覚醒した【万能職】の辺境冒険者ライフ 〜追放されたけど、新しい仲間たちが放っておいてくれない〜

三船十矢

第1話 追放

「貴様をこのクランから除名する」


 王都有数のクラン『蒼き翼』、その長たるバロンの執務室で冷酷な宣言が響き渡った。

 聞かされたリオンは、緊張で表情が凍りついている。


 執務机の向こう側から、バロンがその冷たい灰色の瞳でリオンを見据えていた。その視線の無感情さからは、リオンもう不要なものに分類されていることが嫌というほど伝わってくる。


 バロンは40代半ばの威厳のある顔立ちの男で、その瞳には一片の温かさ甘さも存在しない。

 彼が一代で築き上げたクラン『蒼き翼』は、王都でも有数の実力を持ち、王都の冒険者たちで知らぬものはいない名門だ。

 リオンは今、そんな権威ある組織から追われようとしている。


 ――時が止まった。


 リオンの脳裏に、バロンの言葉が幾度も響く。クビ。クビ。クビだ。その短い言葉が頭の中でぐるぐると回転し、現実味を帯びてくる。


(そんな……そんなはずは……)


 その可能性を考えていなかったのだ。試用期間は最短六ヶ月であり、まだ四ヶ月しか経っていない。

 まさか今日、そんな話をされることはないと思っていた。


「え……? あの、すみません、今なんと……?」


 リオンの声は震えていた。きっと聞き間違いだ。そう思いたかった。


「聞こえなかったのか? お前を『蒼き翼』から除名する。つまりクビだ」


 バロンの口調は、まるで天気を話すかのように淡々としている。その無情さがリオンの胸を鋭く刺した。


「そんな――まだ二ヶ月ありますよね……?」


 リオンは必死に抗議した。声が上ずって、みっともないと分かっていても抑えることができない。

 ――もちろん、わかっている。

 今の立ち位置を考えれば、その2ヶ月をかけても、未来は変えられないだろう。だけど、ここで可能性を断ち切られるのは納得できない。


「せめて、最後まで見届けてから判断を――!」


「もう、貴様の未来など見えている」


 上段からナタでも振り下ろすかのような言葉がリオンの声を遮った。


「ただただ凡庸、それに尽きる。2ヶ月? 2年続けても、その域を出ないと断言しよう。私が今まで何人の冒険者を見てきたと思っている? たかだか『戦士』のお前の到達点など簡単に予測可能だ」


 そして、トドメのように突きつける。


「我々が求めるのは一流か、あるいは一流になる人材。貴様ごときの人間を、ここは必要としていない。以上だ」


(そんな……)


 リオンの膝が震える。四ヶ月間、必死に頑張ってきた日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。諦められない、諦めたくない。最高の冒険者になりたいと思っていた。だから、必死に訓練して、この名門クランに入ったのに。


――入団した日のことは、今も鮮明に覚えている。

 名門クラン『蒼き翼』の本部ホールは、新人のリオンにとって憧れそのものだった。厳しい入団試験を乗り越えてここにいることが、今でも信じられない。

 高い天井から吊り下げられたシャンデリアが、王国でも屈指の精鋭クランの威厳を示している。床には深紅の絨毯が敷かれ、磨き上げられた大理石の柱が天井まで伸びている。

 建物の格式にめまいを覚えそうだ。


(ついに僕も……ここの一員になれるんだ……)


 舞い上がってしまう自分を抑えられない。


(……いや、まだ喜ぶなよ、リオン。ここが始まりなんだから)


 実際、『蒼き翼』の門戸は広いが、振り落としは多いと聞く。まだまだ油断できないのだ。

「新人冒険者はこちらに集まれ! これからジョブ鑑定を始める!」


 鑑定を担当するクランの冒険者が声を張り上げた。

 ジョブ――

 それは『本人の持つ特性』を表す言葉だ。ジョブを鑑定することで、どういう方向性が自分に適しているかを知ることができる。

「いいか、これは『冒険者のジョブ鑑定』だ! 必ず冒険者のジョブが出てくるから安心しろ! 試験に合格して『パン屋』が出たら目も当てられないからな!」


 彼の冗談に、新人たちに小さな笑いの花が咲く。


(僕のジョブはなんだろう)


 胸を躍らせて、リオンは自分の順番を待った。手のひらに汗がにじみ、緊張と興奮で胸が高鳴っていた。


「リーゼル! 戦士! 頑張れよ!」


「トミー! 魔法使い! お、いいじゃないか!」


「マーク! 斥候! パーティーの生命線だ!」


 ――ようやく、己の番が来た。


「次、リオン」


 鑑定技師の呼び声に、リオンは慌てて前に向かう。

 測定装置――水晶玉は想像していたよりもずっと大きく、神秘的だった。透明な球体の中で淡い光がゆらめいている。

 リオンがじっと水晶玉を眺めていると、担当者が自慢げに口を開いた。


「……すごいんだぜ、これ。この『蒼き翼』の測定装置は最新鋭の代物でね。王国で一番いいものじゃないかな。うちはジョブ鑑定には力を入れているんだ。バロン様の方針でな。なにせ、クラン員の未来に関わるものだからな。運が良かったな、お前――手をここに置いて、集中しろ」


 技師の指示に従い、リオンは水晶の球に両手を置いた。冷たい感触が手のひらを通じて全身に広がる。

 時間が経つ。とても長く感じられた。


「……ん? ……反応が遅いな」


 担当者の小さな呟きが聞き、リオンは不穏な気持ちを抱える。順番待ちしている新人たちの視線を強く感じる。クランの冒険者たちも好奇の目を向けてくる。

 確かに、おかしい。今までの判定は、サクサクと進んでいたのに。

 ――さらに時間が過ぎる。額に汗が浮かんできた。

 やがて、装置が淡い光を放つ。


「おっ、反応があったな――『戦士』だ」


 水晶玉に浮かび上がった文字を眺めて、鑑定の担当者が笑う。


「びっくりさせるなよ! そんなに溜めて『戦士』はないだろ! どうせなら『パン屋』でもオチでもつけろよ!」


 担当者のゲラゲラ笑いを聞きながら、リオンはほっとしていた。

 ともかく、おかしなことにはならなかったから。待たされた結果がそれでは、確かに笑い出したくもなるのだろう。

 戦士――ありふれたジョブだ。

 戦士は数が多いので、希少価値は少ないことはリオンも知っている。正直なところ、量産型、モブでしかない。気落ちしている部分もあるけれど、それは深刻なものではない。


(冒険者の価値は腕前と貢献だ)


 それで己の価値が決まる。頑張り続けるだけだ。

 思えば、この日こそが『蒼き翼』におけるリオンの頂点だった。

 入団後、小さなことでコツコツと信頼を積み重ねようとがむしゃらに働いていた。自分はまだまだ腕も足りない。


 だから、なんでもしようと――

 文字通り、馬車馬のように働いた。


 先輩冒険者たちがしている雑用を目に焼き付けて、少しでも己の血肉とし、クランに貢献できるように。

 装備の手入れや依頼書の整理など率先して行い、「お、丁寧な仕事じゃないか!」と褒めてもらえたものだ。

 だが、クラン長であるバロンの評価は違った。


「くだらない。戦士であるお前が胸を張るようなことか、それは? お前はお前の領分で存在感を示せ」


 冷たくはあったが、正しい言葉だ。だから、リオンは戦士としての己を磨くことにした。磨こうと努力して――己を見失った。

 さすがに王都の最高峰である『蒼き翼』だ。そこにいる戦士たちのレベルはあまりにも高すぎた。

「邪魔するな、新人!」


「引っ込んでろ!」


「これくらい、さっさとできるようになれや!」


 そんな厳しすぎる言葉の数々に、だんだんと自信を失っていく。

 ――思えば、入団したての頃はなんでもスポンジのように吸収できていたのに、いつの頃からか情報や経験が自分の中に入ってこなくなった。

 目に映るもの、耳に入る音がただ素通りしていくだけになっていた。


(このままじゃいけない……!)


 そうは思っても、気が焦るばかりで何も好転しない。そして、それが次の罵倒を生む。そんな空転する日々を過ごしながら――今日を迎えた。


 ――バロンの冷たい視線で見据えられる今日を。


 あの時の希望が、今こうして完全に打ち砕かれようとしている。リオンの胸に、重く暗い絶望が沈んでいく。

 そんなリオンを見つめている人物がいた。彼は執務机の傍に立ち、静かに情勢を見守っている。その口元には嘲笑が浮かび、整った顔立ちが意地悪く歪む。

 ヴィクターだ。24歳でありながら上級冒険者である彼は、常に自信に満ち溢れた表情を浮かべている。

 話がひと段落したのを見て、口を開いた。


「むしろ、優しさだと知るんだな。才能のないお前に引導を渡し、時間の無駄を終わらせてやったんだから。最初から場違いだったんだよ、お前は」


 ヴィクターの茶色い瞳には、明確な軽蔑の色が浮かんでいる。


「――ッ!」


 リオンは小さく唇を噛んだ。ヴィクターからぶつけられた言葉の数々が嫌でも思いしてしまう。


「君は冴えないね、新入り君!」


「新入りの中でも、かなりひどいな!」


「今の動きはなんだい!? あっはっは! 真面目にやりたまえよ!」


 と率先してリオンをからかい、辛く当たってきた。そのヴィクターの言葉が引き金となって、周りの目が冷たくなっていった側面もある。

 沈黙するリオンに、ヴィクターはさらに言葉をぶつけた。


「エリートになれない人間はいるんだよ? 俺たちとお前では格が違う。わかったな?」


 屈辱と悔しさが胸を締め付けてくる。リオンは拳を固く握り締めた。爪が手のひらに食い込んで痛い。


(なぜ……なぜこんなことを言うんだ……)


「釣り合わない夢は終わりだ。底辺冒険者として雑用でもやってろ、そういう仕事も必要悪だからな。ま、俺は嫌だけど」


 ヴィクターの言葉が、リオンの心を深く抉った。悔しさで涙が出そうになるのを、必死にこらえる。

 反論ができれば、どれほど楽だろう。だけど、リオンがお荷物なのは厳然たる事実だ。

 殴り飛ばせれば、どれほど気持ちいだろう。だけど、彼我の能力差を思えば、あっさりと返り討ちに会うだけだ。

 今の弱いリオンにできることは、限られている。


「……わかりました。出て行きます」


 全ての言葉と感情を飲み込んで、これだけを吐き出した。


(いつか――)


 リオンはて振り返りもせずに部屋を出ていく。

 背後で、ヴィクターの高笑いが響いているのが聞こえた。その音が、リオンの胸に深い傷を刻み付けた。


(いつか、必ず……!)


 その誓いだけを胸に刻んで。

 リオンは自分の寮部屋から荷物をまとめて、本部の出口に向かった。演習場前を通ると、何者かの訓練する音が聞こえてくる。


 リオンは足を止めて訓練に目を向けた。

 剣姫セレスティアが剣の鍛錬をしている。


 セレスティアは21歳の女性で、すでに『蒼き翼』の花形剣士として名を馳せていた。銀髪を美しいロングヘアに整えた容姿は、輝くほどに美しい。

 美貌だけではなく、その剣術も圧倒的だ。


 その剣筋は圧倒的に美しかった。

 一振り一振りが芸術品のような完璧さで、空気を切り裂く音すら美しい旋律のように響く。見ているだけで、心を奪われそうだ。


 ――いや、実際、リオンは心を奪われていた。


 リオンにとって、セレスティアは憧れそのものだった。

 だからこそ、『蒼き翼』に入団したと言っても過言ではない。彼女の剣術は芸術の域に達していて、見ているだけで胸が熱くなる。

(いつか、彼女と肩を並べて戦えたら――)


 そんな夢は、とうとう叶わなかったけど。

 見惚れていたリオンの視線に気づき、セレスティアが動きを止めた。


「リオン、どうしたの?」


 聞き慣れた美しい声に、リオンの心臓が大きく跳ねる。

 憧れの人――輝いている人に、己の苦境を言いたくはない。だけど、隠したところで意味などない。ならば、せめて別れだけはいい形にしたい。そう思い、リオンは口を開いた。


「セレスティアさん……僕、クビになりました」


 リオンの声はかすれていた。憧れの人を前にして、惨めな自分をさらけ出すのがたまらなく恥ずかしい。


「そう……」


 セレスティアの表情に困惑の色が浮かんだ。


「私は剣のことに集中すると他がダメになってしまって……君の雑用には助けてもらったよ。いつも丁寧で、本当に助かっていたから」


「ありがとう、ございます――」


「ここは人を選ぶ場所だから。あまり落ち込まないようにして」


「人を選ぶ、ですか……エリートじゃないと無理とか?」


「そういうのとは、また違う気もするけど。あまり深く気にしないでいいんじゃないかな。切り替えるだけ」


 セレスティアは少し考え込むような表情を見せてから言った。


「でも、あなたの剣筋は悪くないと感じていた。その構えは基本に忠実で、実は理に適っている。特に中段の構えから繰り出す突きは、角度が絶妙なの。あの角度なら敵の防御を抜けやすいし、威力も十分。だけど、あと4.3度右にずらしたほうが効果的じゃないかしら。それに、あなたの足の運びも見ていたけれど、バランスがとても良い。重心の移動がスムーズで、実戦でも応用が利くはず。ただ、右足への荷重を髪の毛3本分は抜いたほうがいいかも。剣を振る時の腰の回転も――」


 いきなり言葉の濁流が始まった。


「あ、あの、セレスティアさん?」


 リオンが慌てて声をかけると、セレスティアはハッとした表情になった。


「あ、ごめんなさい。つい剣のことになると……」


 あはは、と笑いながらセレスティアが困ったように頭をかく。

 もちろん、嬉しい言葉なのだけど。それくらい、自分を見ていてくれたことにリオンは深く感謝した。


(自分なんかの剣術を、こんなに詳しく見てくれていたなんて)


 尊敬する剣術家が自分のことを悪くないと言ってくれたのだ。これほど嬉しいことはない。

 リオンの胸に、微かな光が灯る。


「リオン、新しい環境での成功を祈っているよ」


「セレスティアさん、今まで本当にありがとうございました」


「……元気でね」


「はい。セレスティアさんも、お元気で」


 リオンはもう一度頭を下げた。

 最後に、別れを告げるべき人と会えてよかった。

 己の心に決着をつけて、リオンは新しい人生に踏み出した。



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