっかくだ。自己紹介ぐらいしないか?」
「いいよ。私はシルフィ。ただのシルフィ」
「そうか……」
本人が名乗ったことで、シオンは確信した。
銀糸の髪に包まれた小顔。
何を考えているのか読めない表情なのに、ときおりすべてを見透かすような眼差しをする。
目の前の少女は――《エンドサーガ》のヒロイン、シルフィ・クレスタ・アランクレードで間違いない。
家名とミドルネームを名乗らないのは、彼女がまだあのシナリオを通過していないからだ。
「人には聞いておいて、自分は名乗らない……お肉だけじゃなくて、私の情報まで盗んでいくんだね」
「お肉も情報も盗んでないが……俺はシオン。同じく――ただのシオンだ」
「そ、覚えとく。私のお肉を横取りした人として」
「だからお前のじゃねえって」
シオンのツッコミに、シルフィはくすりと笑う。
無邪気で、堂々としていて――それでいてどこか挑発的なその笑みは、画面の中で見たヒロインそのままだった。
「いやはや、若人が仲睦まじく食卓を囲む風景は、いつだってほほえましいものですね――肉汁が跳ねますから、こちらをどうぞ?」
近づいてきた眼鏡の男が、二人の皿の間にナプキンをそっと差し入れた。
「ギルマス、ずっと見てただろ?」
「はは、バレてましたか」
近づいてきたのは、サリアの街の冒険者ギルドを統括する男――ギルドマスター、シトレー。
異様に物腰の柔らかい立ち振る舞いと、どこか胡散臭い眼鏡の奥の目つきのせいで、冒険者たちからは“裏で何か企んでる”と恐れられている人物だ。
もっとも、ゲーム《エンドサーガ》において、裏切ることは一度もなかった。
つまり、裏がありそうなだけの良い人である。
「シオン君、帰ってきてくれてありがとうございます。冒険者ギルドを預かる者として――いえ、個人としても、大変うれしく思います」
「ああ。それでギルマス、お客様との話ってやつは終わったのか?」
「ええ。こちらのお客様と、非常に有意義な話をさせていただきましたとも」
そう言って、シトレーは穏やかに微笑みながらシルフィの方へ視線を向けた。
その仕草は、まるで舞台俳優のように芝居がかっている。
「……お客様って、シルフィのことだったのか」
「うん」
「先ほどの件、シオン君に話しても構いませんか?」
「かまわない」
その返事にシオンは、少しだけ身を乗り出した。
ギルドマスターとヒロイン――この二人が有意義な話をしたというなら、ただの世間話で終わるはずがない。
「それで……何の話だ?」
「私が持ちかけた話だから、やっぱり私が話す」
シルフィは口いっぱいに頬張っていた肉を飲み込み、静かに姿勢を正した。
ついさっきまで無邪気に笑っていた少女の表情が、一瞬で変わる。
柔らかい空気が霧散し、瞳には鋭い光が宿っていた。
その変化に、シオンとギルマスの二人は思わず息をのむ。
「私、強い人を探して大陸を旅しているの。冒険者ギルドや街の自警団に話を聞いて回っていたんだけど……ある日、とある噂を耳にした」
「噂?」
「大陸南方のサリアに、“とんでもない冒険者”がいるって」
「おう……」
シオンは思わずギルマスを見る。
案の定、シトレーはにやにやと、あの胡散臭い笑みを浮かべていた。
「詳しく聞こうとしても、みんなよく知らないって言うから、直接サリアのギルドで確かめようと思って」
「ええ、そして彼女は私のところへ話を持ってきたんです。それで――紹介したんですよ、飢狼のことを」
「……はぁ」
ため息をつくシオン。
嫌な予感は、だいたい当たる。
「飢狼は世界五大ダンジョン――“地災の渦”に挑んで、生き延びたって聞いた。しかも今日帰ってきたばかり。これはもう、運命。どんな強者なのかな……」
「……探さなくていいのか?」
「そう、ギルド内にいるって聞いたから探してたのに――私のお肉を盗んでる人がいて」
「いや、それまだ根に持ってんのかよ……」
シオンが呆れ気味にため息をつくと、ギルマスの顔が視界に入る。
さっきまで胡散臭かった笑みが、今や倍増していた。
――間違いない。完全に楽しんでやがる。
「はぁ……隠してても仕方ないな。俺が飢狼だ」
シオンが呆れ半分に伝えると、シルフィは今日一番の笑みを浮かべた。
「うん、知ってる。飢狼のシオンさん」
「……は?」
「まさかその“飢狼”本人が、私の肉を横取りするとは思わなかったけど」
「……そういうことか」
ギルマスが満足げに頷いた。
「仲がよろしいことで」
「よくねえよ!」
シオンの叫びをよそに、シルフィは涼しい顔で肉をほおばる。
ギルマスの笑みはますます深まり、もはや確信的だった。
――やっぱり、全部仕組まれてたな。
気づいた瞬間、シオンは顔を真っ赤にしてうつむいた。
その姿を見たシルフィが、くすっと楽しげに笑う。
「ねぇ、飢狼さん。こうして会えたのも、運命だと思わない?」
その言葉に、どこか既視感のような寒気が走った。
この出会いが運命だとするなら、彼女はよほど世界に嫌われている。
世界が、決められた筋書きを失い始めている予感がした。
「……勘弁してくれ」
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