17 わたくしに視えるもの

 夜の、誰もいない礼拝堂。

 燐光がわたくしたちを導きます。


 神殿の地下。招かれるままに降りていきました。


「死臭がする」


 不死者たちが持つ空気と同じものが神殿の地下に満ちています。

 壁や床には魔法陣らしき紋様が。


 マノリア様が剣を抜きました。飾り気のない直剣。片手に持って。もう片手には逆手で短剣を。


「来たよ」


 マノリア様が暗闇に向かって呼びかけます。夜目の効く紫の瞳が微かな燐光を反射しています。


 暗闇の向こう。

 動く気配。

「――ようこそ」


「名前を聞いてなかった」

「司祭のアゴタと申します」

「私はマノリア。アゴタ、あなたの呪いをこの世界から消してしまいたい」


 嗤った気配がしました。


「どうぞ。できるものなら」


 マノリア様がまっすぐに奥へと駆けていきました。

 刃鳴一閃。

 魔法の燐光とは異なる、金属がぶつかったときの輝きが地下のこの部屋を明るくします。


 二閃、三閃、四五六。


 どうやら女司祭――アゴタも剣を手にとっているようです。


「アゴタ、あなたの望みは何?」

「時間が経ちすぎました」


 暗闇の中、蝋の肌に黒い血が。琥珀の瞳。呪いの色だけがわたくしにも視えます。


「そう――。寂しいね」

「あなたにはわかりません」


 ですから、マノリア様とアゴタの剣戟なら視えるのです。


 マノリア様が自在に剣を操って斬りかかり、アゴタは手にした呪いの剣でそれを受けているようでした。


 剣の技術だけなら明らかにマノリア様が上です。アゴタは防戦一方で――けれど正確でした。呪いの剣はそれ自体が意志を持っているかのように動き、アゴタの四肢を強引に引っ張ってマノリア様の剣を受けさせている。


 アゴタはほとんど剣に振り回されているだけだけど、それでいて隙はありません。


 延々と繰り返される剣戟。

 どれだけ続いたのでしょう。

 部屋のなかには死臭のほかに、金属が灼ける匂い、そして血の匂いもかすかに漂い始めます。二人の刃の応酬の結果。


 更に応酬が続いてから、一瞬、マノリア様に緊張の途切れが見えました。まだ体力には余裕があるでしょうが、この剣戟をどこまで続ければよいのかという惑いが出たのでしょう。


「ひとつ」

「……っ」


 紫雲のような呪いの力が、態勢を崩したマノリア様を覆います。わたくしの祝福の力が白銀に輝いてそれを跳ね除けました。悪影響を受けることはないはず。


「まだ……あとふたつほどですか?」

 問われたマノリア様が長剣と短剣をそれぞれ構えます。


「やってみるといい。答えはわかるから」

「良い……。ええ、ええ。良いですよ」


 今度は暗闇のなかでも嗤っているのがはっきりと見えました。

 アゴタの呪いの力は強大で、わたくしの祝福では確かにあと二回抗するのが精一杯でしょう。

 神は公平ではありませんが平等なのです。


「あなたはなぜこの街にいるのですか」

 わたくしの問いかけにもアゴタは嗤います。


「古い盟約で」

 その言葉に嘘はないでしょう。また、十分に吟味された言葉だとも思いました。

 まるで、自ら何度もその問いに応えてきたかのような。その問いを内面化したような。それ以上もそれ以下もない説明。


 話すアゴタにマノリア様が斬り込んでいっても、剣には関係がない。その手と体はただ呪いの剣に操られるがまま動いているのでしょう。


 いずれにせよわたくしの言葉は不要でした。


 刃に刃が当たり甲高い音が鳴ります。

「――――ッ!」

 マノリア様が声なき声で獣人族の膂力を発し、呪いの剣を弾き飛ばそうとしました。


 しかしアゴタの手は剣を離さない。一瞬、指と肘の腱がむき出しになり鮮血が散りました。それでもすぐに回復して剣を握り直し、人の体の構造ではありえない荒ぶる反撃を閃かせる。


「く……っ」

 押し込まれたマノリア様を紫雲の呪いが襲います。まだ払うことはできるけれど――これでもうあと一度しか。


「私には、わからない」

「ええ。あなたにはわかりません」

「でもわかってほしい。そうでしょ。それが呪いだから」

「……痴れ者が」


 直剣が闇の中で閃いて、呪いを押し返します。

 純粋な金属と俊敏さが混濁する魔法と奇跡を退けようと、火花を幾度も。

 マノリア様の剣が呪いの剣の返しに適応し、上回り始めています。


 甲高い音、音、音、そしてオオカミがうなるような声。二人の長く黒い影が動く。

 呪いの剣を支えるアゴタの手は、たとえ剣が受けきっていたとしても激しさに体が耐えきれず、幾度も皮膚を腱を裂かれて――それでも離さない。


 その肘から先はもう不死者のものでした。

 呪いの剣のほうがアゴタの肉を不要なものと切り捨てたのでしょう。

 骨となけなしの腱だけで剣戟を受け止め、やがて呪いと腕が一体化して骨の刃になる。


 異形の腕骨の刃が、受ける短剣の間を抜けて胸元に届きかけました。剣と腕ではなく、腕そのものが剣になった速さで――。


「マノリア様――」

「……!」

 すんでのところで体をひねって転がったものの、左腕を裂かれたマノリア様がわたくしの目の前で片膝をつきます。


「……もう、これ以上は」

「うん」


 今の一撃をかろうじて逸らして、わたくしの祝福の力は失われました。完全に消耗して残っていません。マノリア様の左腕には紫雲の呪いがまとわりついています。


 アゴタの睥睨へいげい

「終わりには未だ至らず、でしょうか」

「……」

「失望しました。あなたたちには期待したのに」


 歯噛みしました。もう余力はなく、マノリア様の左腕も使い物になりません。

 わたくしたちでは、アゴタが望んだ終わりを終わることができなかったということ。


「まだだよ」

「……?」

「次で決めよう」


「愚かな。もうその神官の奇跡は残っていないでしょう」


 マノリア様は静かに逆手に長剣を構えます。

 何も言わずに。


 そのとき、アゴタの瞳に一瞬の不審が浮かびました。

 わたくしはそれを見逃さなかったし、マノリア様も見逃さなかったことでしょう。


 だからわたくしはマノリア様の長剣の刃の先を握りました。手から当然のように血が流れ、滴ります。

 赤。呪いの残滓と混じって。濃密な色は闇のなかでも光ります。


 琥珀の瞳が惑う。

 アゴタにはわからない。推測はできても確信はできない。本当は奥の手なんて無い、剣に滴るわたくしの血に意味など無い。だけど疑ってしまう。


 確かに――わたくしが施した祝福はもう残っていません。

 ただそれを知っているのはわたくしとマノリア様だけです。


 だからマノリア様が血の滴る刃で踏み出すと――。

「――――!」

 下がらざるを得ない。


 その隙を、生きながらえたいという欲望を、無欲なわたくしの勇者様が斬ったのです。


 連撃。

 アゴタの骨が砕かれ、弾き飛ばされました。


 マノリア様は狂っている。惚れ惚れとしてそう思いました。


 斬ったのは骨だから、その頬に付いている紅はわたくしのものです。

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