04 小指を絡めて

 夜中。マノリア様がときどき目を開いてわたくしが居るのを確認している気配がありました。

 また、寝る前の、背もたれに腕とあごを乗せている仕草も思い出されます。

 まるで本物の――、ええ、マノリア様に失礼のないように表現するならばオオカミのようでした。


「頭のこぶは治ったようですね」

「そうみたい」


 朝。まだベッドの上で横になったままマノリア様の額を撫でました。かきあげた前髪の弾力のある柔らかさと僅かな重みが指に心地良い。


「リベラは浮いてなかったと思う」

「ええ。安心して眠ることができました」


 獣人族の方は最初こそ警戒心が強いけれど、一度打ちとければ忠実な友人になってくれるといいます。マノリア様もその例に洩れないようです。


「マノリア様は」

「うん」

「裏表のない方ですね」

「……そんなことないよ」


 何か引っかかることがあったのか、マノリア様はベッドから体を起こしました。

「体を動かしてくる」

「はい」

 朝の鍛錬にでも行くのでしょうか。身支度を整えて彼女は部屋から出て行きました。


 わたくしはベッドに横になったままその朝の身支度を見守った後、目を閉じました。

 するとまぶたの裏にはさっきまで見守っていた細くしなやかな肢体とふさふさの尻尾が映ります。


 ……浮いてしまいます。


 まだ眠いのですが、どうやら起きなければいけないようです。わたくしはベッドの脚を支えにして、なんとかまっすぐ立ち上がりました。神の奇跡はときどき厄介です。


 起きて村を見て回ると、まるで祝祭の準備でもしているかのような雰囲気でした。

 恐らく街から来る神官団を迎える準備をしているのでしょう。

 不死者の脅威を取り除くためとはいえ、村にとっては大きな催事と変わりないのかもしれません。


 そんな村の様子を眺めている内に気分が落ち着いてきたのでしょうか。靴の裏に地面の感触を感じ――。

「リベラ」

「…………」

 ――このような僻村においてすら薄氷の上に成り立つ生と死の秩序の無意味さについて思わずにはいられない、

「リベラ?」


「きゃ」

「……ごめん」


「驚かせるつもりはなくて」

「いえ……」

 マノリア様は少しばつが悪そうにわたくしの手を離しました。考え事をしている間にいつの間にかそばに来ていたようです。

「リベラってそんな高い声を……、じゃなくてごめん。返事がなかったからつい手を触って」

「かまいません」

「気をつける。べたべたしないように」


「気になさらず。考え事を。わたくしの悪い癖です」

「私も、悪い癖。急に触らないようにする。前にも言われたことあるのに」

「……そう、ですか」


 マノリア様は朝の鍛錬に出かけようとしたところで村人に捕まって準備を手伝っていたそうです。

「お礼に食べ物もらったから。二人で朝食にしよう」

「ええ」

 視界の端で尻尾が揺れています。


 わたくしとマノリア様は村はずれの小高い場所へ行って遅めの朝食を摂ることにしました。

 ここからなら神官団を迎える準備をしている様子がよく見えます。


「私たちの出番はもうなさそうだね」

「そうかもしれませんね」

「追い払うだけで精一杯だから、よかった」

「わたくしはそうは思いませんが」

「買いかぶりすぎ」


 初夏の風が丘を駆け抜け、草を薙いで波を作ります。この世界は無意味で美しい。


「街から来る神官に挨拶していく?」

「いえ。ほとんど関係がありませんので」

「そっか。私も別に用はないから……もう村を発ってもいい」


 わたくしの返事にマノリア様はほっと息を吐いたようにも見えました。なるほど裏表がないというのは当てはまらないのかもしれません。少なくとも彼女のなかでは。

 きっと無意味でちっぽけな秘密でも抱えているのでしょう。


 ただマノリア様はひとりで村を発ってもいいはずなのに、わたくしの意向を気にしていることを嬉しく思いました。

 獣人族とは一度打ちとければ、という噂は恐らく本当です。仲間。あるいは群れ。


「……あの馬車みたい」

 マノリア様が村の更に向こう側の森に目を凝らしていました。わたくしの視力では最初は見えませんでしたが、ほどなくして馬車の一団が現れました。

 太陽神の聖印が描かれた旗を掲げています。


「わたくし達もしばらくは村に居させてもらいましょう」

「そうだね。そうしようか」

「何があるかわかりませんから」

「…………」


 お手並み拝見。

 でも恐らくは――。


 小さく息を吐いて、祈ります。目を閉じて。

 この世界が無意味でありますように。

 この世全ての生が無意味でありますように。


「…………」


 短い祈りを終えて、馬車を見下ろしていると、また手に何かの感触が――。

 風? 草?

 なんとなく手を払おうとしたところできゅっと指を掴まれました。


「きゃ」

「……ごめん。今のはいたずら」

「……不用意に触らないようにするのでは?」

「難しい顔してるから」

「答えになっていませんよ」


「うん。もう一度さっきの、聞きたくなって」

「……? 何のことでしょう」

「もう聞いたから大丈夫」


 ぱ、とわざとらしく手を広げて、マノリア様がわたくしの指を離しました。

 そうかと思うとまじまじと顔と指を交互に見つめ、改めてわたくしの手をとります。


「ゆびきり」

「……なぜ?」

「私がリベラを守るよ。約束」

「…………」


 小指を絡めて。二人で小さな祝祭の始まりを見下ろします。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る