第16話 水白紫鏡の日常の終わり

 私は生徒会室に誰もいないことを確認してから、彼が来るのを待った。


 相変わらず、彼は待ち時間を守らない。そのせいでこの殺風景な部屋にも慣れてしまった。


 そうやって時間を潰していると、廊下から駆け足の足音が聞こえてくる。


 勢い良く開けられた扉の先に、真偽と同じ姿が見えた。



「ごめん、待ったか」

「全然平気ですよ」



 彼は安堵した様子で、私の前に座る。ああ、いつ見ても彼の考えていることが手に取るようにわかる。


 私が黙って顔を眺めていると、彼は絞り出すように声を上げた。



「……俺さ、今日予定あるんだけど。早く話してくれないか?」

「単調直入に聞くね。あなたは『』は知ってる?」



 私は尋ねる。ムラサキカガミは誰しもが知っている都市伝説の一つ。二十歳になったときにその言葉を覚えていると呪われて死ぬというものだ。



「『ムラサキカガミ』? ……聞いたことないな。何の話だ? もしかして怖い話か?」



 だが、彼はそんなことを知らない。……今となっては、このリアクションになる方が普通なのだろう。


 ――そう、ムラサキカガミが有名だったのは、二十年前のこと。二十一世紀に入ってから都市伝説の流行は陰りを見せ、いくつかの噂は年月とともに人々の記憶から忘れ去られてしまった。


 特にムラサキカガミの没落を後押ししたのは、その呪いの解除法である。

 呪いによる死から逃れるためには「水晶の鏡」を二十歳まで覚えておけばいいというもの。

 当時は子供だった世代も大人になり、呪いが無効化されていった結果、噂として語り継がれることはなくなった。


 つまるところ、私は見定めを行っている。人が死ぬのは人の記憶から忘れられたときだと誰かが言っていたが、それは怪談話と同じようなものだ。

 価値を見失ったものは自らの存在を疑う。



「……なあ、そろそろ教えてくれ。紫鏡、君は何の目的で俺をここに呼び出した?」



 私の質問にしびれを切らした真偽が、身を乗り出してじっとこちらの目を見つめてくる。


 憎悪に満ちた表情もまた美しい。だけど、もう私の中で答えは決まっている。



「いい加減答えろよ! 水白紫鏡!」

「では、聞きます。あなたはを信じていますか?」

「だから何なんだよ! 意味のわからない態度ばっかり取りやがって……俺はわかってんだぞ。この学校で起こっている心霊現象……全部お前のせいだろ」



 やっぱり、彼は私の話を聞いてくれない。それも不思議なことではないのだから、少し複雑な気持ちだ。


 私が女子でなければ、今すぐ殴りかかってきそうな勢いで彼はこちらを睨みかかっていた。


 さようなら、入間いるままこと君。私は最後まで……本当に直前まで迷っていたが、今回で決心がついた。



「入間君。用はないからもう終わりにしましょうか」



 そう言って私は席から立ち上がった。ここに来るのは今日で最後になるのだろう。そして、今日という日を記念日としよう。



「それと……何か勘違いをしているようですが、現在進行形で起こっている心霊現象は私のせいではないですよ。今の私にそんな権限はないですから」

「は……? 何言ってんだよ、化け物! 全部お前のせいだ。お前のせいで……あいつは」

「何を言ってるんですか。こうなったのは全部あなたが人を呪ったからですよね」



 今の私はただの人間と何ら変わりない存在。だからこうして、人に好まれる外見にして生活しているのだ。


 彼に背を向け、次の場所へ向かおうとすると、乱暴に彼が手を掴んできた。



「化け物が……逃がすかよ」

「……鏡でも見たらどうでしょう?」



 そう言って、私は誠の腕を払いのけた。



 ***


「……ふわぁ」



 夢から覚めた私は、珍しく欠伸を漏らしてしまった。どうやら誰かに揺さぶられて起きたようだった。



「紫鏡ちゃーん」

「……あら、桃さんですか? どうしました?」

「どうしたも何も立木先生が探してたよー!? でーじ焦ってたよー三階の空き教室にみんな集まってるよー」



 額から汗を垂らしながら、桃はまっすぐな目線で言った。


 学級委員である根路銘桃と佐久本裕一郎は誰にでも面倒見が良い。裕一郎と鞠井真偽の関係は七不思議の一件が尾を引いているのだろうが、そのうち修復できるとは思う。


 後は、私の思い通りに事が進むことを願うのみ。桃に感謝しながら、真偽の元に向かった。

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