第3話 白百合
アシュレイは父を探して、サーカスの巨大なテントの裏側を歩いた。
貨物列車の車両部分がいくつも並んでいる。
それらの車両の側面に、中で飼育されている動物たちの華々しいイラストが描かれていた。
ときおり猛獣たちの鳴き声や、生き物特有の生々しい香りが漂ってくる。
移動する際は、この車両群を貨物列車に繋いで、各地を旅しているのだろう。
動物たちの車両から少し離れた場所に、サーカス団員たちのテントが並んでいた。
「父上はどちらにおられるのだろう」
団長の仮住まいなのだから、団員たちより豪華なテントか、もしくは車両を使っているかもしれない。
そう考えて見渡すと、ひとつだけポツンと離れた場所に置かれた車両があった。
他の車両とは違い、側面には何も描かれていない。
近づいてみると扉は閉まっていたが、中に明かりが灯っているせいで、建付けの悪い扉から光が漏れている。
扉には閂がかかっていたが、アシュレイは吸い寄せられるように扉の前に立った。
普段のアシュレイだったら、他人の所有物に、――それも鍵のかかった扉に、勝手に触れたりすることなど絶対にない。
だがこの時は、扉の隙間からほんのわずかに漏れているわずかな光が、昼の太陽のように明るく煌めいて見え、不思議と扉の内側へといざなわれているように感じた。
光の誘惑に抗えず、虹の袂へ導かれるように、アシュレイはふらふらと扉へ歩み寄った。
もしかしたら父がここにいるかもしれないから、と心の内で言い訳をして、そっと開く。
「……だれだ?」
扉を半分ほど開いたところで内側から声をかけられた。
アシュレイがそっと覗くと、扉を開いたすぐ内側は、鉄の格子で塞がれていた。
まるで猛獣を閉じ込めるかのようにして、青年が檻の中に封じられている。
鈍い灯りの下、檻の中のベッドへ横たわっている青年は、淡い金色に輝いているように見えた。
アシュレイが入って来たことに驚いたようで、わずかばかり顔をあげ眉をしかめる。
「……子供?」
「す、すみません、迷ってしまって、間違えて扉を開けてしまいました」
侵入したことを咎められるかと思ったのだが、ベッドの上の青年はアシュレイが返答すると、それだけで、もう興味をなくしたように再び横になった。
清らかに輝く淡い金の長髪。
上質な白のシルクシャツは胸元まではだけていて、そのシャツとほとんど色の変わらぬ雪白の肌があらわになっていた。
アシュレイは夜公演のポスターを思い出す。
あそこに描かれていた
あのときは大げさに美しく描かれているだけだろうと思ったのだけれど、実物はあんな絵よりも、もっと、衝撃的なまでに整った姿をしていた。
まるで本当に伝説の……。
「……あなたはユニコーンの化身ですか?」
「ユニコーン?」
青年が再びまぶたを開ける。
「おれはそんな清い生き物ではない。……それよりおまえ、迷いこんだのなら早く出ていけ。ここにいたらすぐに誰かに見つかって、蹴り出されるぞ」
いかにも子供の相手がめんどうくさいという、ぶっきらぼうな仕草だったが、アシュレイは美しい青年が自分を気遣って、警告してくれているのだと気付いた。
「突然失礼なことを言ってしまって申し訳ありませんでした。でも、あなたが本当にユニコーンのように美しく見えるので」
アシュレイはお世辞ではなくそう言った。
さっき見た偽物の聖獣より、もっとずっと完璧で、はかなく、聖なる存在だと感じる。
あまりに綺麗で目が離せなくなってしまい、失礼なほどじっと見つめてしまった。
青年はぶしつけな視線に慣れているのか気にしていないようだったが、ふと何かに気づいたように呟いた。
「……花の香りがする……」
「ああ、そういえば……百合を持っていたんだった」
妹のティアからユニコーンにあげてと預かってきた百合の花。
アシュレイがカバンから花を取り出すと、青年が初めて身を起こした。
金属が鳴って、青年の細い首に首輪が巻かれ、そこから銀の鎖が繋がっていることに、アシュレイはようやく気づいた。
青年が立ち上がって近づいてくると、鎖がチリチリと小さな音を立てる。
横たわっている時はもっと華奢に見えたのに、意外と長身で、アシュレイの父と同じぐらいの背丈がありそうだった。
細いけれどもしっかりと男性の骨格をしており、若い貴族の青年のように、歩き方にはブレがなく優雅だ。
日頃アシュレイも学んでいる、上流階級の歩き方、だがもっと自然で力が入っていない。
ごく短い距離を歩き近づいてきた青年は、アシュレイが差し出した百合に鼻を近づけて、格子越しに香りを味わっているように見えた。
間近で見ると、青年は驚くほどに完璧な容姿をしていた。
小さな頭なのに、彫刻のように彫りが深く、くっきりとした二重まぶたが優美な曲線を描いている。
髪と同じ淡い金のまつげが呼吸に合わせて揺れていた。
真っ白な肌にはホクロはもちろん、そばかす一つなく、間近で見ても絹布のように滑らかだった。
呆然としてしまい、まばたくことも出来ずじっと見つめていると、閉じられていたまぶたが開いて蒼の瞳がアシュレイを捉える。
晴れた日の高い空のような透き通る蒼に、雲間から差し込む太陽の光芒を思わせる金の輝きが散っていた。
アシュレイは慌てて視線をそらし、百合の花を格子の間から差しいれる。
「よければ、この花は差し上げます。勝手に入ってしまったお詫びに」
「いいのか」
今までほとんど表情が動かなかった青年の瞳に、かすかな喜びの色が浮かんだ。
鉄製の格子ごしにアシュレイが差し入れた百合の花を、青年は慎重に受け取った。
薄桃色の唇がほんの少し弧を描き、彼が笑ったのだと気づく。
「花に触れたのは何年ぶりだろう……。ありがとう」
青年は愛しげに百合の輪郭を指先でなぞってから、白い花弁へ口づけた。
「あっ」
アシュレイは思わず声を上げてしまった。
青年の手の中の百合は小さな白い光の粒となり、きらきら輝きながら唇へ吸い込まれていく。
それは一瞬の出来事で、百合が存在していたことが夢であったかのように、青年の手にはもう何も存在していない。
「消えた……?」
「魔力に変換されておれの中にある」
「食べたのですか?」
不思議な現象だったけれど、百合は青年の唇の中に消えたのだから、食べた、ということだろうか。
「百合の命を頂いた。――こんなに清く美しいものを、ありがとう。ずっと汚らわしいものばかり与えられていたから、嬉しかった」
青年は先程よりもはっきりと、今度はアシュレイに向けて微笑んだ。
うっすらと頬が桃色に染まっていて、心なしか顔色が良くなったように見える。
アシュレイには、百合の花などよりも、青年こそが清く美しい奇跡のような存在に思え、頬が熱くなってしまった。
またしてもアシュレイが見とれていると、青年は突然ハッと険しい表情になり、外へ耳を傾ける。
「人が来る。おまえはもう行った方がいい。見つかったら面倒なことになる」
アシュレイには外の音など何も聞こえなかったのだけれど、青年はアシュレイを急かし追い出そうとした。
「でも、あなたは? ここに囚われているのですか?」
あのポスターの謳い文句が真実なら、この青年は
もしも吸血鬼であっても、こんなにも穏やかで優しい人を鎖で繋いで檻に閉じ込めておくなんて、許されないと感じたのだ。
「いいから早く行け。二度と来てはいけない」
確かに見つかってしまうわけにはいかなかったので、後ろ髪を引かれる思いでアシュレイはその場を後にした。
背後から小さく「花をありがとう」とささやくような声がかけられた。
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