第3話
世界ジュニア選手権:フリープログラム
ショートプログラムの後、僕は誰ともまともに話さなかった。天城コーチは、僕が5回転フリップを成功させたことに対して何も言わなかった。ただ、僕の身体を徹底的にチェックし、フリープログラムに向けての調整を続けた。
僕は、僕の身体が震えているのを感じていた。ショートプログラムで跳んだ5回転フリップのダメージは、まだ僕の身体に残っている。でも、僕の心は、不思議なほど静かだった。
フリープログラムの朝、僕はリンクにいた。周りには、フリープログラムを滑る選手たちが練習している。彼らの演技は、どれも熱のこもったものだった。
僕は、僕のフリープログラムの構成を、頭の中で何度も反芻していた。
4回転ジャンプを3本、トリプルアクセルを2本。それは、僕がミスなくこなせる、完璧な構成だ。
でも、僕の心の中には、もう一つの、誰にも話していない構成があった。
5回転ルッツ。
そして、5回転アクセル。
僕は、天城コーチにも、月影さんにも、誰にもこのことを話さなかった。もし、彼らに話せば、彼らは僕を止めるだろう。
「危険すぎる」「無謀だ」「身体がもたない」
彼らの言葉は、すべて正しい。でも、僕はもう、完璧な演技だけでは満足できなかった。
僕は、僕の身体を、僕自身の意志で動かす。
僕は、僕だけの物語を、この世界の舞台に刻み始める。
ライバルたちの反応:静かな戸惑い
世界ジュニア選手権のフリープログラムの練習リンク。澄音は、静かに滑っていた。他の選手たちが4回転ジャンプの練習を繰り返す中、彼はただスケーティングと表現の確認に時間を費やしている。
「おい、澄音、本当にジャンプは一本だけなんか?」
俺が声をかけると、澄音は静かに頷いた。
「ああ。ショートプログラムのダメージが大きい。無理はしない」
彼の言葉は、冷静だった。だが、俺は知っている。あいつの目には、まだ燃え尽きていない炎がある。
風間陣(関西のライバル)
「嘘やろ……。ショートで5回転フリップ跳んで、フリーでジャンプ一本だけって、どういうことやねん。アイツ、ほんまにわからん。けど、アイツのスケートからは、なんか、寂しさみたいなもんが消えてる気がする。なんか、こう、満たされてるっていうか……。いや、ちゃうな。あれは、次に跳ぶジャンプへの、静かな興奮や。アイツ、またなんか企んでるな。くそ、俺も負けてられへん!」
アレクセイ・ミハイロフ(ロシアのライバル)
「理解できない。彼はなぜ、技術を捨てた?ショートプログラムで、彼は完璧なジャンプを跳び、私たちを圧倒した。しかし、フリーでは、ジャンプを一本に限定する。彼の身体は、ショートプログラムのダメージに耐えられなかったのか?いや、違う。彼は、何かを隠している。彼の滑りには、まだ見ぬジャンプへの準備が感じられる。彼は、私たちを欺こうとしている。だが、その欺瞞にこそ、彼の本質が隠されているのかもしれない」
ノア・グリーン(アメリカのライバル)
「Hey, buddy. Are you okay?(おい、相棒、大丈夫か?)ショートのジャンプ、マジでクレイジーだったぜ!でも、フリーでジャンプ一本って、ちょっと寂しいな。観客は、君のクレイジーなジャンプが見たいんだぜ。まあ、でも、君の決めたことなら、俺は応援するぜ。俺は、君の隠された熱意を感じる。君のジャンプが一本だろうと、君のスケートは最高だ!」
キム・ハヌル(韓国のライバル)
「彼の選択は、論理的です。ショートプログラムで受けたダメージを考慮すれば、ジャンプを一本に絞ることは、最も賢明な判断です。しかし、彼の表情からは、勝利への執着が見られません。彼は、何を求めているのでしょうか?彼の演技は、今、静けさに満ちています。その静けさが、彼の次の挑戦への布石であることは、間違いありません」
澄音のジャンプを控えた演技構成は、ライバルたちに静かな戸惑いと、新たな疑問を投げかけた。彼らは、澄音の行動の裏に隠された、彼の真意を探ろうとしていた。
終わらないインタビュー
世界ジュニア選手権のフリープログラムを終えた後、僕の周りは一変した。
得点発表を終え、リンクから上がると、僕を待っていたのは、コーチや監督たちだけではなかった。カメラのフラッシュが、僕の目を何度も刺した。マイクを向けられ、質問の嵐が僕に降り注いだ。
「5回転ジャンプに成功した今のお気持ちは?」
「次はいよいよ5回転アクセルへの挑戦ですか?」
「なぜ、フリーではジャンプを1本に絞ったのですか?」
僕は、何も答えられなかった。僕の身体は、痛みで震えていた。僕の頭の中は、真っ白だった。僕が跳んだジャンプは、僕自身の心を満たすためのものだった。でも、メディアの質問は、僕のジャンプを、ただの偉業としてしか見ていないようだった。
僕は、質問に答える代わりに、ただ、頭を下げていた。
天城コーチは、僕の代わりに、メディアの質問に答えてくれた。
「彼は、まだ若いです。彼の身体を第一に考え、今後も慎重に調整していきます」
彼の言葉は、僕の心を落ち着かせてくれた。
僕は、メディアに囲まれながら、僕のスケートは、もう僕だけのものじゃないのだと悟った。僕が跳んだジャンプは、世界中のフィギュアスケートファンに、そしてメディアに、大きな波紋を広げた。
僕は、僕自身の人生を、僕自身の意志で動かすことができた。でも、その結果、僕は、僕自身の人生を、誰かに見られていることを知った。
僕は、僕の新しい物語の、次のページを、この世界の舞台に刻み始める。
葛藤:二つの選択肢
フリープログラムの開始時間が迫っていた。僕は、リンクサイドの選手待機エリアで、一人、静かに座っていた。
僕の頭の中は、二つのジャンプでいっぱいだった。
5回転ルッツ。
これは、ショートプログラムで成功させた5回転フリップと同じく、これまで誰も成功させていないが、理論上は実現可能なジャンプだ。成功すれば、僕は再び、歴史に名を刻むだろう。
5回転アクセル。
これは、コーチ陣や、フィギュアスケート界の誰もが「不可能」だと言うジャンプだ。僕の身体は、すでに限界を迎えている。もし失敗すれば、選手生命を失うかもしれない。
僕が震災で失ったもの、そして僕のスケートにいつもついてまわる「空っぽな部分」。それを埋めてくれるのは、理論やデータではない、僕自身の心だと信じていた。
5回転ルッツを跳べば、僕は間違いなく優勝するだろう。僕の「完璧」なスケートは、僕に勝利をもたらしてくれる。
でも、僕は、もう「完璧」なスケートだけでは満足できなかった。
僕は、僕の身体を犠牲にしてまで跳んだこのジャンプが、確かに誰かに届いたことを知った。
僕は、僕自身の人生を、僕自身の意志で動かすことができた。
僕は、僕の新しい物語の、最初の1ページを、この氷の上に刻んだ。
葛藤:二つの選択肢
フリープログラムの開始時間が迫っていた。僕は、リンクサイドの選手待機エリアで、一人、静かに座っていた。周囲のざわめきが、まるで遠い世界のことのように感じられる。僕の頭の中は、二つのジャンプでいっぱいだった。
5回転ルッツ。
脳内でシミュレーションする。氷に深くエッジを食い込ませ、左足で強く踏み切る。空中で身体を素早く締め、回転軸を固定する。一つ、二つ……五つ。着氷。身体がわずかに傾くが、すぐに修正できる。このジャンプは、これまで練習でも成功させたことがある。痛みは伴うが、身体は耐えられると知っている。これは、勝利のためのジャンプだ。
5回転アクセル。
再び脳内でシミュレーションする。前向きに踏み切り、空中での回転数は5.5回転。他のジャンプより半回転多い。踏み切りの瞬間から身体が感じる負荷は、ルッツの比ではない。空中で完璧に軸を維持しなければ、着氷は不可能だ。失敗すれば、選手生命を失うかもしれない。身体が、まるで「やめてくれ」と叫んでいるかのようだ。これは、夢のためのジャンプだ。
僕は、どちらを選ぶべきなのか、答えが出せないでいた。僕のスケートは、僕の人生そのものだ。だが、僕の人生を、この一瞬の選択で決めてしまっていいのだろうか。
監督:白鷺 玲子
私は、リンクサイドで澄音を見ていた。彼は、静かに座り、目を閉じている。彼の表情からは何も読み取れない。しかし、彼の身体から放たれる、張り詰めた空気を感じていた。
彼は、今、選ぼうとしている。勝利のためのジャンプか、それとも、彼のスケートを完成させるためのジャンプか。彼の静けさは、嵐の前の静けさだ。彼のスケートが持つ「語りの余白」が、今、何かを刻もうとしている。
コーチ:天城 碧
俺は、澄音の身体の動きを観察していた。呼吸が浅い。手足の筋肉が、わずかに震えている。彼は、今、脳内でジャンプのシミュレーションを繰り返しているのだろう。
ルッツか、アクセルか。俺は、どちらを跳ぶべきか知っている。ルッツだ。安全な選択が、彼の身体を守る。だが、奴の目には、まだ燃え尽きていない炎がある。俺は、奴に「跳べ。語るな」と教えた。だが、奴は今、ジャンプを跳ぶことで、俺に何かを語ろうとしている。
フィジカルコーチ:大隅 剛
俺は、澄音の身体に手を当てた。脈拍が速い。汗が滲んでいる。彼の身体は、ショートプログラムのダメージから回復しきっていない。5回転ルッツなら、何とか耐えられるだろう。だが、5回転アクセルは、絶対にやめるべきだ。
俺は、奴に「跳べる身体は、語れる身体だ」と教えた。だが、奴は今、その身体を犠牲にしてまで、何を語ろうとしているのだろうか。俺の言葉は、奴に届いているのだろうか。俺は、ただ、奴の身体が無事であることを祈るしかなかった。
ネットの声:澄音の選択は?
世界ジュニア選手権のフリープログラムを前に、澄音が練習で5回転ルッツと5回転アクセルの両方を試しているという情報が、関係者を通じてネットに流れた。この情報は、フィギュアスケートファンの間で瞬く間に広まり、議論の的となった。
匿名掲示板(フィギュアスケート板)
【フリー】澄音、5Lzと5Aの両方練習してるってマジ?
「おいおい、嘘だろ。ショートで5F成功させたばっかりなのに、フリーでまた新ジャンプに挑戦するのか?」
「ルッツならまだしも、アクセルは無謀すぎる。着氷したら骨が砕けるぞ」
「いや、あいつならやるかもしれない。だって、あいつのジャンプは、もう人間じゃないから」
「ルッツなら優勝は確定だろう。でも、アクセル跳んだら…マジで歴史が変わる」
「あいつ、ショートで痛みに耐えながら演技してたじゃん。なんでまだ身体をいじめるんだ…」
SNS(X/旧Twitter)
トレンド:#澄音 #5回転アクセル #どちらを選ぶ?
@FS_Fan123: 「ルッツとアクセルで悩んでるって…澄音くん、どこまで私たちを驚かせたいの?アクセルは心配だけど、彼の挑戦を応援したい」
@SkateMedia: 「氷室澄音の選択は、フィギュアスケートの未来を左右する。勝利か、それとも夢か」
@Analyst_Sports: 「氷室選手の選択には、二つの意味がある。ルッツは技術の追求。アクセルは自己との戦い。彼がどちらを選ぶのか、注目だ」
@Jinpachi0815: 「澄音、どっち跳ぶか悩んでるらしいな。ルッツなら余裕で勝てるやろ。でも、アイツはアクセルに挑む気がする。だって、アイツはそういうやつやからな」
ニュース記事コメント欄
『氷室澄音、フリーで前代未聞の5回転ジャンプに挑戦か』
「正直、もう彼の演技に優勝とか順位は関係ない。彼がどこまで自分を追い詰めるのか、彼の挑戦そのものを見たい」
「ルッツを跳んで無事に優勝してほしい。彼のスケート人生はこれからなんだから、無理はしないでほしい」
「これまでの彼の演技は、確かに『完璧』だった。でも、どこか冷たかった。今日のジャンプは、彼の熱意と痛みが、画面越しに伝わってきた」
ネット上では、澄音がどちらのジャンプを選ぶのか、大きな議論が巻き起こっていた。彼の挑戦を期待する声、彼の身体を心配する声、それぞれの思いが交錯し、フリープログラムへの関心は最高潮に達していた。
フリープログラムの音楽が、静かに流れ始めた。
僕は、リンクに立つ。観客のざわめきが、まるで遠い世界のことのように感じられる。僕の頭の中は、一つのジャンプでいっぱいだった。
5回転ルッツ。
僕の身体は、このジャンプを跳べるように準備されてきた。でも、僕の心は、まだ答えを出せずにいた。
僕は、このジャンプを跳ぶために、コーチや監督たちに嘘をついた。成功すれば、歴史に名を刻む。失敗すれば、選手生命を失うかもしれない。でも、僕はもう、完璧な演技だけでは満足できなかった。
僕は、僕自身の人生を、僕自身の意志で動かすことができた。フリープログラムの音楽が止まった。
僕は、最後のポーズをとり、静止した。
身体は、痛みで震えている。膝が笑い、足首が悲鳴を上げている。着氷の衝撃が、まだ僕の身体に残っている。でも、僕の心は、不思議と満たされていた。
5回転ルッツ。
僕は、僕が選んだジャンプを、完璧に跳びきった。それは、僕がこれまで跳んできたどのジャンプよりも、僕の心を揺さぶった。
観客からの拍手が、まるで嵐のように僕に降り注いでくる。僕は、ゆっくりと顔を上げた。僕の目には、拍手をする観客の顔が、一人一人、はっきりと見えた。彼らの目は、僕のジャンプを、僕の演技を、僕の孤独な戦いを、理解してくれたかのようだった。
僕は、手を挙げ、観客に頭を下げた。
そして、僕は、僕が跳んだジャンプが、僕自身の人生を、僕自身の意志で動かした、僕自身の宣言だったことを知った。
僕は、僕の新しい物語の、最初の1ページを、この氷の上に刻んだ。
聖なる氷上:得点発表
僕は、キス・アンド・クライに座っていた。隣には、冷静な表情の天城コーチがいる。僕の身体は、ショートプログラムの時よりもはるかに痛かった。膝、足首、腰。着氷の衝撃が、僕の身体のすべてを蝕んでいるかのようだった。
それでも、僕は、ただ電光掲示板を見つめていた。
フリープログラムでは、5回転ルッツのみを成功させた。ショートプログラムで跳んだ5回転フリップと同じく、ルール上は存在しないジャンプだ。
もし、このジャンプが「失敗」と見なされれば、僕の演技は大幅な減点を受ける。もし、このジャンプが「無効」と見なされれば、僕はただ、意味のない挑戦をしたことになる。
画面に、僕の名前と、技術点が表示された。
125.75点
その数字は、僕の予想をはるかに上回っていた。4回転ジャンプの技術点をはるかに超えた、驚異的な数字だ。僕は、驚きを隠せずに、画面を凝視した。
そして、演技構成点が表示された。
88.90点
こちらも、僕の自己ベストを大きく上回る数字だった。
最終得点が表示される。
214.65点
その数字は、僕がこれまで出したどんな点数よりも高かった。世界ジュニア記録を大きく更新した、驚異的な数字だ。
会場が、再びどよめきに包まれた。歓声と、ざわめきが僕の耳に届く。
僕は、立ち上がった。僕の身体は、痛みで震えている。でも、僕の心は、不思議と満たされていた。
僕が跳んだ5回転ルッツは、ルール上存在しないジャンプだ。でも、ジャッジは、その挑戦を評価してくれた。
これは、ただの技術点ではない。それは、僕が自分の空っぽな部分を埋めるために、必死に努力したことの証明だ。
僕は、僕の身体を犠牲にしてまで跳んだこのジャンプが、確かに誰かに届いたことを知った。
僕は、僕自身の人生を、僕自身の意志で動かすことができた。
僕は、僕の新しい物語の、最初の1ページを、この氷の上に刻んだ。
匿名掲示板(フィギュアスケート板)
【速報】氷室澄音、フリーは5Lzのみ。5Aは回避
「あーあ、やっぱりアクセルは無理だったか…」
「5Lz成功も十分すぎる偉業なのに、なんか物足りないと思ってしまう自分がいる」
「当たり前だろ。身体のダメージがやばいって散々言われてたんだ。賢明な判断だよ」
「これ、もしかしてショートの点数で優勝確定したから、無理しなかったってこと?」
「アクセル跳ばずに勝つのが、一番プロフェッショナルな選択だ。彼のキャリアはまだ長い」
「ショートの衝撃が強すぎたから、フリーはちょっと拍子抜けしたな」
SNS(X/旧Twitter)
トレンド:#氷室澄音 #5回転ルッツ #5Aは次の機会に
@FS_Fan123: 「ルッツ成功おめでとう!ショートの怪我が心配だったから、無理しないでくれてよかった。彼の決断を尊重したい」
@SkateMedia: 「氷室選手の選択は、彼のスケートが単なる技術の追求ではなく、選手生命を賭けた自己管理の戦いであることを示している」
@Analyst_Sports: 「氷室選手は、リスクとリターンを冷静に計算した。彼は、感情ではなく、勝利を選んだのだ」
@Jinpachi0815: 「澄音、ルッツ成功おめでとう!でも、なんかアイツ、悔しそうだったな。絶対にアクセルに挑みたかったはずや。今度は俺ももっと熱いスケート見せてやる!」
ニュース記事コメント欄
『氷室澄音、フリーは5回転ルッツ成功で優勝。5回転アクセルは次回に持ち越し』
「正直、アクセルを跳ばないことに少しがっかりした。でも、彼の決断は正しい。彼の才能は、もっと長いスパンで見るべきだ」
「彼が5回転アクセルを跳ばなかったことには、賛否両論あるだろう。しかし、彼の演技全体は、彼がどれだけ苦悩し、葛藤しているかを物語っていた」
「勝つために必要なジャンプを選んだだけだ。これまでのフィギュアスケートの歴史もそうだった。彼の選択は、フィギュアスケートの王道だ
監督:白鷺 玲子
澄音の演技を終え、彼はキス・アンド・クライに座っていた。得点が表示され、会場が沸き立つ中、私は彼の顔を見ていた。彼の表情からは、喜びや安堵とは違う、何か満たされないものが読み取れた。
「彼は、まだ、5回転アクセルを諦めていない」
私は、そう確信した。彼は、フリープログラムで5回転ルッツを成功させたが、それは彼が本当に挑みたかったジャンプではなかった。彼の選択は、勝利のための賢明な判断だった。だが、彼の心は、まだ、彼の夢を追い求めている。
世界ジュニア選手権の優勝を祝う記者会見で、私はマイクを握った。
「来シーズン、氷室澄音は、ジャンプを一切封印します」
私の言葉に、会場はどよめいた。天城コーチは、驚きを隠せずに私を見ていた。しかし、私は、この決断が、彼を、そして彼のスケートを、次の段階へと進めるための、唯一の方法だと信じていた。
コーチ:天城 碧
澄音が5回転ルッツを成功させ、優勝を決めた後、俺は奴の身体を徹底的にチェックした。膝、足首、腰。すべてが悲鳴を上げていた。このままでは、奴の選手生命は、あと数年で終わってしまうだろう。
記者会見で、白鷺監督が「ジャンプを一切封印する」と宣言したとき、俺は驚きを隠せなかった。俺は、奴のジャンプの才能を、誰よりも信じている。だが、俺は、奴の身体を守らなければならない。
俺は、奴に「跳べ。語るな」と教えた。だが、奴は、ジャンプを跳ぶことで、俺に痛みを語った。俺は、奴のジャンプを、もう、ただの技術として見ることができなくなった。
フィジカルコーチ:大隅 剛
澄音の身体は、限界を迎えていた。5回転ジャンプの衝撃は、俺の想像をはるかに超えていた。このままでは、奴の身体は、いつか壊れてしまうだろう。
監督が「ジャンプを一切封印する」と宣言したとき、俺は、彼女の決断に安堵した。それは、奴の身体を、そして彼のスケート人生を守るための、最も正しい判断だった。
俺は、奴に「跳べる身体は、語れる身体だ」と教えた。だが、奴は、その身体を犠牲にしてまで、何を語ろうとしているのだろうか。俺の言葉は、奴に届いているのだろうか。俺は、ただ、奴の身体が無事であることを祈るしかなかった。
氷上の静寂:未来への挑戦
世界ジュニア選手権が終わり、僕は日本に帰国した。空港で僕を待っていたのは、家族や友人ではなく、無数のメディアだった。僕の5回転ジャンプは、世界中に知られていた。
記者会見で、監督の白鷺さんが「来シーズンはジャンプを一切封印する」と宣言したとき、僕は驚きを隠せなかった。そして、同時に、僕の心は、静かに燃え上がった。
ジャンプを封印する。それは、僕の身体を休めるための、最も賢明な判断だった。だが、僕の心は、まだ満たされていなかった。
僕の頭の中には、まだ跳んでいないジャンプがあった。
5回転アクセル。
誰もが「不可能」だと言う、最後のジャンプ。
僕は、表向きはジャンプを控えるふりをしながら、裏でこっそりと練習を始めた。
コーチ陣がいない早朝のリンクで、僕は一人、ジャンプの練習を繰り返した。ジャンプ補助装置を使って、空中での回転感覚を身体に覚えさせる。着氷の衝撃に耐えるために、筋力トレーニングの負荷をさらに上げた。
僕は、来季の世界選手権フリープログラムで、ただ一度だけ、このジャンプに挑むことを決意した。
それは、僕のスケート人生を、僕自身の意志で、次の段階へと進めるための、最後のチャンスだった。
僕は、僕の身体を、僕自身の意志で動かす。
僕は、僕だけの物語を、この世界の舞台に刻み始める。
全日本ジュニア選手権での優勝後、僕の日常は一変した。メディアに取り囲まれ、僕のジャンプは、僕の知らないところで、どんどん大きくなっていった。そんな騒がしい日常から逃れるように、僕は、練習リンクにこっそりと通っていた。
ある日の早朝、僕は、一人で練習をしていた。静かなリンクに響くのは、僕のブレードが氷を削る音だけ。その静寂を、僕は愛していた。
その日、リンクに新しいスケーターがやってきた。彼女は、僕と同じくらいの年齢の、小柄な女の子だった。彼女のスケートは、僕のスケートとは、まるで違うものだった。
彼女は、ジャンプを跳ばない。
彼女の滑りは、まるで氷の上を舞う蝶のようだった。エッジを深く使い、優雅なスピンを繰り返す。彼女の演技には、僕の演技にない、余白があった。
彼女の名前は、氷華(ひょうか)。
彼女は、僕のスケートをじっと見ていた。そして、僕がジャンプの練習を終えた後、静かに僕に声をかけた。
「あなたのジャンプは、とても綺麗ね。でも、あなたの演技には、余白がない。観客の心に、余韻が残らない」
彼女の言葉は、僕の心を突き刺した。僕がずっと感じていた「空っぽな部分」を、彼女は一瞬で見抜いた。
「どうすれば、あなたのスケートのように、観客の心に、余白を残せるの?」
僕の問いに、彼女は微笑んだ。
「それは、ジャンプをしないことよ」
彼女の言葉は、僕のスケートのすべてを否定するかのようだった。しかし、僕は、彼女の言葉に、僕のスケートに足りないものを見つけた気がした。
僕のジャンプは、僕の孤独な戦いだった。でも、彼女のスケートは、観客との共鳴だった。
僕は、彼女のスケートに、そして彼女の言葉に、惹かれていった。彼女は、僕のスケートを、そして僕自身の心を、変えてくれるかもしれない。
これは、僕のスケートを、そして僕自身の心を、変えるための、新しい出会いだった。
全日本ジュニア選手権での優勝後、僕の練習環境は一変した。今まで使っていたジュニア専用のリンクではなく、シニアのトップ選手たちが集まる、より本格的なリンクでの練習を許されたのだ。
初めてそのリンクに足を踏み入れたとき、僕は、その場の空気に圧倒された。
リンクサイドには、僕がテレビで見ていた、世界で活躍する選手たちがいた。彼らの滑り、ジャンプ、すべてが、僕がこれまで見てきたスケートとは、まるで違うものだった。
彼らのスケートには、重みがあった。それは、彼らがこれまで積み重ねてきた努力、経験、そして、僕が知らない「痛み」が、すべて凝縮されたものだった。
僕は、そのリンクで、僕のジャンプが、ただの「技術」でしかないことを思い知らされた。
彼らのジャンプは、僕のジャンプと同じように、完璧だった。しかし、そのジャンプの後に、彼らの人生が、ドラマが、そして彼らの感情が、透けて見えた。
僕は、僕のジャンプが持つ「空っぽな部分」を、再び感じた。
僕は、彼らのジャンプを見て、僕のスケートに、もっと、もっと、たくさんのものを乗せなければならないと悟った。
このリンクは、僕にとって、単なる練習場所ではない。それは、僕が本当のスケーターになるための、新しい戦場だった。
全日本ジュニア選手権で5回転ジャンプを跳んで以来、僕の身体は、常に痛みと共にある。
毎朝、目が覚めると、まず感じるのは、膝と足首の鈍い痛みだ。まるで、関節にガラスの破片が詰まっているかのようだった。練習リンクに行く前には、フィジカルコーチの大隅さんの指導のもと、入念なストレッチとマッサージを行う。
「澄音、無理をするな」
大隅さんは、いつもそう言う。僕は、彼の言葉に頷きながらも、心の中では「無理をしなければ、あのジャンプは跳べない」と思っていた。
練習が終わると、アイシング、超音波治療、マッサージ。僕の身体は、毎日、メンテナンスを必要とした。ジャンプを跳ぶたびに、身体のあちこちが悲鳴を上げた。着氷の衝撃は、僕の身体のすべてを蝕んでいるかのようだった。
ある日、大隅さんに「このままでは、選手の寿命を縮めることになるぞ」と言われた。僕は、その言葉に、何も答えることができなかった。
僕は、僕の身体を犠牲にしてまで跳んだこのジャンプが、確かに誰かに届いたことを知った。
僕は、僕自身の人生を、僕自身の意志で動かすことができた。
だが、その代償として、僕は、この痛みを、一生背負っていくことを知った。
ネット上の評価:賛辞と憶測
全日本ジュニア選手権と世界ジュニア選手権での5回転ジャンプ成功以来、僕のネット上の評価は一変した。以前は「ロボット」「完璧だけど面白くない」といった声が多かったが、今は「氷上の革命家」「フィギュアスケートの未来」といった賞賛の声が圧倒的になった。
【ニュース記事】氷室澄音、来季はジャンプ封印へ。表現力に焦点を
「賢明な判断だ。彼の才能は、もっと長いスパンで見るべきだ」
「5回転ジャンプの衝撃は、彼の身体を蝕んでいる。無理はしないでほしい」
「でも、やっぱり寂しい。彼のクレイジーなジャンプが見られなくなるなんて」
「これも戦略だろう。ジャンプを封印して、演技構成点で勝負するつもりか?」
世界ジュニア選手権が終わってから、僕は、オフシーズンに入った。メディアやファンの目が落ち着き、僕は再び、静かな日常を取り戻した。でも、僕の心は、まだ静かではなかった。
夏。僕たちは、コーチや監督たちに連れられ、長野の高原にある合宿所に来ていた。そこには、僕が世界ジュニア選手権で戦ったライバルたちもいた。風間陣、アレクセイ・ミハイロフ、ノア・グリーン、キム・ハヌル。彼らは、僕と同じように、来るべきシーズンに向けて、身体を鍛えていた。
合宿は、朝から晩まで、フィジカルトレーニングの連続だった。走り込み、筋力トレーニング、体幹強化。僕の身体は、痛みで悲鳴を上げていた。でも、僕は、その痛みが、僕を、そして僕のスケートを、強くしてくれることを知っていた。
ある日、トレーニングの合間に、陣が僕に話しかけてきた。
「なあ、澄音。お前、ほんまにジャンプを封印するんか?」
彼の言葉に、僕は何も答えなかった。僕の心の中には、まだ跳んでいないジャンプがあった。
5回転ルッツ。
5回転アクセル。
僕は、彼の目をじっと見た。彼は、僕の目を見て、何かを察したようだった。
「やっぱりな。お前は、そういうやつや」
陣は、にやりと笑った。彼の笑顔は、僕の心を温かくしてくれた。
アレクセイは、僕のトレーニングを、冷静に観察していた。
「君は、ジャンプを封印すると言った。だが、君の身体は、まだジャンプを跳びたがっている。君の身体は、君の心に嘘をついている」
彼の言葉は、僕の心を突き刺した。僕の身体は、まだジャンプを跳びたがっていた。でも、僕は、僕の身体を、僕自身の意志で動かす。
ノアは、僕に話しかけてきた。
「Hey, buddy. You're getting stronger.(おい、相棒。強くなってるな) でも、無理はするなよ。君のスケートは、僕の知らないところで、観客を幸せにしているんだからな」
彼の言葉は、僕の心を温かくしてくれた。
キム・ハヌルは、僕の身体の動きを分析していた。
「あなたの身体は、ショートプログラムのダメージから回復しきっていません。5回転ジャンプは、あなたの身体を破壊してしまうかもしれません。しかし、あなたの心は、まだジャンプを求めている。あなたのスケートは、今、静けさに満ちています。その静けさが、あなたの次の挑戦への布石であることは、間違いありません」
彼の言葉は、僕の心を冷静に分析する。僕は、彼らと競い合うことを通して、僕自身のスケートを、そして僕自身の心を、さらに高めていかなければならない。
この夏は、僕にとって、ただのオフシーズンではない。それは、僕が本当のスケーターになるための、大きな試練だった。
夏の海外合宿を終え、僕は日本に戻ってきた。秋風が肌を刺す季節。地方予選を控え、僕は再び、日本のリンクで練習を始めた。
僕のジャンプは、封印されたまま。コーチ陣は、僕の身体を最優先に考え、ジャンプを跳ぶことを許さなかった。僕は、表向きはジャンプを控えるふりをしながら、裏でこっそりと練習を繰り返していた。
そんな僕の前に、新しいライバルたちが現れた。
まず出会ったのは、白峰朔。彼のスケートは、まるで氷の上を滑る影のようだった。ジャンプの前後に、彼はほとんど動かない。まるで、時間が止まったかのようだった。
「音じゃない。ジャンプとジャンプの間、ポーズで観客に語りかけるんだ」
彼はそう言って微笑んだ。僕の心を揺さぶったのは、彼の言葉だった。僕のジャンプは完璧な技術で満たされている。でも、彼の演技には、僕のジャンプにない「静止」があった。その静止が、観客の想像力を掻き立て、彼らの心に深く響くのだ。
次に、真壁照。彼のスケートは、まるで氷の上に建てられた建築物のようだった。ジャンプは、その建築物を支える柱。すべてが論理的に、整然と組み上げられていた。
「演技は、ジャンプ構成で語るものです」
彼の言葉は、僕の心を突き刺した。僕のジャンプは、完璧な技術で成り立っている。でも、僕の演技には、彼のような構成がなかった。僕のジャンプはただの「点」でしかない。彼の演技は、ジャンプの配置からステップ、スピンに至るまで、すべてが「線」でつながっていた。
そして、九条陸。彼は、僕の演技を完璧に模倣した。僕のジャンプスピード、ジャンプのタイミング、着氷の姿勢。すべてが、僕のスケートの鏡像だった。
「お前の着氷姿勢、俺がそっくり返してやるよ」
彼は、そう言って皮肉めいた笑みを浮かべた。彼の言葉は、僕の心を揺さぶった。彼は、僕のスケートのすべてを理解している。だからこそ、彼は、僕のスケートの空っぽな部分を、僕に突きつけたのだ。僕の着氷は、ただジャンプを跳び終えるためのものでしかなかった。
そして、朝霧悠真。彼のスケートは、まるで氷の上を吹き抜ける風のようだった。ジャンプの軌道、スピンの流れ。すべてが、風の流れに乗っているようだった。
「君のスピンやステップ、流れに逆らってる」
彼は、そう言って優しく諭した。彼の言葉は、僕の心を揺さぶった。僕のスケートは、完璧な技術で成り立っている。でも、僕の演技には、彼のような流れがなかった。僕のジャンプはただの「力」でしかない。彼の演技は、すべてが「流れ」でつながっていた。
僕のジャンプは、僕の孤独な戦いだった。でも、彼らのスケートは、僕に、僕のスケートの空っぽな部分を教えてくれた。僕は、僕のジャンプに、何を乗せるべきなのだろう。静止か、構成か、それとも流れか。
この秋は、僕にとって、ただのオフシーズンではない。それは、僕が本当のスケーターになるための、大きな試練だった。
ジャンプを封印された僕に残されたのは、ただ滑ることだけだった。それは、僕のスケートの空っぽな部分を、より鮮明に浮き彫りにした。ライバルたちの言葉が、耳から離れない。
「ジャンプとジャンプの間、ポーズで観客に語りかけるんだ」
「演技は、ジャンプ構成で語るものです」
「君のスピンやステップ、流れに逆らってる」
僕は、ジャンプ以外の部分で、彼らとの差を痛感していた。自分のスケートには、観客の心に響く「何か」が圧倒的に足りていない。技術はあっても、それをどう見せるか、どう表現するかが欠けているのだ。僕は、コーチに頼み込み、ジャンプ練習の代わりに、別のレッスンを受けることを決めた。
バレエレッスン
まずは、バレエレッスンだ。バレエの先生は、僕の体の使い方を根本から見直してくれた。
「フィギュアスケートは、ただ力強く滑るだけではないわ。つま先から指先まで、全身で音を奏でるように滑るのよ。特に、ジャンプの準備や着氷後、アームスが美しくないわね」
僕の腕は、ジャンプの補助のためだけに動いていた。しかし、バレエでは、指先まで意識して腕のラインを美しく見せることを求められる。最初はぎこちなかった動きが、少しずつ滑らかになっていく。鏡に映る自分の姿は、まるで硬い棒のようだった。それでも、先生の指導に従い、一つ一つの動きを丁寧に確認していく。
「美しいアームスは、ジャンプの入りと出を滑らかにし、演技全体に優雅さを与えます。氷の上で風を切る君の動きが、もっと雄弁になりますよ」
先生の言葉は、僕の心を揺さぶった。ジャンプのためだけに存在していた腕が、演技を豊かにするための重要な要素なのだと気づかされた。
ダンスレッスン
次に、ストリートダンスのレッスンも受け始めた。氷の上では感じることのできない、地面から伝わるリズム。インストラクターの鋭い動きに、僕は戸惑った。
「澄音、お前のスケートは全部が直線だ。もっと重心を低くして、リズムに乗れ」
僕はフィギュアスケートの教え通り、常に重心を高く保っていた。しかし、ダンスでは、体を自由自在に操り、音に合わせて重心を動かすことが求められる。腰を落とし、膝を柔らかく使い、上半身をリラックスさせる。最初は不格好な動きだったが、何度も繰り返すうちに、体が少しずつ音に馴染んでいくのを感じた。
「氷の上では、重力から解放される。でも、地面に足をつけて踊ることで、体の軸を強く意識できるんだ。それが、スピンやステップの安定につながる」
インストラクターの言葉は、僕のスケートの新しい可能性を教えてくれた。僕は、ただ氷の上を滑るのではなく、氷の上で「踊る」ことを学び始めたのだ。
新たな気づき
バレエとダンス、まったく異なる二つのレッスン。片や優雅な表現を、片や力強いリズムを学ぶ。それは、僕のスケートに、これまでになかった深みを与えてくれた。ジャンプの着氷後、自然と腕が伸び、指先まで意識が通うようになった。ステップでは、音楽に合わせて腰が柔らかく動き、一つ一つの動作にメリハリが生まれた。
ジャンプを封印されたこの秋。僕は、ジャンプ以外の部分で、僕自身のスケートを再構築していた。それは、ただの技術向上ではない。僕のスケートに、沈黙や構成、流れ、そして何よりも「表現」を乗せるための、大切な時間だった。
僕の孤独な戦いは、もう孤独ではなくなっていた。ライバルたちの言葉が、そして新しく出会った先生たちの教えが、僕のスケートを次のステージへと導いていく。僕は、この秋、本当のスケーターへと進化を遂げようとしていた。
終わらない秋:新しいプログラム
ジャンプ抜きのショートプログラムの通し練習の日。ライバルたちは、リンクサイドに集まっていた。僕の新しいプログラムを、彼らはどんな目で見るのだろう。緊張と期待が、胸の中で混ざり合う。
新しいプログラムは、僕のジャンプを封印した代わりに、僕の表現力を最大限に引き出すために作られたものだ。バレエで学んだアームスの美しさ、ダンスで習得したリズム感を、プログラムの隅々まで散りばめた。
音楽が流れ始める。僕は、氷の上に立つ。
ライバルたちの視線
白峰朔は、僕の演技を静かに見つめていた。彼のスケートは「静」の演技。僕の新しいプログラムには、彼が教えてくれた「静寂」があった。ジャンプの代わりに、滑らかなエッジワークから、ピタリと止まるポーズ。その「間」が、観客の心に語りかける。僕の演技を見た朔は、静かに目を閉じて、その「間」を味わっているようだった。
「…いいポーズだ。ただの静止じゃない。次への呼吸になっている」
真壁照は、僕の演技を分析するように見ていた。彼のスケートは「構成」の演技。彼は、僕のジャンプ抜きのプログラムが、どのように組み立てられているか、その論理的な構造を見抜こうとしている。ジャンプという「点」がなくなったことで、スピンとステップがプログラムの「線」として、より強く繋がっていた。
「ジャンプという柱がなくても、演技全体が崩壊していない。…むしろ、ステップとスピンが、プログラムをしっかり支えている」
九条陸は、いつもの皮肉めいた笑みを浮かべていた。彼のスケートは「模倣」の演技。彼は、僕の演技を鏡のように映し出すことで、僕の空っぽさを突きつけてきた。だが、今の僕の演技は、もはや彼には模倣できない。なぜなら、そこには僕自身の「表現」が詰まっているからだ。
「ちぇ、なんだよそれ。見慣れた澄音のスケートじゃねーじゃん。…着氷姿勢がないのに、こんなにきれいに見えるなんてな」
朝霧悠真は、僕の演技に優しく目を向けていた。彼のスケートは「流れ」の演技。僕は、彼の教えに従い、氷の上を流れるように滑っていた。体の軸を意識し、音楽に合わせて重心を動かす。一つ一つの動きが、淀みなく繋がっていく。
「素晴らしい、澄音。君のスケートは、もう風に逆らってない。むしろ、風を味方につけているようだ」
練習を終えて
演技を終えると、僕は少し息を切らしながら、リンクサイドに滑っていく。ライバルたちの視線が、僕に注がれていた。彼らの反応は、僕の予想を超えていた。
「澄音、お前のスケートは変わったな。強さだけじゃない、美しさがある」
「ああ、ジャンプがなくても、こんなに人を惹きつけられるんだな」
彼らの言葉が、僕の心を温かく満たしていく。ジャンプを跳べないという絶望が、僕を新しいスケーターへと導いてくれた。僕は、この秋、ジャンプという「武器」を失った代わりに、表現力という「翼」を手に入れたのだ。
「…ありがとう。僕のスケートに、何を乗せるべきか、少しわかった気がする」
僕の孤独な戦いは、もう孤独ではなく、仲間たちとの新しい旅へと変わろうとしていた。
僕は、仲間たちの言葉に、胸の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
「ありがとう」
僕はそれ以上、言葉が出なかった。僕のスケートを、僕の孤独な戦いを、彼らは見ていてくれた。ジャンプを封印された絶望が、僕を彼らとの新しい関係へと導いてくれたのだ。
その日の練習後、僕たちはリンクサイドのカフェに集まった。いつもは一人で黙々と練習し、すぐに帰路についていた僕が、初めて彼らと向き合って座っていた。
「澄音のスケート、本当にすごかった。ジャンプがない方が、かえってプログラムが引き立つって、皮肉なもんだね」
九条陸が、相変わらず皮肉っぽい口調で言う。だが、その言葉に悪意はなかった。
「僕のスケート、模倣できる?」
僕は、陸に問いかけた。彼は少し驚いた顔をして、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
「さあな。お前のスケートは、もう鏡じゃ返せない。お前の感情が、そこに詰まってるからな」
彼の言葉に、僕は静かに微笑んだ。それは、僕が欲しかった答えだった。
真壁照は、僕の演技を頭の中で反芻しているようだった。
「ジャンプという、物語の『クライマックス』がない。だが、その代わりに、ステップとスピンで物語の『起承転結』がより明確になっていた。新しい形式だ。興味深い」
彼の分析的な言葉に、僕は頷いた。僕の演技は、もはやジャンプという一つの「点」ではなく、プログラム全体が繋がった一つの「線」になったのだ。
朝霧悠真が、温かい紅茶を僕に差し出してくれた。
「君のスケートは、硬かった。風に逆らって、力だけで進もうとしていた。でも、今日の君は、まるで風に乗る鳥のようだった」
彼の言葉は、僕の心に優しく染み渡った。力だけでなく、流れに身を任せること。それは、僕のスケートを、より自由に、より雄弁にしてくれた。
白峰朔は、最後まで何も言わなかった。ただ静かに、僕の隣で紅茶を飲んでいる。だが、彼の静けさが、僕の心を最も揺さぶった。彼の「語り」は、言葉ではなく、そこにいるだけで伝わってくるものだった。
僕のジャンプは、僕の孤独な戦いだった。それは、僕のスケートを、ただの「技術」に閉じ込めていた。だが、彼らが教えてくれたのは、スケートは、一人で跳ぶものではないということ。僕の「語り」は、彼らとの出会いによって、初めて観客に、そして彼らに届くようになったのだ。
ジャンプを失った秋。僕は、ジャンプを跳ぶこと以上に大切な、「語り」の本当の意味を見つけ始めていた。そして、僕の孤独な戦いは、彼らとの新しい旅に変わろうとしていた。
季節は、いつの間にか冬になっていた。張り詰めた空気の中、地方予選の会場に足を踏み入れる。リンクに立つと、ジャンプを跳ばないという選択が、僕の心を静かに満たしていくのを感じた。僕のジャンプは、僕だけの孤独な戦いだった。だが、今の僕のスケートは、僕の心を、そして僕が見つけた「語り」を、観客に届けるためのものだ。
ショートプログラム
音楽が流れ始める。振付師の月影透先生が僕に教えてくれた、ジャンプの後に残る「影」。その「影」を、ジャンプがないプログラム全体で表現する。
僕は、最初のジャンプの場所に、静止した。
その「間」が、観客の心を掴む。
ジャンプという「点」がない代わりに、僕のスケートは、エッジワークとステップ、スピンで繋がった一本の「線」になった。バレエで学んだアームスは、音に合わせて優雅に宙を舞い、ダンスで習得したリズムは、僕のステップに生命を与えた。
観客は、静かに僕の演技を見守っていた。ジャンプがないことに戸惑う声も聞こえるが、僕のスケートが持つ新しい「語り」に、彼らの心が揺れているのがわかる。演技を終え、僕は静かにフィニッシュポーズを取った。
「…ジャンプがないのに、どうしてこんなに引き込まれるんだ」
「彼のスケートは、まるで氷の上で描かれた詩のようだ」
そんな観客の声が、僕の心に温かく響いた。
フリープログラム
ショートプログラムを終え、僕はフリーのリンクに立った。フリーは、ショートよりも長く、僕の「語り」をより深く表現できる。
音楽は、穏やかなメロディから、徐々に力強さを増していく。僕は、氷の上に、僕の感情のすべてを注ぎ込んだ。ジャンプがない代わりに、僕はスピンの回転数で語りの速度を表現し、ステップで語りの起伏を描いた。
演技の終盤、僕は、四回転ジャンプを跳ぶ予定だった場所に、三回転スピンを入れた。そのスピンは、まるで嵐のように激しく、そして美しかった。スピンを終え、僕は静かにリンクの中央に立った。
僕は、ジャンプを跳ばないという選択が、僕のスケートに、そして僕自身に、新しい世界を教えてくれたことに気づいた。僕の孤独な戦いは、もう孤独ではない。僕のスケートは、僕だけの「語り」ではなく、観客と、そして僕を支えてくれる人々と、繋がるためのものになったのだ。
フィニッシュポーズを終えた瞬間、観客席から、今日一番の大きな拍手が送られた。それは、僕のジャンプへの拍手ではない。僕のスケートに、僕の「語り」に、心を動かされた観客の拍手だった。
「語りは、跳ぶことだけじゃない。語りの余白にこそ、真の感動が生まれる」
僕は、心の中で、アミール・ナセルの言葉を反芻していた。ジャンプを封印した僕のスケートは、彼らが教えてくれた、僕だけの「語り」の探求の旅だったのだ。
ジャンプを失った僕のスケートは、観客の心に、そして審判の心に、何を響かせたのだろうか。
「革命」か「暴挙」か
ネット上は、僕の演技を巡って二分されていた。
ファンサイトA (氷室澄音応援アカウント)
速報!氷室澄音選手、地方予選でジャンプ完全封印のSP&FSを披露!
ジャンプがなくても、こんなに感動できるなんて!スピンもステップも、今まで見たことないくらい雄弁だった。これは革命だ…! #氷室澄音 #フィギュアスケートの革命
フィギュアスケート掲示板B
Re: 氷室澄音の演技について
は?ジャンプなしとか、ふざけてるの?地方予選だからって、舐めすぎだろ。
怪我のせいだろ。無理に跳んで選手生命終わるよりマシ。でも、ジャンプなしで勝てるほどフィギュアは甘くない。
いや、でもなんか凄かったのは確か。技術点はないけど、演技構成点が異常に高かった。新しいスケートの形かもしれない。
はっきり言って茶番。ジャンプを跳ばないなら、それはもう競技じゃない。自己満足の芸術ごっこ。
ライバルたちの言葉
そんな騒動の中、海外のライバルたちのSNSアカウントも僕の話題に触れていた。
イリヤ・マリニンJr.
イリヤ・マリニンJr. 🇺🇸🇷🇺
@ilmalinin
今日の彼の演技は興味深い事例研究だ。ジャンプという変数を排除することで、彼は語りに対する制御を最大限に高めた。数理的には、理にかなった選択だ。問題は、跳躍なしで語りを継承できるか、だ。
ルカ・フェルナンデス
ルカ・フェルナンデス 🇪🇸
@luka_fdez
おい、炎はどこだ!?演技はクールだったけど、燃えていなかったぞ。澄音、スケートは爆発しなきゃダメだ!オレたちのために跳べ!あの炎を待ってるぜ!
ジャン=リュック・モロー
ジャン=リュック・モロー 🇫🇷
@j.l.moreau_skate
ああ、澄音。君の演技は……繊細だね。ジャンプの不在がある種の優雅な哀愁を際立たせていた。だが、力の伴わない優雅さは、ただ脆いだけだ。その脆さが、世界の舞台に耐えられるか、見せてもらおうか。
地方予選を終え、僕はそのまま全日本選手権への出場を決めた。ジャンプなしの演技が物議を醸し出したけれど、それは僕のスケートを定義するための、重要な一歩だった。ネットの喧騒も、ライバルたちの声も、すべては僕の「語り」を、さらに深く研ぎ澄ませるための糧となった。
僕は、ジャンプ練習の代わりに、バレエやダンスのレッスンに、より一層の時間を注ぎ込むことにした。
バレエレッスン:身体の詩を学ぶ
バレエのレッスンでは、僕は鏡と向き合う。
「つま先、指先まで意識して。氷の上では見えないけれど、この指先から生まれる繊細な線が、あなたの『語り』になるのよ」
先生は、僕の腕の動きを一本一本、丁寧に直していく。ジャンプを跳ぶための補助でしかなかった腕が、今では、音楽を奏でる楽器のようになった。完璧な技術で身体を制御するのではなく、感情を乗せて身体を解放する。バレエは、僕に、身体で詩を紡ぐ方法を教えてくれた。
ストリートダンスレッスン:地面から生まれるリズム
ストリートダンスのレッスンでは、まるで別人のようになる。
「お前のスケートは、まだ重心が高い。もっと地面に潜り込め!重力と語り合え!」
インストラクターの熱い言葉に、僕は腰を落とし、膝を柔らかく使って、音楽に合わせてリズムを刻む。氷の上では感じられない、地面から直接伝わる振動。それは、僕のスケートに、これまでになかった力強いグルーヴを与えてくれた。フィギュアスケートの優雅さと、ストリートダンスの荒々しさ。相反する二つの要素が、僕の中で化学反応を起こし始めていた。
新たな気づき:二つの語り
バレエで「静」の表現を、ダンスで「動」の表現を学ぶ日々。僕は、ジャンプを跳ばなくても、身体全体で「語り」を紡げることを知った。
バレエのレッスンで、僕はジャンプへのアプローチを見つけた。ただ跳ぶのではなく、跳ぶ前の準備、そして着氷後の余韻を、バレエのように繊細に、美しく表現する。
ストリートダンスのレッスンで、僕はジャンプの真髄に触れた。ジャンプは、ただの高得点技ではない。それは、すべてのエネルギーを一点に集め、爆発させる「語りの爆発点」なのだと。
ジャンプを封印した僕のスケートは、もはや「ジャンプがない」という欠点ではなかった。それは、僕の「語り」を再構築するための、必要な空白だったのだ。
全日本選手権のリンクで、僕はジャンプを跳ばない。だが、僕のスケートは、バレエの優雅さとストリートダンスの力強さ、そして僕自身の魂を乗せて、観客の心に届くはずだ。この冬、僕は、僕だけの「語り」を完成させる。
全日本選手権のリンクに立つ日を、僕は静かに待っていた。
地方予選での演技を終えてから、僕の心は、ずっと揺れ動いていた。ジャンプを封印した僕のスケートは、たしかに観客に届いた。バレエで培った優雅さと、ダンスで得た力強さ。ジャンプがなくても、僕はスケートで「語る」ことができた。
だが、心の奥底には、ジャンプを跳びたいという、抑えきれない衝動が渦巻いていた。
ジャンプは、僕のスケートの原点だ。ジャンプを封印したことで、僕は表現力を手に入れた。だが、ジャンプという「語りの爆発点」を失ったままでは、僕のスケートは完成しないのではないか。
ネットでの喧騒も、僕の心をさらに揺さぶった。
ルカ・フェルナンデスの言葉が、耳から離れない。
「おい、炎はどこだ!?演技はクールだったけど、燃えていなかったぞ。澄音、スケートは爆発しなきゃダメだ!」
僕のスケートには、ルカのような情熱が、そしてジャンプが持つ爆発的なエネルギーが、圧倒的に欠けていた。
全日本選手権の公式練習。
僕は、スピンとステップの練習を黙々とこなしていた。視界の端に、コーチの天城碧の姿が映る。
彼は、僕のジャンプ封印の決断に、最後まで反対していた。技術至上主義の彼にとって、ジャンプをしないスケートは、もはやスケートではなかったのだろう。
僕が練習を終え、リンクサイドに戻ると、天城コーチが静かに僕に声をかけた。
「澄音。お前はジャンプなしで語れるようになった。それは、俺が教えた技術だけじゃなく、お前自身が見つけた『語り』だ」
彼の言葉に、僕は驚いて顔を上げた。
「だがな、お前の『語り』は、まだ完結していない。足りないんだ。…お前は、本当にジャンプを捨てるのか?」
彼の言葉は、僕の心を深く抉った。僕は、ジャンプを捨てたわけではない。ジャンプを封印することで、語りを再構築しようとしていた。
その瞬間、僕の心に一つの閃きが走った。
「そうだ。僕は、ジャンプを捨てるんじゃない。ジャンプを、僕の『語り』の一部として、再定義するんだ」
僕は、コーチ陣の前に立った。
「全日本選手権、ショートプログラムの構成を変えたいと思います」
天城コーチが、鋭い目で僕を見た。
「ジャンプを、一本だけ入れます」
白鷺玲子監督が、静かに頷いた。
「どのジャンプを?」
僕は、深く息を吸い込んだ。
「トリプルアクセルです」
僕の言葉に、コーチ陣の間に沈黙が流れた。トリプルアクセルは、ジャンプの中でも特別な意味を持つ。前向きに踏み切り、空中で3回転半を回る、フィギュアスケートの王道のジャンプだ。
大隅剛フィジカルコーチが、熱い口調で言った。
「跳べる身体は、語れる身体だ。お前の身体は、今、最高の状態にある。跳べ!」
美空茜メンタルコーチが、柔らかく微笑んだ。
「ジャンプは、澄音くんの心を映す鏡です。空白を恐れず、跳んでみましょう」
天城コーチは、何も言わなかった。ただ、僕の目をじっと見つめていた。その瞳には、懐疑ではなく、僕への絶対的な信頼が宿っているように見えた。
僕は、トリプルアクセルを跳ぶことに決めた。
一本のジャンプが、僕のスケートに何をもたらすのか。それは、単なる技術点のためではない。僕がこの旅で見つけた「語り」を、氷上で完結させるための、最後のピースだった。
僕は、ジャンプを封印したのではない。ジャンプという「語り」の爆発点を、僕自身の意思で選び取ったのだ。
全日本選手権の会場に足を踏み入れる。ジャンプを封印すると公言していた僕が、一本だけトリプルアクセルを跳ぶ。その決断は、すでにメディアやファンの間で大きな話題になっていた。無謀な挑戦だと批判する声も、僕のスケートに革命を期待する声も、すべてが僕の心に重く響く。
リンクに立つ。張り詰めた空気の中、ライバルたちの視線を感じる。
エリオット・グレイの静かで重い眼差し。彼は、僕の演技に「音が多すぎる」と指摘していた。
キム・ソンジェの、すべてを分析するような論理的な視線。彼は、僕のプログラムに「構造が破綻している」と告げるだろう。
僕のトリプルアクセルは、彼らの「語り」に、どう映るのだろうか。
ショートプログラム:『語りの空白』
音楽が流れ始める。
プログラムのタイトルは『語りの空白』。ジャンプを跳ばないことで生まれた「空白」に、僕が何を表現できるか。その答えを、たった一本のジャンプに込める。
まずは、ジャンプのない演技からだ。
バレエで磨いたアームスが、音楽に合わせて優雅な弧を描く。ストリートダンスで身につけたリズム感が、ステップワークに力強さと躍動感を与える。僕は、ジャンプを跳ばないことで、身体の隅々まで意識を張り巡らせるようになった。観客は、僕の流れるようなエッジワークと、一瞬の静止に息をのんでいる。
僕の演技には、もはや「完璧すぎる」という言葉では形容できない、複雑な感情が宿っていた。それは、ジャンプを失った絶望、それでもスケートを続けた情熱、そして僕を支えてくれた人たちへの感謝。
そして、音楽がクライマックスに向かう。プログラムの後半、トリプルアクセルの跳躍位置に差し掛かった。
トリプルアクセル:語りの爆発点
僕は、前向きに踏み切った。
空中で、3回転半。
これまでのジャンプは、ただの技術だった。回転数や軸の傾き、着氷の姿勢。それらを完璧に制御することだけを考えていた。
だが、今の僕のジャンプは違う。
空中で、時間が引き伸ばされたように感じた。
アミール・ナセルの「語りとは、跳ぶことなのか?」という問いが、僕の脳裏をよぎる。
ルカ・フェルナンデスの「語りは、燃え尽きるまで跳ぶもんだ!」という挑発が、僕の胸を熱くする。
僕は、この一本のジャンプに、これまでの僕のスケートのすべてを乗せた。
ジャンプの軌道に、バレエで学んだ優雅さを。
回転の速度に、ダンスで得た力強さを。
そして、ジャンプを跳ばないことで見つけた、僕自身の「語り」を。
着氷の瞬間、僕は、これまでに感じたことのない感覚に包まれた。
完璧な着氷。僕のジャンプに、歓声が沸き起こる。
だが、その歓声は、単なる技術への賞賛ではなかった。それは、僕がトリプルアクセルという「語りの爆発点」を通して、観客の心に語りかけたことへの、共鳴だった。
僕は、フィニッシュポーズを終え、静かに氷の上に立つ。
この一本のトリプルアクセルは、僕のスケートの歴史に、新しい一ページを刻んだのだ。
氷上の反応:語り手の共鳴
僕がフィニッシュポーズを終えた瞬間、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。だが、僕の視線は、リンクサイドのライバルたちに向けられていた。彼らの「語り」を通して、僕の挑戦がどう映ったのかを知りたかった。
語りの沈黙者:エリオット・グレイ
エリオットは、僕の演技が始まる前から、ずっと静かに立っていた。彼のスケートは、僕のトリプルアクセルのような「音」を拒絶する。「語りは、語らないことで響く」という彼の言葉通り、彼は演技の隙間に沈黙を刻む。だが、僕のトリプルアクセルを見た彼の眼差しは、静かで重いままだった。
「…無駄な音が消えた」
エリオットは、そう呟いた。僕がジャンプを跳んだのに、彼は「音が消えた」と言った。これまでの僕のジャンプは、ただの高得点のための「雑音」だったのだろう。だが、今日のトリプルアクセルは、僕の「語り」を伝えるための、たった一つの音だった。その音に、エリオットは僕の静寂を感じ取ってくれたのだ。
語りの構築者:キム・ソンジェ
キム・ソンジェは、僕の演技を最初から最後まで、冷静に分析していた。彼のスケートは、すべてが論理的に構築された「建築物」だ。彼の視点から見れば、ジャンプを一本だけ入れた僕の構成は、無謀な実験に過ぎないはずだった。
「澄音くん。君は、一つのジャンプで、プログラムの構造を再構築しました」
彼は、淡々とした口調で言った。僕がトリプルアクセルを跳んだ瞬間、それまでジャンプがないことで成立していた僕の「語り」は、一度崩壊した。だが、その崩壊の後に、トリプルアクセルが新しい柱となり、僕の「語り」はより強固なものとして再構築された。キムの言葉は、僕の直感を、確信へと変えてくれた。
語りの美学者:ジャン=リュック・モロー
ジャン=リュックは、演技が終わった後も、優雅な仕草で僕を見つめていた。彼のスケートは、着氷の余韻に「美」を込める。僕のトリプルアクセルは、彼が求める「美学」とはかけ離れた、力任せなジャンプに見えるはずだった。
「まさか、君がトリプルアクセルで、あんな余韻を表現するなんてね」
彼は、皮肉交じりの笑みを浮かべた。僕のジャンプは、ただの高さを追求するだけのジャンプではなかった。空中での回転速度、着氷時の姿勢、そして着氷後の流れるような動き。そのすべてが、僕の「語り」の余韻となっていた。彼の言葉は、僕の新しいジャンプが、美しさをも内包していることを教えてくれた。
語りの継承者:イリヤ・マリニンJr.
イリヤは、誰よりも早く僕の演技に反応した。彼の「語り」は、父から受け継いだ技術を、さらに上の次元へと引き上げる「継承」だ。僕のトリプルアクセルは、彼のジャンプに比べれば、技術的には劣る。だが、彼が僕のジャンプに見出したものは、技術だけではなかった。
「君の語りは、空中で完成した。僕たちは、まだ空中で探しているというのに」
彼の分析的な口調に、僕は驚いた。彼らは、5回転ジャンプという未踏の領域を、数学的な探求として捉えている。だが、僕は、トリプルアクセルを、僕の「語り」の完成形として表現した。彼は、僕のジャンプが、単なる技術ではなく、僕自身の魂を乗せた跳躍であることを理解してくれたのだ。
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