33 不死か、そうでないか
リベラの提案で、大きな街には向かわないことにした。この赤い鞘の短剣は人が多い場所に持っていくのは不向きだ。
そこそこの規模の村か里で、冒険者ギルドか神殿の評判が高いところがちょうどいい。短剣の鑑定と保管を依頼するのを目的にした。
「リベラ、ふらふらしてるよ。気分が悪い?」
「……。そうですね。暑さのせいかもしれません」
僻村を発ってからは丸七日ほどが経っている。途中の小さな村で噂を聞いて、新たな里に到着した。
周辺に広い畑を擁していて、交通の要所ではないのにそれなりに発展している。こういう場所では神殿の力が強い。
「宿をとって休んでからにする?」
「いいえ。早く解決できるほうがいいでしょう」
もう解呪の奇跡は使っていないのに、リベラの体調が思わしくない。多分短剣のせいだと思う。
「わかった。神殿で見てもらおう」
「――ええ」
いつもより一息遅れた返事。心配でたまらなくなる。腕を組んでリベラの足取りが少しでも楽になるようにした。
――汗をかいていて、指先が冷たい。やっぱり体調が悪いんだ。
「いくらでも寄りかかっていいからね」
「ありがとう……、存じます」
胸の奥がざわざわする。
里の中心部にある広場に面する、大きな神殿にたどり着いた。
不思議なことに神殿に入るとリベラの体調が少し安定したみたいだった。この神殿の神様は旅の神様とは違うみたいだけれど。
「――鑑定するのはこちらの魔法具ですね。短剣でしょうか」
神殿の奥から銀髪で碧眼の神官が現れて、私たちの対面に座った。まだ若い女の神官。肩くらいまでの髪と印象的な翠の瞳。
赤い鞘の短剣を机に置いて見せている。
「グウェンと申します」
「風と旅の神を奉じております。リベラです。こちらの方は、わたくしの護衛のマノリア様」
神官二人の名乗りに合わせて私も目礼した。
グウェンという若い神官の視線には遠慮がなかった。私とリベラをしっかり見据えて、それから短剣も見る。検分しているという姿勢を隠さない。
「――なかなか厄介な品のようですね」
「それは、どのようにでしょうか」
リベラが警戒しているのがわかる。
机の下で私の手を握ってくれた。
長机を挟んで私とリベラが座っていて、その対面にグウェンが座っている。
「この魔法具は、恐らく聖なる属性のものです」
「……?」
赤い鞘の短剣を手に持ったグウェンが聖句をつぶやいた。小さな光を放つ奇跡が顕現するが、短剣の鞘がそれを吸ってしまう。
「あ……。吸収してる」
「はい。その通りです。マノリアさん」
「この短剣は神の奇跡を糧としています」
リベラの解呪の効果が無かったのはそのせいだろう。
「恐らく“聖属性の呪い”がかかっているのでしょう」
「そんなものが存在しうるのですか」
「私にも信じ難いですが」
リベラとグウェンがいくつかの議論を交わす。
私にはよくわからなかったけれど、二人は納得して一応は意見を一致させたらしい。
それからはこの神殿で短剣を保管してもらう手続きや書類作りを進めていく。その合間合間にこっそり握り返したリベラの手はまだ少し冷たい。
――書類作りがあらかた終わった頃だろうか。
「……あなた、“視えて”いますね」
唐突にグウェンがリベラに向かって言った。薄い笑み。
「それは、あなたもでしょう」
リベラが返す。
「……?」
私は置いてきぼりだ。でもなんとなく丁々発止のやりとりだということはわかる。神官同士の。
リベラの色のない瞳。グウェンの翠玉の瞳の奥の深い影。
「隠しても仕方ありませんね。わたくしには“呪い”が視えます」
「やはり……そうですか。私に視えるのは“不浄”です」
呪いが見えるのはリベラ。色が付いて。だから私を見つけてくれた。
グウェンの瞳の奥は――今はリベラと同じように色を喪くしていた。喪ったぶん得るものがあるのはこの世界の理だ。
このグウェンという神官には不浄が。不死者が。死なずの邪法が視える。きっと嘘じゃない。大きな里の神殿の若い女神官。秀でていなければ務まらない。
「……グウェン、変なことを聞いていい?」
「何でしょうか、マノリアさん」
「不浄なものは、この部屋にある?」
「…………」
グウェンが逡巡したのがわかる。どうしてそんなことを聞かれたのかわからないという表情。私とリベラを交互に見て。それから答えてくれた。
「ありませんよ」
「――――」
心の中で大きく息を吐いた。
実はほとんど泣きそうになっていたかもしれない。
「だけど安心しないでくださいね。不死者どもの不浄は決して許されない、病原は尽く清浄に根治されるべきもので――」
グウェンのお説教を途中で遮るのは大変だったけれど、ともかく私たちは短剣を神殿に預けることができた。
のどかで広い里。宿をとって、リベラと二人で落ち着いている。
「体調は平気?」
「まだ少し……。けれどだいぶ復調いたしました」
「よかった」
聖なる呪い。そんなもの聞いたことがない。けれどもしかするとその特殊さがリベラの力を奪っていたのかもしれない。
「ごはんは? 食べられる?」
「今日はあまり……」
「わかった。お粥を作れないか宿の人に聞いてくる」
宿の人にお伺いを立てて部屋に戻って、それからどこかぐったりしているリベラをベッドに横たえた。
ヴェールや装身具も外してしまってなるべく楽になるように。
「……ありがとう存じます」
ベッドに横たわっているリベラ。そのすぐそばに椅子を持ってきて、私はぼんやりと見下ろしている。
細く長い息を吐く。
リベラにふれたい。
――ふれたいし、ふれていいんだ。
でもこれは私の中だけの納得だった。リベラにもわかるようにちゃんと伝えないと。
「……今日は、何を想ったのですか?」
「あ……」
横たわりながら。リベラの優しい微笑み。
私が話したいことを知って。
「あのね」
「はい」
「……あのね……、」
「……はい」
言葉を紡げずにいるとリベラが手を握ってくれた。体がつらいのはきっとリベラのほうなのに。
「私、汚れてなかった」
「……?」
「一度死んだつもりだった。でも呪いはあっても、不浄じゃなかったんだね」
「ああ――」
リベラが頷く。
不浄を視るグウェンの目は、呪いを視るリベラの目と同じくらい精確な天性のものだろう。あの子が無いと言ったんだから、私の魂は不浄に晒されてはいない。
私が死ぬ情景は私の魂に刻まれているけれど、不死の力は得ていない。
あれは幻か。それとも――とにかく。
「私のせいでリベラを汚したくなかった」
「そんなことを気にしていたんですね」
リベラが微笑んだ。
「――おいで」
覆いかぶさって抱きついた。
それから――。
「さわりたい」
「……はい」
深いくちづけを。
唇をななめにして合わせて。深く抱きしめて。
はぁ、はぁ、というリベラの吐息が耳のすぐそばで聞こえる。
私の本能が訴えかけてくる。
私が、大好きな、この獲物は、今体調が悪く、弱っている。
絶好の――。
「……っ」
我慢するのに意識を総動員した。肌の感覚に号令をかけて向きを揃えて、ただ抱きしめるだけに留める。
今これ以上の約束をしたらだめになる。ただ優しく、優しく、優しく。
けっして牙を立てないように。仔猫すら起こさないように。
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