序章「交裂点」その5
ドアノブに手を掛け、右に捻りながら力を加える。何故かドアが開かない。
手応えから鍵は開いているはず。例えるなら、
教科書を数詰めた鈍重な箱が二、三個積まれている様な感じだ。
今度は両手で力を込め、開ける瞬間には何度か軽く、右肩で体当たりを試してみた。
そうすると、ドアにもたれていた物がずり落ちるような感覚と同時に、さっきまでの手応えが無くなってドアが開いた。
「お、開いた」
地震の影響で少し歪みのある金属音を鳴らしながら、開いたそこに一歩踏み出す。
そうして左足を引きつける瞬間、何かが当たって一瞬もつれた。
慌ててバランスを取り、振り返ると首筋から大量の血を流して人が倒れていた。
名札の色から、自分と同学年の生徒で、顔を見るも血を全面に浴びている。加えて、鈍器で殴られたのか一部が陥没してしまっていて個人の判別がつかない。
安定させたつもりが、驚いてコンクリートの地面に思い切り尻餅をついてしまった。
あまりにもショッキングな光景に胃酸が込み上げてきたのを咄嗟に耐える。
自分が来た道の方に目を向けると、真田さん達もこちらに向かってきていた。
このままでは不味い、そう思って俺は取り敢えずドアを思い切り閉めた。
その時、突然の出来事に驚く二人が見えたが、説明するだけの時間は無い。
視界に映ったそれに気を取られていた。
それでも、何故扉を開け、踏み出した瞬間に
気づかなかったのか。
グラウンドを埋め尽くさんと聞こえる悲鳴に、どたどたと逃げ場を探して走り回る靴音、ヘッドフォン越しに散々聞いた唸り声、最悪の予想が的中した。
「倉本くん!いきなりなんで閉めたの!?」
真田さんだ。立ち上がって背中をドアに貼り付け、両手は壁につかえて
「今はダメだ、ここは開けられない!」
「意味が分からない、理由を説明してよ」
「言っても多分、真田さん達には分からないんだ。だから一旦そこから離れて__」
ドアが開いた。
正確に言い表すなら“開けられた“で、ドアから離れたのも真田さんではなく俺だった。
衝撃に押された自分は、顔面から土下座のような姿勢で思い切り押し出されたがギリギリのところで両手をついて地面とのキスを回避する。
そのまま振り返って見上げると、既に二人は目の前にいた。
風に
「立って。」
「あぁ、すんません」
バレてたか、手についた砂利を払いながら立ち上がり、背中に伝わった衝撃について問う。
「蹴った…よね?また俺吹っ飛ばされたんだけど」
「そうするしかなかったでしょ。開けなかったこと、説明してって言いたいところだけど」
途中までそう話し、背後に横たわった死体に目を向ける。
依然として悲鳴も止む気配はない。
「状況その物が答えか。うん、分かった。」
蹴りの反動で少し下がった眼鏡の位置を直しつつ、真田さんはそう冷淡に言い放った。
死体が目の目にあるにも関わらず、動揺しているようには全く見えない。
レンズ先の少し細まった目からは恐怖というより、何者かに対しての底知れぬ怒りが宿っているよう感じた。
対して市川さんは死体を見たその時から真田さんの後ろで硬直していて、怪我で元々青ざめていた肌は、完全に血の気を失っている。
それに、他にも様子がおかしい。
喉をしゃくり上げるような動作を繰り返して、口元を押さえている。
不審に思って見ていると、右足を引き摺りながら急に、校舎の影の方に走り出した。
「市川さん、どこに行くんだ!」
慌てて追いかけようとしたが、真田さんに制される。
「私が行くから。」
そう俺に言い放ち、走って行った方向に真田さんも向かった。
一人になってから、やっと理由に気づいた。
鳴島から散々言われていたが、どうも俺は自分以外の事になると、極端に察しが悪くなる。
壁を一枚挟んで、液体が地面に打ち付けられる音が聞こえてきた。
真田さんの声も混ざって聞こえ、ここから心配する事しかできない自分を不甲斐なく思う。
数分して二人が帰ってきた時、市川さんの顔は涙に鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。
あの死体は、市川さんの友人だったらしい。
俺が見た時は気づかなかったが、手にお守りが握られていたと。
今年の初詣に一緒に買った物で、緑と赤にキツネとタヌキの刺繍。
対になったそれは、死を眼前にして最後に縋る先として選ぶには十分だろう。
「ごめんね、有希」
「一緒にいてあげられなくてごめんね」
握られていたお守りをそっと引き抜き、市川さんは胸の前に両手でじっと抱きしめ泣きながらそう呟いていた。
「それ、持っといてあげなよ。きっと、有希さんが守ってくれるって」
俺はその肩に軽く触れ、そう話すことしかできなかった。
これが正解かどうかなんて、今の俺には分からない。
けど、黙って見ているよりは何倍も良いはずだ。
市川さんは頷き、持っていた自分の物とそれを結び合わせ、左手に巻きつけた。決して、離さないように。
ここに戻ってきてから、真田さんは何故かずっと黙っている。
考え事の最中にやる癖だろうか。
右手の親指と人差し指で、首元を軽く引っ張りながら錐揉み状に動かしている。
気になって暫く見つめていると、ピタっと動きが止まった。
自分を通り抜け、振り向いた目線は段差になっているグラウンドから、自分達が今いる校舎側に上がるための階段の方へ向いている。
「……る」
ボソッと呟かれた声は風でかき消され、しっかりと聞こえなかった。
「?ごめん真田さん、もう一回言って欲しい」
階段から目は離さず、しっかりとした発音で真田さんは話した。
「来る。上がってくるよ」
「逃げよう、付いてきて」
俺らが聞き返すより早く、真田さんは市川さんの手を掴んで走り始めた。狼狽えながら自分も続いて走り、二人を追いかけた。
その時、後方からも足音が聞こえてきた。靴音とは違う、蹄のような甲高い音がコンクリートを弾いている。
音はどんどん自分の方に近づいて来る。不味いい、追いつかれる。
俺が遅いわけではない無い、後ろから近づいてくる何者かが、明らかに人間を超えたスピードで追ってきている。
「倉本くん!避けて!!」
曲がり角で立ち止まって、振り向いた真田さんがそう叫んだ。
それを聞いて俺は咄嗟に頭を下げ、殆ど
鐵棍が地面に衝突し、地面の砕ける音が周囲に響いた。追ってきたそいつの胴体は人間の物と同じだったが、頭と足が全く違う。
足は獣のように体毛に覆われ、関節は前屈している。
頭は、山羊だろうか。
横長の瞳孔に赤い目、2本の突き出した角が特徴的に見える。背丈も自分と比べて大きい、180はある。
そんな怪物の右手には、四角錐に柄をつけた殺意の高い鉄製の棍棒が握られていた。
真田さんのおかげで寸前に回避できたが、あと数秒でも動くのが遅ければ、季節外れのスイカ割りになっていた。
(ゴ、ゴブリンじゃなかったぁぁぁ!!何なんだコイツ…獣人でいいのか?おっかねぇぇぇ)
獣人と俺は正対して見つめ合った。相手は右足で地面を引っ掻きながら、今にも飛び掛かろうと構えを取っている。
一瞬横を見ると、真田さん達はさっきまでの所から姿を消していた。
一声も掛けず置いて行かれた事に少し動揺したが、ショックを受けている余裕は無い。
視線を元に戻すと怪物は距離を詰め、完全に懐へ入ってきていた。
油断した。
防御する間もなく、俺は左肋骨の辺りに拳を入れられた。コンクリートを破壊するレベルの腕力で繰り出された拳による殴打。
これまで食らったことのないレベルの痛みと衝撃が体に響いたが、何故か死んではいない。
それでも身に余る痛みで、その場に身を伏せた。流れるように、今度は横腹に向かって鋭い蹴りが飛んで来た。
打撲しながら2メートルほど転がされ、先にあった生垣に上半身を強打した。
まだ意識は絶えていない、そこで気づいた。最初から殺そうとしているならば、拳ではなく初撃に棍棒を選んでいたはず。
隙を晒したこともあって、確実に殺せていただろう。さっきの蹴りもそうだ、自分が耐えられるダメージである事がおかしい。
コイツはわざと手を抜いている。
「……っ、舐めやがって、俺はサンドバックじゃ……」
頭に棍棒の先端を向けられた、体は完全に足で押さえつけらている。抵抗しようにも、殴られすぎて力が入らない。
「嘘だろ、死ぬのか……」
死にたくない。けど何もできない。
きっとラノベの主人公だったら、ここで内なるチートスキルが覚醒して、コイツを雑魚扱いの反撃ターンが始まるんだろうな。
俺に限ってそんな事はありえないけど、鳴島ならそんな事もあったりすんのかな。
あぁクソ死にたくない。
嫌だ、まだ終わりたくない。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
まだアイツに俺は並べていない。真田さんにも、まだ何も言えていない。
―まだ、まだ。
死を間近にして、無意識に心の枷から外れた言葉。決して、それだけは
「俺じゃなくて、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます